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アメリカでは結構古い本が課題に出されてますね。日本だとどんな感じなんでしょう。
江戸時代の石門心学 [ehle.ac.jp] (商人道徳)とか、和俗童子訓 [nakamura-u.ac.jp] (教育論)とかは、時代にそぐわない部分があるにせよ現代に通用する部分が多いので、読まれていてほしいなぁ。あと自由とは何かを説いた福澤諭吉の学問のすすめ [wikisource.org]も。
「はじめてのC」
K&Rじゃないの?
さすがにネタでも K&R で C を勉強して欲しくはない。今時、使い物になら無いと思う。
いまどきポインタがどうとかナンセンス(知っておいて損はないけどね**)
経済思想では、国際労働局次長フェルナン・モーレット著の日本の産業的発展の社会的形相 [ilo.org] (1935年、機械化合理化万歳な本)や、デミング哲学 (品質管理手法)の書が読まれていてほしい。
たぶん慶應では、福澤先生の「学問のすすめ」は必読なのでしょうね。
アメリカのそれに並べようとするなら、江戸時代の本なんかじゃなくそれこそ四書五経その他の漢籍が読まれないと……となりそうなもんだけど、国文学科でもないと読みませんよね。
そこらは今じゃ余り役立たないような…。
「學問とは唯むつかしき字を知り解し難き古文を讀み和歌を樂み詩を作るなど世上に實のなき文學をいふにあらずこれ等の文學も自から人の心を悦ばしめ隨分調法なるものなれども古来世間の儒者和學者などの申すやうさまであがめ貴むべきものにあらず古来漢學者に世帶持の上手なる者も少く和歌をよくして商賣に巧者なる町人も稀なりこれがため心ある町人百姓は其子の學問に出精するを見てやがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり無理ならぬことなり」
福澤諭吉『学問のすすめ』より
そりゃ諭吉から見れば、論語なんぞ時代遅れの武家社会用の朱子学イデオロギーなわけで、(明治の)社会には無用無益と見えても致し方ないか。でもそれは江戸を否定した明治という時代背景も影響してるわけで、今現在の我々にとっての価値はまた別の話ということでね。まあギリシャ哲学の体系性に比べるとさすがにちょっとね、という気はしますが。あとお札繋がりで言えば新渡戸くんの「武士道」とか読むと日本人の倫理観は明治以降も実は大して変化せず、むしろ武家社会が会社社会へスライドしただけのようにも思えるのです(今でも不祥事が起きるたびに誰かが切腹させられてるでしょう?)。そのことの良しあしは別として。
実学じゃない学問やるな、大学は企業に貢献する人材作れっていう勢力の源流はここにあったのか……
実学優先の源流は正にここです。純粋な科学的精神が欠けてる嫌いはありますが、時代が時代なのでそれは仕方ないでしょう。
# 戦前の「科学(的)精神の涵養」は西洋の科学者の偉人伝で行っていたと記憶。
やるなとは書いてない。なぜそう極端に走るのか……
「やがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり無理ならぬことなり」とあるのを「やるな」と解釈するのは無理ならぬことと思われるけど。
儲からないから親が心配する→やるななの?儲かる方法を結びつけるとか他に儲ける手段を持つとかあるじゃない。
単に事実を述べただけかと。その部分の元ネタは多分これ。
「親父尤もと点頭(うなず)き子息を呼び付け、汝学問立をして、商売の道を脇にするのは大きなる誤り、其上儒道を学ぶ者が、夕べも茶屋へ行きて夜半八つに帰り、己れが酒機嫌に任せ、湯の水のと寝て居る家来共を起し、たわけを尽すが儒者の教へか、論語読みの論語知らずめ、重ねて書物を止にして、帳合を大事に掛けよと、額に皺を寄せて叱からるゝ詞の下から、子息は又物知顔を止めず、父為レ子隠子為レ父隠直在二其中一といふは孔子の語なり、
「理科系の作文技術」
知ったのは卒論時だったが
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
日本ではどうなんだろう? (スコア:1)
アメリカでは結構古い本が課題に出されてますね。日本だとどんな感じなんでしょう。
江戸時代の石門心学 [ehle.ac.jp] (商人道徳)とか、和俗童子訓 [nakamura-u.ac.jp] (教育論)とかは、
時代にそぐわない部分があるにせよ現代に通用する部分が多いので、読まれていてほしいなぁ。
あと自由とは何かを説いた福澤諭吉の学問のすすめ [wikisource.org]も。
Re:日本ではどうなんだろう? (スコア:2, すばらしい洞察)
「はじめてのC」
Re: (スコア:0)
K&Rじゃないの?
Re: (スコア:0)
さすがにネタでも K&R で C を勉強して欲しくはない。
今時、使い物になら無いと思う。
Re: (スコア:0)
いまどきポインタがどうとかナンセンス
(知っておいて損はないけどね**)
Re:日本ではどうなんだろう? (スコア:1)
経済思想では、国際労働局次長フェルナン・モーレット著の日本の産業的発展の社会的形相 [ilo.org] (1935年、機械化合理化万歳な本)や、デミング哲学 (品質管理手法)の書が読まれていてほしい。
Re:日本ではどうなんだろう? (スコア:1)
たぶん慶應では、福澤先生の「学問のすすめ」は必読なのでしょうね。
Re: (スコア:0)
アメリカのそれに並べようとするなら、江戸時代の本なんかじゃなくそれこそ四書五経その他の漢籍が読まれないと……となりそうなもんだけど、国文学科でもないと読みませんよね。
Re: (スコア:0)
そこらは今じゃ余り役立たないような…。
「學問とは唯むつかしき字を知り解し難き古文を讀み和歌を樂み詩を作るなど世上に實のなき文學をいふにあらず
これ等の文學も自から人の心を悦ばしめ隨分調法なるものなれども古来世間の儒者和學者などの申すやうさまであがめ貴むべきものにあらず
古来漢學者に世帶持の上手なる者も少く和歌をよくして商賣に巧者なる町人も稀なり
これがため心ある町人百姓は其子の學問に出精するを見てやがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり無理ならぬことなり」
福澤諭吉『学問のすすめ』より
Re: (スコア:0)
そりゃ諭吉から見れば、論語なんぞ時代遅れの武家社会用の朱子学イデオロギーなわけで、(明治の)社会には無用無益と見えても致し方ないか。
でもそれは江戸を否定した明治という時代背景も影響してるわけで、今現在の我々にとっての価値はまた別の話ということでね。まあギリシャ哲学の体系性に比べるとさすがにちょっとね、という気はしますが。
あとお札繋がりで言えば新渡戸くんの「武士道」とか読むと日本人の倫理観は明治以降も実は大して変化せず、むしろ武家社会が会社社会へスライドしただけのようにも思えるのです(今でも不祥事が起きるたびに誰かが切腹させられてるでしょう?)。そのことの良しあしは別として。
Re: (スコア:0)
実学じゃない学問やるな、大学は企業に貢献する人材作れっていう勢力の源流はここにあったのか……
Re: (スコア:0)
実学優先の源流は正にここです。純粋な科学的精神が欠けてる嫌いはありますが、時代が時代なのでそれは仕方ないでしょう。
# 戦前の「科学(的)精神の涵養」は西洋の科学者の偉人伝で行っていたと記憶。
Re: (スコア:0)
やるなとは書いてない。
なぜそう極端に走るのか……
Re:日本ではどうなんだろう? (スコア:1)
「やがて身代を持崩すならんとて親心に心配する者あり無理ならぬことなり」とあるのを「やるな」と解釈するのは無理ならぬことと思われるけど。
Re: (スコア:0)
儲からないから親が心配する→やるななの?
儲かる方法を結びつけるとか他に儲ける手段を持つとかあるじゃない。
Re: (スコア:0)
単に事実を述べただけかと。その部分の元ネタは多分これ。
「親父尤もと点頭(うなず)き子息を呼び付け、汝学問立をして、商売の道を脇にするのは大きなる誤り、
其上儒道を学ぶ者が、夕べも茶屋へ行きて夜半八つに帰り、己れが酒機嫌に任せ、湯の水のと寝て居る家来共を起し、たわけを尽すが儒者の教へか、論語読みの論語知らずめ、
重ねて書物を止にして、帳合を大事に掛けよと、額に皺を寄せて叱からるゝ詞の下から、子息は又物知顔を止めず、
父為レ子隠子為レ父隠直在二其中一といふは孔子の語なり、
Re: (スコア:0)
「理科系の作文技術」
知ったのは卒論時だったが