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多数の作品や妖怪の世界観は、既に日本文化の一角を構成していると言っても過言ではないように思われる。
いや、これは過言だろ。人気や影響はあったけど、日本文化の一角とか論外。日本文化は漫画とゲーム、みたいな認識ならそうなるかもしれんが。
世代によっては過言ではないだろう。知っている妖怪は水木しげる経由で、水木しげるの妖怪が「日本の妖怪」のイメージである人は多いはず
自分の中では、小泉八雲と水木しげる。
と思うのは普通の事か。島根、鳥取という山陰の地域性と無縁じゃないんだろうな。どういう事なのか説明できないけど。
合掌
> 自分の中では、小泉八雲と水木しげる。
その二人に異論はありませんが、さらに柳田國男も入れるべきだと思います。
自分の認識では、妖怪というのは「自然における、なんだかよくわからないもの」のこと。「なんだかよくわからないもの」のままでは「なんだかよくわからない」こと自体が恐怖なので、とにかく名前を付けていったのが「妖怪」という概念の発祥でしょう。
#たとえば、「カッパが尻子玉を抜く」というのは、水死体の肛門が開いちゃってることを説明づけるもの、って説。
で、それまで口伝でしか無かった「妖怪」というものを調べてまとめて明文化したのが小泉八雲や柳田國男で、さらに「妖怪」というものにビジュアルを与えたのが水木しげる。それまでは妖怪のビジュアルイメージが統一されてなかったものが、水木しげるの絵によって「国民の統一的イメージ」となっていったと思います。
そういう流れを考えると、「日本では何にでも神様がやどっていると考える」というのが日本の文化と言えるなら、「日本ではなんだかよくわからないものに妖怪と名付けていった」というのも日本の文化と言えるんじゃないかと思います。
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
過言 (スコア:-1)
多数の作品や妖怪の世界観は、既に日本文化の一角を構成していると言っても過言ではないように思われる。
いや、これは過言だろ。人気や影響はあったけど、日本文化の一角とか論外。日本文化は漫画とゲーム、みたいな認識ならそうなるかもしれんが。
Re: (スコア:1)
世代によっては過言ではないだろう。
知っている妖怪は水木しげる経由で、水木しげるの妖怪が「日本の妖怪」のイメージである人は多いはず
Re: (スコア:4, 興味深い)
自分の中では、小泉八雲と水木しげる。
と思うのは普通の事か。島根、鳥取という山陰の地域性と無縁じゃないんだろうな。どういう事なのか説明できないけど。
合掌
Re:過言 (スコア:4, 興味深い)
> 自分の中では、小泉八雲と水木しげる。
その二人に異論はありませんが、さらに柳田國男も入れるべきだと思います。
自分の認識では、
妖怪というのは「自然における、なんだかよくわからないもの」のこと。
「なんだかよくわからないもの」のままでは「なんだかよくわからない」こと自体が恐怖なので、
とにかく名前を付けていったのが「妖怪」という概念の発祥でしょう。
#たとえば、「カッパが尻子玉を抜く」というのは、水死体の肛門が開いちゃってることを説明づけるもの、って説。
で、それまで口伝でしか無かった「妖怪」というものを調べてまとめて明文化したのが小泉八雲や柳田國男で、さらに「妖怪」というものにビジュアルを与えたのが水木しげる。
それまでは妖怪のビジュアルイメージが統一されてなかったものが、水木しげるの絵によって「国民の統一的イメージ」となっていったと思います。
そういう流れを考えると、
「日本では何にでも神様がやどっていると考える」というのが日本の文化と言えるなら、
「日本ではなんだかよくわからないものに妖怪と名付けていった」というのも日本の文化と言えるんじゃないかと思います。