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Utah州成立とFrank Edward McGurrin」記事へのコメント

  • >黛治夫の『タイプライターのキーボードについて』(実務と用字, 第3号 (1962年3月), pp.2-16)が

    安岡様。この人って、旧日本海軍士官の「あの人」じゃなかったですか?
    ほら、「真珠湾攻撃をやらずに戦艦中心の艦隊決戦で戦えば勝てた」という説を戦後に発表した・・・
    同姓同名の別人でしょうか?
    • 『海軍砲戦史談』(原書房, 1972年8月)を書いた黛治夫ですね。同一人物の可能性がかなり高いと思います。というのも、この『タイプライターのキーボードについて』の中で「海上自衛隊のキーボード」を説明してるところ(p.7)があって

      1954年(昭和29年)暗号テレタイプライターと事務用タイプライターのキーボードとして三阪儀一海佐の指導により,黛治夫が研究に当たった。
      この黛治夫は1954年時点で海上自衛隊にいたわけですから、海上自衛隊術科学校砲戦術講師だった黛治夫と同一人物の可能性が高いと考えられます。ただp.16では

      (まゆずみ・はるお:ローマ字会員,カナモジカイイン,タイプライター研究家,本会評議員)
      としか書かれてなくて、砲戦の砲の字もないので、もし海上自衛隊に同姓同名がいたらアウトです。うーん、1962年時点で実務用字研究協会の評議員をやってたと同時に、ローマ字会やカナモジカイにも関係してたわけだから、そのあたりをもうちょっと調べれば何か出てくるかな…。
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      • by yasuoka (21275) on 2008年03月01日 23時05分 (#1305877) 日記
        もうちょっと調べてみました。で、いくつか黛治夫の原稿を見つけたのですが、やはり同一人物だと断定していいと思います。わかりやすいところでは、『実務に結びついた教育を』(実務と用字, 第3巻, 第8号 (1964年8月), pp.7-8)を書いたタイプライター研究家の黛治夫は、肩書が

        (本会評議員・極洋捕鯨KK技術顧問)
        となっています。これに対して、大和に乗り組んでいた黛治夫は、『艦長砲談 ― I』(兵器と技術, 第241号 (1967年6月), pp.41-49)の中で、自らの経歴を

        昭和29年頃は、横須賀にあった海上自衛隊の術科学校で砲戦術を講義したし、32年から約10年間、捕鯨砲の射撃を研究したり、砲手を訓練したり、銛や信管や射撃装置の設計に関係したり、砲に縁のある仕事をした
        と記しており、捕鯨に関与していたようです。さらに、吉永昌一(青梅スポーツ編集長)の紀行文 [exblog.jp]は、これらを補完しています。タイプライター研究家だった黛治夫と、砲戦術講師だった黛治夫は、同一人物とみて間違いないでしょう。
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        •  調査ご苦労様です。
           黛治夫氏が戦後自衛隊で仕事をしていたことぐらいは把握していましたし、元砲術科士官が捕鯨砲の開発にかかわることぐらいは予想の範囲内ですけれども、タイプライターにまでかかわっていたとは意外でした。
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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall

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