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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
情操教育? (スコア:3, すばらしい洞察)
-+- 想像力を超え「創造力」をも凌駕する、それが『妄想力』!! -+-
情操教育のために (スコア:-1, 余計なもの)
命の大切さをこの上なく知ることでしょう。
# 極端な隠喩で気を悪くしたらすみません。
Re:情操教育のために (スコア:0)
情操教育と死 (スコア:1)
そんなことは殺さなくてもわかると思われるでしょうが
頭の中でわかっているのと、経験して理解しているのでは格が違います。
次に少なくとも生命の生や死について誰から促されることもなく
現実の事として自発的に考える機会になります。
この平和な世の中
頭の中では、今生きているのは現実で、これから起こることも現実だってわかっているのに
心の何処かで、これは夢かもしれないと思っているような人もいるかもしれません。
死というものは、人間の精神をより現実に引きつけます。
現実はゲームじゃない、やり直しが聞くことばかりじゃない
たった数センチ体に切り目が入っただけで命は消える事もある
そして、それは自分も例外ではなく、地球上にある無数の生命の一個でしかない
理解できたのならば愉快だというだけで、命を摘み取るような悲しい人間を作り上げないことには貢献できると思います。
生体解剖は、ついさっきまで自分の目の前で動いていた生き物を殺して行うものですから
これ以上に生き物の死を身近に感じることはないと思います。
戦争や事故のほうが死をリアルに感じることができると言うかもしれませんが
私も含め平和ボケした日本人は戦争などで人が死んでも、交通事故で死んでも
生命とはこういうものだと、まともに捉えることのほうが難しいと思います。
知らぬ間に居なくなった
その程度の認識が限界かと思います。
事故や戦争の当事者でないのならね。
第一、そんな危険なことは誰しも好き好んでやりはしません。
親なら、そんなことは我子にはさせたくはないでしょうし。
本当は人間には予想する、想像する力があるのだから
生物の死とはどういうものかを想像して理解するのがベストだとは思いますが
前述しているように、頭でわかっているのと、経験して理解しているのでは根本的に性質が違います。
現実に愉快犯だとか道徳性の乏しい、無関心な「心の貧しい」人が居るわけで
戦後日本は自分には無関係だとか、失敗することを恐れて
何事にも無関心な人を決して少なからず生み出してしまいました。
興味を持つ力、創造する力が弱くなっていると言うのは人類として退化しているのではないでしょうか?
と、個人的に思ってしまいます。
テキトーに考えてるから愉快犯なんてのが出てくるんです
テキトーではなく適当に
死というものを「夢のような遠いこと」みたいにではなく
それは現実に今も起きていて自分も何時そうなるかもしれないし
意外に簡単にそれは起きて、そうなったものは二度と戻ってはこない
と認識するだけでも
そんな「心の貧しい」人たちを生み出すこと少なくすることができるんじゃないでしょうか?
オフトピ気味ですが、死を知ることで少なからず自分の中で死に対する準備ができるので
死を意識することは悪いことだとは思いません。
それを悪いことなどと言ったら末期患者や家族へのホスピスケアなんていりませんよね?
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--
Re:情操教育と死 (スコア:1)
ご期待に沿わないコメントをあげたことはお詫びします。
言葉のすじから推測するに#137792 [srad.jp]のACと同一人物のようですね
>どこらへんがどう情操教育になるのか、じっくり聞こうじゃないか。
貴方はどこで「家族でやる意味など」と言う単語を出したでしょうか?
貴方的には私が流れを読めなかったというような判断らしいですが
#137792 [srad.jp]のコメントだけで貴方の希望する答えをはじき出すのは困難かと思います。
#137350 [srad.jp]にしても 「家族でやる」なんて単語は出てきませんし、kamuy氏の意向はどうだか知りませんが
家族でやる教育だけが情操教育だとも思えません。
そして死を考えることが情操教育にどう結びつくかを理解できなかったのですか?
まず、自分の希望する答えを求めるならば、もっと真っ当な聞き方をしたほうがいいと思いますよ
少なくとも自分の頭の中にある考えだけで相手に答えを求めないほうがいいと思いますよ
それとも何ですか、貴方は根本的にコミュニケーションの仕方が私と異なる人種なのですか?
売り言葉に買い言葉ですが、貴方も私と一緒で小学からやり直したほうがいいのでは?
--労使曰く、ひとごとを尽くして神頼み--
Re:情操教育と死 (スコア:2)
ココでAC氏が言わんとしている [srad.jp]のは、
「子供に対して親を(家族)を殺害させることが情操教育になる訳がないだろうが」
ということではないかと。
この点については私も賛成です。こんなコトをしたって、膨大な量のトラウマ持ちの子供と、ごく少数の境界を跳び越えてしまった「化け物」を生み出すだけですよ。
対して、AD氏の発言 [srad.jp]はコメントの繋げ方によって「情操教育としての親殺し」を積極擁護し、「親殺しによる情操教育というモノの是非を問う」AC氏のコメントに反論しているように見受けられます。
そのような流れが見えることから別口のAC氏のコメント [srad.jp]では「流れを読め」と。「家族でやる」コトの意味を、分かり易く書くなら「家族を殺る(やる)」コトにより得られる情操教育としての意義を、説明して見せよ、と。
#無理矢理深読みすれば
#「小学校に戻って、実際に親を殺して、それから反論してみせろよ」
#と仰有ってるのでしょう。
これに対して
>家族でやる教育だけが情操教育だとも思えません。
とのことですが、コレを見てやっと勘違いに気付きました。
AD氏は
「家族で(家庭内で)の教育だけが情操教育なのか?」
と仰有りたいのでしょうか。
AC氏はそんなことを言っているのではなく、一貫した主張として
「家族を殺害することが、子供情操教育だという考えは間違ってるだろうが」
と、こう言ってるのです。
「ヤル」という言葉を「殺る(殺害)」と読めるか「やる(実施・実行)」としか読めないかの違いってコトですね。
まさに、コミュニケーション手段の相違と言うことで。
最後にAD氏に一つ質問。
子供が自らの親を殺害することを、情操教育の一環として採用しますか?
情操教育と言うことで、あなたは自分の親を生きたまま解剖できますか?
#このコメント、やりすぎだと思うが、まあ、マイナスされるのも覚悟の上だしな。
#…でも念のため下駄をカマしておこう(爆)
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Re:情操教育のために (スコア:0)
これで安易に人を傷つける、もしくは殺す人が減るか増えるかは知りませんが。