hisao9105 (23755) の日記

2021 年 07 月 12 日
午後 09:29

教え魔被害について

ニュース

文春の記事の「教え魔」被害という話について
https://twitter.com/bunshun_online/status/1414042647912534019

「女性がターゲットに」と強調してハラスメントや性被害との関係を匂わせているけど、

実際これ性別あんま関係ないよね。

というのもかくいう自分がジムとか講習会みたいなのに参加すると話しかけられたり頼んでもいないのに指導始めるよくわからない人々に当たる事が結構あって。
見た目チンピラみたいなおっさんなんだけどな自分。

ついでに言うとこういう教え魔って確かにほぼ男なんだけど、年齢はばらついてる印象があるわけよ。
若い兄ちゃんとかが近寄ってきて「もっと反動抑えてやったほうがいいっすよwwww」とか唐突に指導し始めたり。
いいんだよこっちは格闘技の練習の補完でやってんだから。特定の筋肉じゃなくて全身の連動メインでやってんだから。

ともあれ。

勿論若い女目当てのそういうおじさんもいるんだろうが 大体の場合そういう教え魔を引き寄せる体質の人が男女関係なく一定数いて、その人たちが放つフェロモン的ななんかに群がっているのではないかというのが私の見解だ。

…という事を友人に話したら「それゲイの人が寄ってきてたんじゃね?」という指摘を受けてその観点はなかったわー。今気づかされたわー。

ってなっていた今日の自分。

2021 年 07 月 11 日
午前 09:52

戦前の教科書

教育

仕事とは別に、個人的な頼まれ事で雑多な資料を当たったりして簡単なまとめを行うという事をしている。
今日は戦前の教育資料、ということでデジタルライブラリで教科書をあたっている。
https://www.nier.go.jp/library/textbooks/K220.html
過度のネット依存やカバーストーリーなどを利用した情報の隠匿やミスリード、扇動への警戒が叫ばれる昨今だが、こういう時ばかりはインターネットの恩恵を存分に受けているなと実感する次第だ。

そんなわけで戦前の教科書だが、
今でもある教科もあれば現代より統合もしくは細分化されて様相が違う教科もあり、そしてよく左巻きの人たちがブチキレている修身や当然のように列されている「軍事科学」など時代を感じさせる教科もあり。
個人的に面白かったのは気象と火器・化学兵器かな。現代ではあまり習わないような知識が列挙されている。

やはりというか戦後教育と教育・育成の方向性が大きく違える事が確認できる。
感じたのは教科設定自体には明確にその先の大目的が存在していて、悪く言えば全体統制(現代教育にも別の形でみられるが)、良く言えば一本芯が通っているという一方で、内容自体については頭を使わせる・考える力を伸ばすという方向性が見て取れ、戦後からの知識偏重教育とは隔たりがあるという点。

そして何しろレベルが高いなという事。
これは列強なりますわと。そして復興できますわと。納得の水準の高さだと。むしろこっちの方が実用的だよなと。俺たちが受けてきた教育は一体何だったのかと。

ともあれ、ここまで歴史と文明を紡ぐ力となった教育。そこに万感の敬意を表して事に当たろうと思う。

2019 年 04 月 27 日
午前 11:56

所謂「お辞儀」論争について。

日本

ネットでよく見かけるのだけれども「変な形の礼が広まっている」という言説がある。根拠に立脚したものから珍奇なガセネタまで様々だが一通り観た上で思うところがあったので書いてみる。

まずよく叩き台に挙げられる「手を前に組んだお辞儀」だが、これは女性に限り間違いではない。
バッグを肩に掛けている場合や洋装他下半身が広がる恐れのある服等状況に応じてこういったお辞儀をするのは正しい選択だ。ついでにいうと朝鮮式のお辞儀だというのは基本ガセだ朝鮮には元来頭を垂れる礼をとる文化は無く今能く見る型は近代以降の創作による可能性が高い。三跪九叩頭を例に挙げる人もいるがあれは「羞恥を捨てて服従する」という故事で少なくとも日本の通念としての礼ではない。
つか普通に考えて頭下げるのを屈辱だと捉えている文化で頭下げる礼が広まるわけがないだろ頭使えと思うのが本音だ。

次に正しいとされている礼についてだが諸流派それぞれが形を提示しているわけだが肝要なのは「敵意がないことを表す」形だという点。
ちゃんとしたお辞儀の例によく使われる小笠原流や他にもみられる両手だらりの型は着物が云々という説明が成されることが多いが元々「腰の刀に手を掛けていない・手之内に暗器や武器を持っていない」という意味合いのもので即ち武士の文化の残滓だ。
因みに私が遣う剣術では本式の礼は勿論鞘刀を右に持っての礼だが帯刀したままの略礼の場合右手の手のひらを柄の上に晒して置き左手は下げて頭を垂れるか形を執る。ソシアルダンスの礼や執事の執る礼の姿を想像してもらうと分かり易いかもしれない。ともあれこれで「一挙動で抜刀できない=斬るつもりがない」と意思表示をする訳だ。

そして本当に大事なことは「礼儀とは双方向の物である」と思う点。
勿論由来の定かで無い、もしくは所謂朝鮮式の作法を本式の礼儀と教えている所はあって個人的に不愉快に思うのも本音だが、他方で「人が礼を執っている」という事実に対して難癖をつけるのは無粋であると思うのも本音。
主に西洋人の旅行者が本来であれば神仏や死んだ人間に対しての礼である両手を合わせたお辞儀をよくするがあれで不快に思う人間は少ないだろう。
少なくとも礼を執られたならそれを受け入れ礼で返すのが和魂であると思っている。

長々と書いたが要は礼の型も勿論大事で間違った礼やおかしな「正しい作法」を敢えて広めたりすることはダメだが、それ以上に礼を執られたら批判せずに礼で返す精神が大事だと思っているという事だ。
特に昨今外国人が日本に来ることも日本人が海外で活躍の場を得る事も珍しく無いわけで、だからこそ形だけではなく礼の概念と込められた心を理解し表現する事が求められていると強く感じている。

2017 年 11 月 11 日
午後 09:26

何でもかんでも規制すればいいってもんでもないだろうという話。

Twitter

ツイッターやってないので自分に利害はないんだけれども、これはちょっと横暴だと思う。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/10/zamashi9_a_23272808

今回の件でツイッターを見せしめにして歯止めをかけようとしている(という建前)なのだろうけれども、こういったケースの重要な所は「そういうことをする人間がツイッターをたまたまツールとして使ってた」っていう点であって。

たとえばツイッターがなくなってもFB含めて他のツールを使って同じようなことはおきるし実際に昔から起こっていた。90~00年代に流行った自殺サークルだとか、その前はパソコン通信だとか雑誌の欄に符丁使ってだとか、更にさかのぼると宗教団体だとかグループだとか作って勧誘したりだとか。

要は人間が他者とコミュニケーションとる限りそういったリスクは絶対にゼロにはならないし逆に完璧な「規制」かけるのならそこには「個々人間の繋がりの完全な分断」が待っているわけで、そんなものは文明社会とはいえないわけで。そしてそれでも「そういうことをするヤツ」というのは困らないわけで。
割り食うのはルール守って使っている/いたまともな側の人間だ。

もっといえば根本にある理屈が「手を怪我するからカッターや鋏を無くしましょう」みたいなキチ親のそれと似てる様に感じられて感情的にも同調できない。

この件だけでもなく、また日本だけでもないけれど、最近の各国の「規制ラッシュ」にはどうにものれない。規制/禁止したところでこういった犯罪がなくならないのは上で述べたとおりだし、むしろ新しい技術やモノが産まれ文明が発達発展していく上で害悪にしかならない。

ツイッター等のツールだけではなくて特定の金融商品だとかモノや技術だとか。見ていると「難癖つけて潰したいだけなんじゃねぇのか」と勘ぐってしまう位妙な話が多すぎる。

人がつくりしモノならば人を援けることが出来るはず。
必要なのはモノを禁じる事ではなくて使い方を教育して人がそれを良いコトに使うようにレールを敷いていくことだと考えている。

2017 年 01 月 21 日
午前 09:31

メルボルンで起きた事件について。

オーストラリア

メルボルンで、凄惨な事件が起きた。
http://www.news.com.au/national/victoria/news/pedestrians-injured-as-police-chase-erratic-driver-in-melbourne-cbd/news-story/44a14994486d72e60fd7bb27f7a1bf1f
男が車で歩道を人を轢きながら走行、記事の時点で3人が亡くなり20人が負傷。死傷者には幼い子供も含まれている。
7所属のレポーターのPaul Kadak氏は自身のツイッターで犯人の足跡を解説している。
https://twitter.com/PaulKadak/status/822306684139749376/photo/1?ref_src=twsrc%5Etfw
報によれば男は精神疾患とドラッグ使用の経歴があり暴力事件を起こしている。又、この事件の前日から親族の刺傷や人質を取っての車内立てこもり等複数の別の事件を続けて起こしており警察もマークし追跡していた所に起きた事件であったという。

亡くなられた方の御冥福と負傷者の早い早い回復を祈る。
日本でも類似した事件が起きているが、どうにか出来ないのかと勤に思っている。

2017 年 01 月 18 日
午後 08:06

APAホテルの騒動についての所感。

日本

話題になっているAPAホテルの件についてのAPAグループの見解。の、英語版。
https://www.apa.co.jp/newsrelease/8467
日本語と差異がほぼ見られ無い事から事を構えるのも厭わない姿勢を海外に向けても改めて示した形になる。
母国語版と他国語版で趣旨を微妙に変えたりする企業が多い中、事の是非は別にして表裏の無さだけは凄く伝わる。其の点は正直尊敬する。

何しろ見方によって全く異なる事が言える此の騒動、思った事は幾つもある。

先ず思い当ったのは、自分自身以前APAホテルに泊まった事が有るけれども、その時は本に気付かなかったという事。
合せて、APAの経営者が保守というか右寄り思想の持ち主だというのは結構前からネット中心に知られていた事で、自分も知っていたし又世間に広く知られている事であると思っていたので今になって炎上したのは意外だったというのが正直な所だ。平たく言えば自分にとっては今更感が強い話ではある。

気になったのは、APAホテルは今迄海外からの宿泊客を相当数受け入れているはずなのにこの本が今まで全く問題にならなかったという点。
動画に見られる書籍を検索すると2016年の6月に出版されている。APAが全国で述べ2万室を保持しているという事。出版された時点でこの本が客室に配備されたと仮定して、ホテルの稼働率が平均75%、それに部屋のタイプ等他の要素を加味すると、あくまで推定だけれども、この書物はこれまで国内外問わず最大で400万人前後の人の目に触れてきている事になる。御丁寧に日本語と英語で書かれているのに、このカップルが気付くまで今の今までスルーされて来たというのは不思議という他無い。

その上でだけれども、歴史問題の主張には理解、共感できる部分も多々にあるのだけれど一方で接客業としては職業倫理に悖ると感じる。そして実存として不快に思う人は多いであろうと思う。
日本が他国と抱える諸問題の内、殊に南京に代表される戦争に係る問題については信頼性の低い証拠や虚偽の証言に因る捏造や歪曲が行われているという点については事実であるし、それに拠って日本や日本人が不利益・被害を被っており打開すべき問題だとする考え方には共感する点も非常に多い。
しかし同時に接客において主義や思想を前面に押し出すというのは受け入れられる事では無い。恐らく昔シティホテル等に置かれていた変な和訳の聖書と同じ様に「備品です。強制はしません。もし宜しければ御暇潰しに。」という様な体で配備したのだと考えているが、今はそれでもクレームが付く世の中な上に内容が微妙な問題を扱った物だ。想定する客のうち一定数が不快に思う可能性の高い要素をわざわざ入れるという行動は接客業経験者としては肯定できない。
それに、実存として「日常を離れて外国を楽しく旅行してホテルに着いたらおもむろに右翼本が置いてあった」とか嫌だよね。
例えば日本人が海外旅行してホテル泊まったら「日本軍の蛮行」的な本が部屋に置いてあったら嫌なのと同じことだ。ていうか海外旅行で現地の人に案内頼むと昔日本軍が何かやらかした所を必ず一箇所は盛り込んできて、気持ちは分かるけど正直ちょっとウゼェという話と同じだよね。何か言ったら「反省してない」とか言われるの分かってるから神妙な顔作るよね。そして、それが分かっているから外国人が来た時に頼まれなければ原爆ドームにわざわざ連れて行く事もしないし、東京で飲んでて「ここら辺一体連合軍に爆撃されて一面焼け野原になって女子供中心に民間人がスゲェ死んだ」とか言わないし、それが日本人の良い所だよね。
日本に来ている内はケンカ吹っかけて来ない限りは楽しませてナンボだと思う。なのでAPA側はこの点については是正する必要があると個人的に感じている。

最後に、事の発端から経緯とメディアの煽り等、全体的に見て妙な炎上の仕方をしていると見受けられたのが気になった。
動画の投稿者の言い分を要約すると、ホテルの経営者の主義思想について自体やそれについての本が置いてあることに対する情報が知らされておらず、宿泊した客が自身と異なる主義思想に知らぬうちに加担させられたとして心情を害するという点が問題提起されたという事になる。
勿論本の内容についての批判もされてはいるし微博に投稿してる時点で炎上させるつもりだったのだろうが、基本的には「特定の思想や主義に断りも無く加担させられ得る要素」に対する是正を求めているわけだ。自由を求めていると言い換えても良い。
それが現時点ではAPAの経営者の歴史観や日本に対する批判とそれに徹底抗戦する構えを見せるAPA側、という構図になっている。批判しているのも中国人と韓国人の動画視聴者が大半だ。宿泊客であったかも分からないし、そもそも日本と関係が無い人が大半であろう。流石に視聴者延べ8千万人全員が日本に来てAPAに宿泊したとは考えられない。
つまり論点も争っている人も目的も全部が成り代わってしまっている。
これでは当初の目的とはほぼ無関係な諍いが落着する点も無く無意味に続けられる事になる。投稿者が動画で提起した問題や俺が思った事に対して是正や改善が成される事は無い。
誰の目的も願いも達されずただ続けられる争い。非常に無益である。

所感として、この騒動においては、先ずノイズを取り除き問題の根本を見直す必要があり、その上で提起された問題について是正・改善が成されるべきであると考える。具体的には、そもそも「主義・思想自体への批判」はお門違いなのだから中韓の視聴者の批判は一旦無視し、問題の根本である「主義・思想に対する接触の強制」については客室に争点となった本を置く方式について周知の徹底なりカウンターでアメニティーとか新聞とか渡す様に選択制に変更なりすれば解決するのではないだろうか。こんなの簡単に直ぐできるよね。金もかからない。何でこんな派手に炎上してるんだろうね。

願うのは日本を旅行している人が楽しく日々を過ごす事と、APAホテルには是正しつつ謂れの無い批判には屈せずより良いサービスを提供してもらえる事、そして少し安い宿泊プランが登場する事。

この、正直下らない諍いが溝を作らないことを夙に願う。

2016 年 12 月 21 日
午後 12:21

ネットアクセスの統計について。

インターネット

スラッシュドットから。ネットアクセス数の統計についての記事。携帯端末からのインターネットへのアクセス数がPCからのそれを上回ったという。
http://it.srad.jp/story/16/12/20/0640246/
珍しい事の様に書いてあるけれど、日本だと昔からではないだろうか。

例えば私は今30代。初めてネット使ったのはi-modeから。当時(90年代後半)は家にPCがある家庭自体多くなく、PC用のネットもダイヤルアップで遅かったし料金も高かったしでまだ一般的ではなかった。

元々PCを使うような仕事や趣味を持っている人を除いて、現在の様に一般家庭にPCがありネットが通常の生活に本格的に介入するようになったのは長く見積もってもここ10年ほどの事かと思う。
行政等の公共サービスもこの頃からウェブに移行し始めた。けれどその頃はケータイの全盛期、携帯からのネットサービスも更に発達していてケータイで何でも出来ると良く聞いた。「良く聞いた」というのはこの頃留学してて日本にいなかったので経験してない為。現地のNOKIAの携帯はクソショボかったが、ネットブックのような小型ラップトップが凄く安く出回っていて(これ今は逆だよね。日本でPC買う方がどこよりも安かったりする)、PCでネットアクセスがメインだったので困りはしなかった。あとチープな音源で奏でられるNOKIAトーンは好きだった。

2010年代はやはりスマホの普及と地震等の災害が影響を及ぼしていると思う。取れ立ての情報が即時拡散。そして情報を入手するのに座して待つ必要が無い。要は時世において弱点よりも利点が強調されているわけだ。

結局日本の場合だと早い段階から携帯機器からネットアクセスできる機構が発達していたのと情報の発信取得についてスピードとポータビリティが要求される土壌が元からあった点、付け加えるならばPCで何か弄る文化が大衆に浸透しなかったのがネット利用について独自の状況を作る要因となったと考えている。

いずれにしても最初に触れたネットが携帯端末用のサービスでPCからネットを使わないという人は今も昔も相当に多いと思う。

2016 年 12 月 06 日
午後 04:28

ブラックフライデーの記事について。

日記

先日記事を書いてから暫くほかっていたのだけれども日記開けてみたら
何か凄え量のコメントついてて。
どうやら俺のタレコミが採用されて日記を元に記事が書かれたという事の様。
https://srad.jp/~hisao9105/journal/607796/
これは一言書かないといかん。

先じまして皆様コメント頂き有難う御座います(俺宛ではないかも知れないけれど)。本来であれば一つ一つ返信させていただくのが礼儀なのでしょうが、諸所の制約から割愛させていただきます。御無礼の程御容赦下さい。

ざっとコメント読みましたが、真摯なご意見や批判、ラーメンに揚げ物にゴルゴムの陰謀論、果ては色の印象への批判にお菓子とプリキュアが応戦していると言うカオスっぷり。
これがカルマを貯めるという事なのかと戦慄しています。

さて、既に過ぎたブラックフライデー。記事も書いたのでやっている所回ってみたのですが、イオンは微妙というか中途半端、ネットは割と頑張っていたという印象。
元々が在庫一掃セール的な意味合いが強い慣習ですが日本でも大体同じ。定着もしていないイベントなので大盛り上がりはしないけれど、事の始まりとしてはこんなもんかな、というのが正直な感想です。

サンクスギヴィングと関連付けて批判するコメントが見受けられましたが、実際この行事を良いなと思ったのは宗教色が薄いからというのもあります。

例えばクリスマス。日本では(間違った方向に)定着していますが、何だかんだで祝わない人が一定数居ますし、何より今の日本では「クリスマスを楽しめる層」からあぶれる人が非常に多い。
家族も恋人も居ない所に「クリスマスが今年もやってくる~♪」地獄です。
対してこの行事は元々が商業主導で「感謝祭も終わってキリが良いし皆で在庫一掃セールやろうぜ」みたいなノリで始まったモノで、そもそもがセールの名目に行事使っただけなので例えば非基督教徒でも関係なく参加する事が出来るイベントに出来るのではないかと思ったので日記に書いてみた次第です。

確かに欧米のイベントを猿真似してマッチポンプ式に人工的に流行を作るというのは時代遅れだし抵抗感を喚起すると思いますが、皆が楽しめて景気が良くなるイベントになる可能性があるのも事実。
ならば芽を潰すよりも伸ばすべきだという考えの元「歓迎している」と日記を書きました。

重ね重ね皆様コメント頂き有難う御座います。今後ともヨロシクお願いいたします。

午前 08:43

戦い方について。

オーストラリア

https://www.youtube.com/watch?v=VqegUq4qwnQ
オーストラリアのニュース。
飼い犬がカンガルーに捕らえられている所に飼い主参上。
カンガルー殴って追い払ったという記事。

カンガルーと戦うのは危険だという注意書きが載せられているけれども。

殺到の後威嚇しアグレッサーの注意を引き保護対象から意識を逸らさせる。
素早く戦闘状態に移行、先制を取って牽制し保護対象の非難を確認次第離脱。
一連の動作が自然かつ無造作に行われている。

こう書き出してみると「戦い方の御手本」みたいな行動様式なわけだ。

短い映像だが学ぶ事の多い一本だったと思う。

2016 年 11 月 25 日
午後 12:10

暗黒金曜日(厨2病的和訳)

ビジネス

日本でブラックフライデーを定着させようという動きが見られる。
http://www.appbank.net/2016/11/24/iphone-application/free-application/1280658.php

ブラックフライデーというのはアメリカの習慣で、元々は感謝祭の週の金曜を指し、クリスマス商戦の始まりとしてイベント化したセールの事を言う。詳しくはWIKI参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%BC_(%E8%B2%B7%E3%81%84%E7%89%A9)

小売主導の動きで去年あたりからやっていた所もある様だが、今年から特に大手が乗っかっていてそこかしこでセールの告知を見かける。何しろやたら安く品を出してる所もあり、消費者としては嬉しい事だ。

この動きを個人的には歓迎している。

消費が冷え込んでる所に打開策としてイベント持ってきて流行らせて活気付ける。ハロウィンもそうだけれど、何かを活性化させる為の方策に「面白そう」「楽しそう」という価値・属性を付加させるのは正しい事で、効果的だ。

経営といえば後暗い方策しか見聞きしない時分、これが大きな商業の動きになって脱却の為の起爆剤となれば嬉しい事だと思っている。

Stableって古いって意味だっけ? -- Debian初級

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