cooper (4658) の日記

2005 年 11 月 27 日
午前 11:07

クリスマスと案内嬢とサンタクロース

この前メディアージュを歩いていたら、インフォメーションカウンタに座っている二人の案内嬢が、サンタクロースの格好をしていた。

フェルト生地の赤い三角帽の先っちょには白い球がついている。ふわふわして柔らかそうだ。コートも赤で、襟や肩や袖などに同じような白いふわふわがついている。ミニスカにブーツだった気がする。簡単に言えば、サンタコスプレだ。

いつもならこういった場面に遭遇しても「関係ないね」とばかり、クールに通り過ぎてしまうのが常だったのだが、今回は違った。どういうわけか、満面の笑みでもって彼女たちのほうを見てしまったのだ。

僕の視線に気付いた二人の案内嬢も、完璧な「微笑み返し」で応えてくれた。以下、心の中で展開された会話。

僕:なんだよ、その格好はまだ早いんじゃないの? でも可愛いね
受付嬢:ふふふ、これ着るとウキウキして結構楽しいんですよぉ

どうやら随分とエロオヤジ化が進行しているようだ。

久々にログインしたので、未読のエントリが 100 も溜まっていた。すっかりご無沙汰な感じだが、またしばらくご無沙汰する気がする。

2005 年 10 月 23 日
午後 10:54

C++ Coding Standards

購入。

ざーっと斜め読みしたところ、C++ の「定番」と言えるテクニックが半分以上を占めていた。残りは、以前の常識や広く流通しているけれど時代遅れとなったテクニックに関するフォローや指針など。いずれも有用で、とてもためになる。現場の C++ プログラマなら必携だと思う。

黴の生えた知識をアップデートできそうだ。

2005 年 10 月 01 日
午後 01:59

健全な肉体に狂気は宿る

読了。副題は「生きづらさの正体」。

様々に変化する現代の生き方について、神戸女学院大学教授の内田 樹(たつる)と、精神科医の春日 武彦が対談した内容をまとめたもの。

とにもかくにも内田のリアルタイム言語化能力が凄まじい。それで「おお、こりゃすごいな」と最初は思うのだが、半分あたりまで読み進めるとその饒舌さが鼻につき、春日のじっとりとした「陰」の部分をもっと知りたくなってくる。だが結局最後まで内田は走り続け、春日はもっぱら「受け & 斜め突っ込み」というような役回りで終わってしまった。

例えば途中春日が、患者に掃除をするように勧めると結構効果があるという話をする。そこで読者としては、規則正しい生活とか、小さな「成功体験」の積み重ねがもたらす効果について語りたいんだろうな、というのがピンとくる。ところが内田は、掃除というプロセスから一気に離れ、暖かい、寒い、明るい、暗いといった環境が人に与える生理的な影響について語り出してしまう。

内田の話が一段落したあと、春日が再度「部屋の片付き度と頭の整理度はパラレルだっていう印象を強く持ちますねぇ(笑)」と軌道修正を試みるが、内田はさらりと流し、大きな窓から海が見える部屋がもたらす開放的な心理効果などに話を展開させてしまう。どこまでも噛み合わない。ずれまくりである。

ここに至り春日はついにあきらめ、内田の話に乗ることを選ぶ。しかし、巨大な窓があって開放的な部屋にこだわりがある内田に対し、「実は、部屋は暗いのが好きなんです(笑)」と返す下りには、率直さと同時に内田の単純な健康志向に対するささやかな抵抗も感じられる。こういった場面は他にもいくつかあり、その度に内田は「あれれ」という感じになるのだが、適当なタイミングで話の流れに補正をかける春日のバランス感覚は、読んでいて心地が良かった。

また、巻末に春日が書いた「握り拳の盆景と精神寄生体」という文章では、対談中は見えづらかった彼独特の「陰のある」精神世界を垣間見ることができる。小学一年生の頃、授業中に両手の握り拳で作った盆景に耽るエピソードなどはとても味わい深い印象で、この人もまた、内田とは違った意味で、凄まじい言語化能力の持ち主であることが良くわかる。

春日 武彦。ちゃんと覚えておこう。

2005 年 09 月 25 日
午前 09:23

オニババ化する女たち

読了。副題は「女性の身体性を取り戻す」。

思春期、月経、セックス、出産という経験がおろそかにされる現状を危惧し、女性のからだが持つエネルギーが適切に使われないのではないか? という疑問を投げかけ、自分の体を自分で愛し、しっかりと機能させることの大切さを説く。

男性にとっては月経も出産も経験しえないもので、具体的な感覚がわからない。ただ、毎月大変そうだなぁとか、痛くてかわいそうだなぁとか、そんな程度の認識しかない。周囲の女性でも、出産のほうは、まれに「良かった」という人がいるけど、月経はわずらわしいだけという意見しか聞かない。

この本では、そういったネガティブな視線を否定し、女性特有の経験を「本来必要で大切なもの」と肯定する。特に出産がもたらす深い経験については、男性でも羨しくなるくらい素晴らしいものとして描かれている。いいなぁ。

また、オニババや山姥などの昔話は、「妻や母」としての役目を果たせない独身の更年期女性が、世間の目を避けるように山に篭り、ときおり若い男を襲うことで性欲を発散していたことをベースにしているのではないか、という仮説も面白い。

日常的にセックスしなさいとか、もっと若いうちに出産しなさいとか、どことなく下世話な感もあるけれど、女性が読んだらとても元気づけられると思う。また、男性にとっても、パートナーのことをより良く理解するために有用。

やさしい気持ちになれた。

2005 年 09 月 22 日
午前 12:36

カミソリ

日本にも凄い政治家ってのはいるもんだなぁと、心から感心した、初めての人でした。

御冥福をお祈りします。

2005 年 09 月 18 日
午後 11:56

靖国問題

読了。

いろいろと物議を醸してる著作なので、こちらもガードを固めて読み進めた。

著者は、靖国神社を「哀しみを喜びへと変換させ、国民を戦争へ参加させるための政治装置」であることを明らかにする。また、新たな追悼施設を作ったとしても、それを利用する政治次第では、第二、第三の靖国神社になっていく可能性を鋭く指摘し、軍事力の放棄が不可欠であると説く。

非常に説得力がある考察だと思う。だがここでは、遺族感情が意図的に軽く論じられているように感じた。これだけ巨大な問題を扱う以上、個々の扱いが小さくなるのは仕方がないとは言え、いささか不満が残る。

「靖国の妻」に代表されるように、いつまでも「感情の奴隷」であり続けることは無益だ。だがこれは、靖国によって強制的に「哀しみを喜びに変換」させられた結果、自分の感情とキチンと向き合い、哀しみを哀しみとして受け止める時期を過ごせなかったことに起因しているのかも知れない。その結果、その後の恢復を通じて、哀しみを乗り越える強さの獲得がなされなかったのではないだろうか。

どこかにきっと、ただひたすらに遺族の感情を丸ごと受け止める「場」が必要なのだ。それが靖国である必要はさらさらない。だがしかし、積み重ねてきた歴史の中で、格のようなものを靖国に認める人がいる限り、信仰が止むこともないのだろう。

悩ましい。

2005 年 09 月 11 日
午前 12:10

特別公開講座

Linux

淑徳大学・豊島区共催 ー人間とはなにかー

1. 発達心理学の立場から(10:00~11:30)
講師: 川瀬 良美

- 発達を規定するのは遺伝と環境および相互の影響である
- 発達には、一定の傾向と方向性がある
- 心身の部位によって、発達のスピードは異なる
- 発達における「最適期」を逃すと、後で回復するのは困難になる
- 発達が遅れても、条件が整えばもと通りに回復するケースもある
- 人として育てられるから人になる(狼少女)
- 「発達とは本質的に文化を身に纏うことである」(鯨岡峻、2000)
- 人は、発達段階に応じて心理・社会的課題を示される

非常にクリアーな講義だった。一番印象的だったのは「発達とは文化を身にまとうこと」というフレーズ。貧しい文化は貧しい人間を育てる。

2. 認知心理学の立場から「人の記憶と脳について」(13:00~14:30)
講師:駒崎 久明

- 記憶のプロセス(記銘、保持、想起)
- エビングハウスの忘却曲線
- 短期記憶と長期記憶
- 処理水準モデル(形態的処理、音韻的処理、意味的処理)
- 記憶の種類(エピソード、意味、知覚表象システム、手続き)
- プライミング(先行刺激)
- ワーキングメモリ
- 脳損傷患者の症例、海馬
- ブローカ、ウェルニッケ

質疑応答が面白かった。

Q. 心とは脳ですか?
A. 脳の機能の一部でしょう
Q. 脳が心を作るなら、脳を騙せば心を欺くこともできるのか?
A. 脳を騙すなんてことはおこがましいし、それほど脳は単純な作りじゃない

2005 年 08 月 28 日
午後 09:03

週末

・『ふたりの5つの分かれ路』日比谷 シャンテ シネにて

ある男女の出会いから結婚、出産、離婚までを、過去に遡りながら見せていく。二人が決定的にすれ違うまでの 5 つの季節を通じて、人と人のつながりの妙を...

つまらない。

どうしてこう、情けない男ばかり登場するのだろう。忌まわしき closer を思い出してしまった。花嫁のパパはまだましな男だと思うけど、旦那は最低だ。全然リアルじゃないし、かといってファンタジーでもない。主演の女優さんはとてもいいと思うけど、それだけという気がした。残念。

・『運命じゃない人』渋谷 ユーロスペースにて

ある一晩の出来事を、お互いに関係する 5 人の視点から辿る映画。人のいいサラリーマンとその親友の探偵、婚約破棄された女、ヤクザの組長とその女。それぞれの物語をつぶさに見せながらも...

面白い。

脚本の勝利だと思う。とても良く練れていて、「ああ、なるほどね」と随所で感心した。観客は、登場人物たちの心の葛藤を特等席で眺めることができる。探偵のセリフにはヒネリの利いたものが多く、客席にも笑いが広がっていた。

・飲み会

女友達と。

いつものように恋愛話になって、「恋愛が足りない」という主張を拝聴した。ウンウンとうなずきながら適当に聞いていたのだが、あることに気付く。それは、彼女たちの強調するポイントが「恋愛体験がしたい」ということであって、「素敵なパートナーを見つけたい」ではないことだ。

つまり「恋愛がしたいから、彼氏を見つける」というロジックになる。そこには、「恋愛体験」のウェイトのほうが、「彼氏」よりもずっと重い印象がある。

なんだか手段と目的が逆転してるようにも感じたので、確認しようと思ったのだが、彼女たちのトロンとした目を見てあきらめた。

家に帰ってからまた考えてみたが、結局、恋愛も目的になり得るということで納得した。彼氏を見つけるのはあくまでも通過点で、その先のほうがよっぽど重要なのだ、たぶん。

でもそこには、彼氏の人格を無視しているかのような、独り善がりの心理もちょっぴり感じる。

午前 01:22

GALLERY PAST RAYS M/A

JAXA

丸の内をぶらぶらしてたら、レトロな八重洲ビルの側面にひっそりとした入口を発見。地下へと続く階段が好奇心を刺激する。ちょっと逡巡したあと、侵入してみた。

自動ドアを抜けると、こじんまりとしたスペースが出現する。写真技師(?)兼留守番と思われる女の子が、かったるそうに顏を出して僕を確認したあと、また自分の仕事に戻った。

壁にかかった作品を、時計まわりに鑑賞する。

群集を写したカラー写真だ。晴れた日にプールやお台場やゲレンデなどで群れる人々を、広角で切り取っている。どの写真も、妙な明るさがある。乾いていて、どこか突き抜けたような。あるいは無機質な。

展示室の半分までくると、写真がモノクロになる。そして、時代も一気に過去に遡る。写っている人々は、ベクトルを共有しているかのように同じ方向を向いている。カラー写真の雑然とした感じとは明らかに違う。

不思議。

土田ヒロミ写真展
「新・砂を数える(1995-2004) 」
「砂を数える(1976-1989) 」

2005 年 08 月 15 日
午前 12:52

ヒトラー ~最期の12日間~

池袋 CS で。

前評判の通り、素晴しい映画。しかし、ヒトラーに焦点を絞っているように見えて、結局のところ、戦争の悲惨さと無意味さを強調する反戦映画となっている。つまりこの映画では、ヒトラーは反戦のための「だし」に使われている。

そうは言っても、ここまで客観的にヒトラーを描写するのはなかなかできることではないと思う。癇癪を爆発させたり冷徹な指導者の側面を見せる場面と、温和で人間的な場面のコントラストが鮮やかに映える。カメラの立ち位置は計算しつくされていて、大人による大人のためのヒトラー映画だということがわかる。

それにしても、ここまで無惨な戦争というものに、なぜ今でも多くの人間が情熱を燃やしてしまうのか。金銭欲や征服欲、恨みや復讐、暴力的な衝動といったものを否定するつもりはさらさらないが、それを、過剰なまでに放出させてしまう心理に恐怖を感じる。ブレーキの壊れた乗り物のようだ。

とうてい理解できるものではない。しかし、理解しようとしなければ解決しない。

目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない -- Eric Raymond

処理中...