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1954年(昭和29年)暗号テレタイプライターと事務用タイプライターのキーボードとして三阪儀一海佐の指導により,黛治夫が研究に当たった。
(まゆずみ・はるお:ローマ字会員,カナモジカイイン,タイプライター研究家,本会評議員)
(本会評議員・極洋捕鯨KK技術顧問)
昭和29年頃は、横須賀にあった海上自衛隊の術科学校で砲戦術を講義したし、32年から約10年間、捕鯨砲の射撃を研究したり、砲手を訓練したり、銛や信管や射撃装置の設計に関係したり、砲に縁のある仕事をした
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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
黛治夫は戦艦大和の砲術長では? (スコア:1)
安岡様。この人って、旧日本海軍士官の「あの人」じゃなかったですか?
ほら、「真珠湾攻撃をやらずに戦艦中心の艦隊決戦で戦えば勝てた」という説を戦後に発表した・・・
同姓同名の別人でしょうか?
Re: 黛治夫は戦艦大和の砲術長では? (スコア:1)
黛治夫に関して (スコア:1)
Re:黛治夫に関して (スコア:1)
黛治夫氏が戦後自衛隊で仕事をしていたことぐらいは把握していましたし、元砲術科士官が捕鯨砲の開発にかかわることぐらいは予想の範囲内ですけれども、タイプライターにまでかかわっていたとは意外でした。