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物事のやり方は一つではない -- Perlな人
歴史ということで (スコア:1)
スタパ斎藤、船田戦闘機 著
ISBN 4-7561-1866-6
けど、この本って若い人達が読んでもわからないことのほうが多いのかもしれない・・・
Re:歴史ということで (スコア:1, 参考になる)
めったに本に線を引く人間ではないが、次の箇所は思わず赤線を引いてしまった。
「単なるメモリの節約という動機でプログラム可変内蔵が議論される一方、ノイマンの頭の中にあったアーキテクチャレベルでは、万能チューリングマシンとしてのコンピュータという構想が熟していた、という物語になる。やはりフォン・ノイマンとチューリングが出会っていることが、現代のコンピュータ概念の形成にとって極めて重要であるといってよいのではないか?」(p.112)とか、
Re:歴史ということで (スコア:0)
BRAINS? [chiba-u.jp]
Re:歴史ということで (スコア:0)
有り難うございます。この本のことです。
原作・伊藤智義氏、漫画・久保田眞二氏ですね。
今、職場のシステム管理者から借りてきました。
2巻巻末の「コンピュータ基礎講座5」でこの本を引用していますね。
次巻で「プログラム可変内蔵方式」について説明しますと書いてありますが、3巻はまだなのでしょうか。
親コメント(#387866)に示されたwebページにも2巻までしかなかったようですが。
オフトピックになりますが、一言付け加えさせて下さい。
学生相手に先の星野氏の本を紹介したとき(何だか素性がばれそうだが)、
次のコメントを付したのですが、文系学生諸君はどうとらえてくれたかな
※「自己言及」というと、ゲーデルが思い浮かぶ。ノイマンがゲーデルの「不完全性定理」を最初に理解した一人であることは有名であるし、チューリングもゲーデルに多大な刺激を受けていたそうだ。
※「しかし、完結した公理系など作れっこないのです。無限は完成を拒んでいます。そこからはみ出たものを捉えようとし、捉えたと思ったときには新たなものがはみ出ていく。このたえざる歩みこそが、人間が無限を生きるということにほかなりません。」(野矢茂樹『無限論の教室』講談社現代新書(1998)p.229)
※人間を作るプログラムであるDNAを改変する技術を人間が手にしたことは、人間の生物としての新しい段階を意味するのだろうか。