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88585 story

「初めてのLinux」、覚えてますか? 147

ストーリー by makeplex
最初というのは記憶に残りますね 部門より

あるAnonymous Coward 曰く、

本家「What Did You Do First With Linux?」より。

OStaticに初めてのLinuxインストールについての面白いブログ記事が載っていた。記事を軽く抜粋するとこんな感じだ。
『初めてLinuxをインストールした時のことを、初めての彼氏とのデートや今の夫との最初のデートよりもはっきりと覚えているということを白状することがいいのかどうかは分からない。しかしLinuxとはデートほど不安を覚えるようなことはなく、その長い付き合いを通じて、ブート時にカーネルモジュールを夢中でロードすることや、物事の学び方など、自分についても多くのことを学ぶことができた。あなたの初めてのLinux体験はどんなだった?』

ちなみにこのブログ主は2001年にSuSE Linux 8.2をインストールしたのが最初だったそうです。インストールは一筋縄にはいかず、またオーディオのInputとOutputが逆になるなど諸々の問題があったそうですが、いろいろと調べて問題を一つずつ解決、以来ずっとLinuxをメインで使っているとのことです。
/.J諸兄方の「初めてのLinux体験」はどんなもので、まず最初に何をしてみましたか?

この議論は賞味期限が切れたので、アーカイブ化されています。 新たにコメントを付けることはできません。
  • 学校を卒業して入ったところでいきなりISDN専用線接続(ルータはYAMAHAのRT50i)と
    PC/ATマシンとRedHat5のパッケージを渡されて・・・

    今日から管理者ね、宜しく♪

    と言われました。

    まぁTOPページがあるだけで中身は私の遊び場になっていましたが・・・あれがなかったら
    Linuxでサーバ運用とかセキュリティとか今ほど詳しくなってなかっただろうなぁ・・・と思います。

    #SPAMの踏み台にされたり、イスラエルだったかから踏み台にされて米軍からメール貰ったりほんと良い経験でした。

  • みんな空気読めよ (スコア:5, おもしろおかしい)

    by sakamoto (8009) on 2009年04月27日 18時43分 (#1556017) 日記

    その頃、学校でみんなもう済ませたとかいう話題が多くて私も結構話は合わせてた。 私自身、みんなから、ませているとか言われてて、みんなの前では経験済みのように振る舞っていたけど、勇気がわかなくて実はちょっぴり不安だった。 でも、興味があるので、雑誌なんかで情報収集して耳年増みたいになっていた。

    その日は突然にやってきました。誰もいない職場で、突然目の前に現れた CD-ROM。 なんか、ちゃんと入らないんじゃないかと不安で一杯だったけど、恐る恐る手を伸ばして入れてみた。 すると目の前が真っ青になって、いろんな言葉が目に入ってきたけど、正直よく覚えてない。 ただひたすら Enter キーを叩いて、ただただ早く終わってほしいと思った。 別に痛みとかあったわけじゃないけど、気持ちいい物でもなかった。 正直、こんなものかなぁと。 気がついたら 2 時間くらい経っていた。 ずーっと Enter キーを押しつづけていて、正直もう我慢できないとか思っていたら、何の前触れもなく、終わってた。 目の前に出ている login というメッセージを見て、ちょっと大人になった気分がしました。

    --
    -- 哀れな日本人専用(sorry Japanese only) --
    • by Offtopics (34135) on 2009年04月27日 23時53分 (#1556232)
      いろんなディストリを取っ替え引っ替え、毎晩のようにインストールしまくってたな。夕べはこんなマシンにインストールしてやったぜって、馬鹿みたいにダチと自慢しあってさ。
      その内普通のインストールじゃ飽き足らなくなってきて、FTPインストールとか、ネットワークブートとかにも手を出しちゃー痛い目見てたっけ。

      --
      -- こ、こうでしょうか?
      親コメント
  • by Anonymous Coward on 2009年04月27日 19時01分 (#1556036)

    ここまで電車でCD拾った [srad.jp]がなし。
    # 最近影薄いよねー。

  • by uippi (9904) on 2009年04月27日 18時18分 (#1555995) 日記
    まだデバッギングステーションの形にもなっていない、まさにターゲットボックス状態だった頃の
    PS2機材にプログラムを投げる為に、redhat4(途中からVine Linux)で設定したのが
    初めてのLinuxだったかな(1999~2000年の話)。

    ライブラリをインストールした後にサンプルプログラムをコンパイル>実行でターゲットPS2のTV
    出力が出ているのを確認してから開発担当に渡していました。
    (床から火の玉みたいなのが連続して出る奴とか、MPEG再生プログラムみたいなのも有ったかな)

    自分の家でも勉強せなアカンかーとi815のAopenの薄型筐体マシンを購入>Vine Linuxを
    入れるも、まずはEthernetが認識しない>別マシンでintelからドライバ入手>インストールで
    LANが繋がってからサウンド鳴らないーとかやった記憶が。ALSAのパッケージ拾ってきたり。

    システムが動くようになった段階で満足してそれから放置したのですが、今の会社に入ってから
    Windowsが非力なマシンにLinux入れてデモにも使えるよーとかやったばっかりに、そういう仕事
    も増えてしまうという・・・。

    Ubuntuが楽すぎて、ソース拾ってきてコンパイルとか最近やってませんねー。
  • by Sukoya (33993) on 2009年04月27日 18時27分 (#1556001) 日記

    OH!FMTOWNSで連載されていたのをみて
    試しにインストールしたのが初体験かな

    で、このメリケン産DOSで一体なにをするんだろう?と
    ?マークだらけになった記憶が

    それから十うん年、まさか、なければ困る物になるとは……

    • by yasiyasi (5450) on 2009年04月28日 9時25分 (#1556367)

       私もFM-TOWNSで使ったのが、最初のLinux体験でした。「FM-7で一度だけ使ったことがあるOS/9と似てるな」という感覚で取り掛かっていたような(笑)

       初代FM-TOWNSにSCSI接続のMOディスク(128MB)をつないで、MOからSlackwareを起動させてました。

       数値演算コプロセッサを付けてなかったので、X Windowがすごく遅くて、けっきょくコンソールで使ってました。
       大学のレポートなんかを、KON(漢字コンソール)上のmule+cannaを使ってLaTeXで作成、dvi表示ツールで確認しては修正・際コンパイル、自宅でゲラ印刷してOKになったら、大学にデータをフロッピーで持ち込んで最終印刷していましたね。

       ハードウェア構成が富士通純正で幅がなかったので、プリンタもキーボードもディスプレイも特に悩まずに使えたのが良かったです。

      親コメント
  • Slackware (スコア:2, 興味深い)

    by robios (33247) on 2009年04月27日 19時05分 (#1556043)

    なつかしいなぁ。

    あれは確か95年とかかな。UNIX USERの付録CDからインストールフロッピーを10枚以上作ってSlackwareをインストールしましたねぇ。バージョンはもう覚えてないな。フロッピーが足りなくなって、雑誌付録のフロッピーとかをフォーマットして使ってましたね。そういえばあの頃の雑誌にはフロッピーがついてたなぁ、、、。今まで忘れてましたね笑。マシンは当時シリコンバレーのショップから個人輸入した486SXかDXかだったな。シリコンバレーのPCショップが集まって発行してた広告雑誌を1部送ってもらって。なんて雑誌だったかな、、。懐かし過ぎる、、、(遠い目)

    • Re:Slackware (スコア:3, 参考になる)

      by cyber205 (4374) on 2009年04月28日 0時43分 (#1556250) ホームページ 日記

      米国のコンピュータ購入ガイドといえばComputerShopperとかだと思いますけど、
      確か日本語版も出てましたよね。DOS/Vって言われていた頃には。
      # Gateway2000なんかは個人輸入でも人気のある高級ブランドだったっけ。

      自分がLinuxに入門したのはWindows95が出る前だったと思います。
      Slackwareでしたが、カーネルは1.2.3ぐらい。無理して導入はしてみたけれど、
      真鍋さんのJEキットが入ってないLinuxは、やはりロクすっぽ使えませんでした。

      カーネル再構築とかXの設定とかはできたんですけどね。やはりキラーアプリが無い(笑
      xlogoとかxeyesを動かして、xloadの負荷状態表示を見るぐらいしかやることがない。

      この頃のハードウェアは486SXを積んだFMV、メモリはオンボードの4MB(増設ソケット2つ)、
      拡張バスはVLx2,ISAx2だったかな。HDDは100MB程度でビデオチップにはCirrusLogic(VRAM1MB)
      8MB積んでないとブートフロッピーから起動しないのでloadlin.exeのお世話になりました。
      CD-ROMはSB16付属の2倍速とかが結構安く普及してきてましたけど、あえてSCSIだったかな。

      Win95が出るとCPUはPentium-100以上(3.3V動作)、IDEにATAPIのCDROMドライブ(x4Speed)、
      E-IDEには普通に対応していて500MB以上搭載できるし、内部にはPCIバスが走っているものが主流に。
      (Pentium以降はVLバスよりPCIバスが主流)ビデオチップもローカルバスではなく、
      PCI接続になって搭載されるようになりました。こうしてだいたい標準的な構成と
      パーツが決まってくるのですが、486時代って、PCパーツはもっとカオスな感じでしたね。

      # BSDもいいOSだったらしいけど、Linuxはアプリがバイナリ配布だったし
      # HDD切るのにもFIPSが使えたりして導入が楽でした。僕らより前の世代だとマシンは98RA(80386)で
      # OSは386BSD、Xをソースからコンパイルするため電源入れっぱなしで2週間連続稼動とかいう世界。
      # 勝手に電源を切ったりしようものなら、管理者からビンタくらっても文句は言えません(ぉぃ

      後にJE入りの本を買って再挑戦した時には、はじめてインターネット接続というのをやりました。
      PPPの設定方法を覚えて、プロバイダはダイヤルQ2を使ったInterQってのを使いましたよ。
      モデムは9600bpsでブラウザはNCSA MOSAIC。もちろん、起動していきなり米国のNCSAへ直行です。

      # ホームページを変えるには再コンパイルが必要なんだけど、MOSAICはMOTIFライブラリ(有償)を使っていて
      # フリーソフトを収録していたCDROMだけでいじる場合、自前ではビルドできなかったのです。lesstifはまだまだ。

      今から思えば、かなり無茶なこともやってましたね、コンパイルしてたらスワップ足りなくなって、
      フロッピーディスクをマシンに突っ込んでスワップ領域を追加したりとか。
      当時は使えるリソースが無かったから、そうでもしないと動かせなかった。
      (後にFDDでRAIDしてる人なんかも現れましたよね、よくまぁあんなバカなことを…)

      聞いた話では、システムを可能な限り圧縮して、80MBの領域でX入れて開発環境も動かせる人が
      いたそうですが、とても信じられませんでした。glibc2が採用されたら不可能になったみたいだけど。

      親コメント
  • 「そのモノ、雑誌の付録の銀色の円盤に入りて」。。。 「おお!Linuxが立ち上がったぞ!」
  • by tagomoris (37361) on 2009年04月27日 19時18分 (#1556049)

    大事なのは「初めてのデートと初めてのLinuxインストールのどちらをはっきり覚えているか」じゃないのか?

    初めてのデートの内容は覚えてないが、初めてDebianのインストーラを前に右往左往したのはよく覚えています。

    # 今は誰にはばかることもないので非AC

    • Re:目を反らすな (スコア:2, すばらしい洞察)

      by Elbereth (17793) on 2009年04月27日 20時29分 (#1556095)
      > 大事なのは「初めてのデートと初めてのLinuxインストールの
      > どちらをはっきり覚えているか」じゃないのか?

      おいおい、デートすらしたことがない奴に対するあてつけかぃ?

      #俺は違うよ
      親コメント
    • by kawa-t (37052) on 2009年04月27日 21時08分 (#1556117) 日記
      Linuxのインストール回数よりも、デートの回数の方が圧倒的に少ないので、デートの方をよく覚えています。

      何回も繰り返し同じような事をしていると、最初の感動はどこかに行ってしまいます。とりあえず、Slackwareが最初でしたが、劇的な何かはありませんでした。本に書いてある通りにやるだけでしたし。
      親コメント
  • by kikki (30639) on 2009年04月27日 19時18分 (#1556050)
    まだインターネットが普及していないころ、ASCII系列の雑誌の企画で、何人かで巡回するってのがありましたよ。
    5inchフロッピー50枚が郵送されてきて、コピーしたら次の人に送付、という感じで。
    対象はその頃出始めたPC/AT機用のLinux。カーネルのバージョンは1.0だか1.1だかそんな感じだったような。
    私の機械のCPUは確か486DX-33MHz。メモリが16MB「も」あって。あれはあれですごく快適な環境だったなぁ。

    その前はPC98用のMinixでしょうか。Linuxではありませんが、一応UNIX類似環境って事で。
    EpsonのPC98互換機、CPUは286-16MHz。40MBのHDDで結構楽しめましたよ~
    • 見返してみて、ちょっと訂正です。
      >その頃出始めたPC/AT機
      「日本で流行りだした」というのが正解ですかね。
      日本ではNECが独占状態で(今考えれば)暴利をむさぼっていた頃の話です。
      PC/ATがコストパフォーマンスが良いんだけど流通ルートが少ない、という状態でしたが、
      DOS/Vの発売と同時期に並行輸入業者がたくさんできて、入手性が良くなりました。
      親コメント
  • by karasu (5537) on 2009年04月27日 22時03分 (#1556159)

    最初はBSDを入れようと思ったんですよ。周囲の人もインストールしてたし。

    でも、当時のPC(PS/V Vision)はCD-ROMドライブがSB16に接続されていて、
    手持ちのBSDと当時の自分の技量ではインストールができなかった。
    で、Linuxでも良いかぁ、という風に入れたのが最初。

    CPUは386SXだったので浮動小数点計算が遅くって、Xが遅かった記憶がある。
    fvwmはちょっと重かったのでtwmを常用してた気がする。

    ...最近触ってないなぁ。久しぶりにインストールするかなぁ。

  • 高校1年生のときインターネットを始めた僕は、生まれて初めてfjという世界
    を見たのだ。いい歳をした大人がコンピュータのことを熱く語っていて、
    例外なくUNIXを初めとするOSを使っていたのだ。そんな人たちをみて、
    「なんてかっちょいい世界なんだろう」と思い、FreeBSD(98)を入れたのが始まり。

    Xを動かすのに半月、IIJ-PPPに半月、gnus/mnews/gn-spoolでまっとうな
    メールアドレス動かすのに半月。あれよこれよとしている間に、X-TTが開発され、
    mule@19.28 は Emacs 20.xにあがり、850MB しか無かったハードディスクは
    増強され、/usr/srcでmake worldできるようになった。

    いい歳をした大人になった今、もはやFreeBSDを使うことはないけれども、
    あのころ、400KBだった/kernelはいったいどのくらいのサイズになって
    いるのだろうと思い出します。

    今からインストールしても、GNOMEの使い方がわからなくて、ktermとtwmと
    emiclockだけのかわらぬ環境が再現されるんだろうな。

  • Linuxに初めて触れたのは、たぶんVineの2系あたりだったと記憶しています。
    WindowMakerでも重いようなPCで試しに入れてみたはずで…
    IceWMとかを使う手を考えるようになったのはgnome時代。
    GUIなしには、何かの役に立たせられないゆえに、実用になるわけも無し。

    で、OS/2が健勝であった頃のこと…試しにいじっただけで…その後
    Vineを本格的に使うようになるのは、OS/2環境が焼失して
    急場しのぎの市販TurboLinux 10 Basic(だっけ?)に3ヶ月で愛想つかしたのち。
    Vine3.0か3.1から、4.2まで付き合って、ほどなくUbuntu8.04に移行しています。

    UNIX系OS自体は、まぁPC-9801世代ですから、例によって
    FreeBSD(98)が最初でしたね。当時はWindows3.1もまともに動かないPCで
    メモリー4MBか5.6MBのiSX機で、lynxとかを使えないか試行錯誤した。
    まぁ、実用域まで辿り着けなかったんですけどね…その一年後からOS/2だったし。
  • by matsu03 (34226) on 2009年04月28日 3時32分 (#1556298) 日記
    1995年slackwareですね。カーネルがまだ1.2.0とかそれくらい。日本で二冊目に出たLinux収録本のCD-ROMからです。大学でSunをいじっていて、当初からLinuxを入れるために、はじめてのパソコン(digital HiNote UltraCT475 43万なり)も買いました。

    SlackwareとJEでけっこうよく出来ていて、別に問題なくSunと同じようにtwmで使えましたね。
    ただ、そのころはまだプロバイダーというのが少なくて、たしか大学の計算機センターもパソコン通信形式しかサポートしてませんでした。大学内のnetnewsを見ると、それでもつなぐ方法があるとか理系の人が暗示しているのを見て、さがしたら、疑似pppdを立ち上げる方法があり、家からログインしてSun上でコンパイルしたんだが、わからない。悪戦苦闘しているうちに、気がついたら、Linuxのnetscapeが動いてて、サーフィンできた!あれは感動しました。Sunと同じ環境が自分のノートパソコンで実現できたときにはね。

    その年の暮れにLinusさんが日本にやってきて、京都と東京で講演しました。niftyのFUNIXにそのときの模様をレポートしたのは私ですよ。それからいろいろやったなぁ。suck, inn, gnusでnetnewsを取れるようにしたり、niftyまでgnusで書き込みできるようにしたり。fax送れるようにしたり、latexも随分やったなぁ。その後にドイツに留学したんだけど(私文系)、ドイツでもLinux 2.0.0ずっと使ってました。プロバイダーが調子悪くて、メールで相談して、Linux使ってるって言ったら、めずらしがられた。1997年ころ。ドイツでの普及程度はだいたい日本と同じくらいだった。

    そうやって使ってたLinuxですが、2000年ころにVineをいれたのを最後に、こっちはmac osxに移行しました。Linuxはいいんですが、UNIX全般に日本人の開発者が少なく、いつまで待っても日本語の縦書きさえできないありさまで(X Windowがそういう規格らしく、java以前ね)、macの方がより先進的だったからですね。要は、理系の人たちだけで、あるいは欧米人だけで開発をやっていると(オープンソース)、自分たちの必要なものしか作らないということです。商売でやっているところは(Appleふくめて)、自分ではなく他人(顧客)が必要なもの(たとえば日本語の縦書き)をまず作る。そこがどうしても違うわけです。この間隙は埋まらない。で、結局Linuxはデスクトップとしてはだめで、サーバーとしてのみ日本では生き残った。日本の開発者というか移植者が、LinuxやUNIX開発の中心にはかかわれなくて、マニュアルやメニューの日本語化くらいしかやっていなかった、できなかったことが問題だと思います。
  • IBMのi486機にSlackwareをインスコしようとして挫折下のが最初だった気が・・・
    その直後からFreeBSD2.2.8に乗り換えて、それ以来ずっとFreeBSD。
  • 当時 AHA2940 のドライバが slackware の標準インストールイメージには
    入ってなくて、ファストバックでインストールイメージを貰って四苦八苦
    しながらインストールしたのを覚えてます。

    今はネットワークインフラ系の SE の仕事をしてますが、UNIX 系の話の
    わかるネットワークインフラ屋は重宝されるらしく、転職にも困りません
    でした。

    Linux のおかげです。

    --
    --- show mpls ldp neighbor
  • 自分でインストールしたものとしては FreeBSD(98) [freebsd.org] が最初です。

    インストールを終えるまでに非常に苦労した記憶はありますが、インストールを終えた後に何をしたのかは、ほとんど覚えていません。

    # どうにかこうにかインストールを終えたことに満足してしまい、ほとんど使わなかったような気もします(^^;

    • by Anonymous Coward on 2009年04月27日 18時07分 (#1555984)

      そのために買ってきたAT互換機
      3.5"フロッピーで40枚ぐらい入れ替えてそれはもう賽の河原で石を積むがごとく
      そして設定ミスってXでなくなってほかの手段が何もなくて1からインストールをやり直すこと数回
      それはもう賽の河原で石を積むがごとく

      Xの上でtipやらkermit動かして通信してました。文字をこぼすので
      16550のボード買ってきてました。あのころはなんでも高かったなあ。

      親コメント
      • by hippopotamus (34561) on 2009年04月28日 13時16分 (#1556493) 日記
        昔、Macユーザーだった。大学の他学科の後輩(Mac仲間)がNetBSDを
        運用しているというのを聞いて、余ってるLCIIで試してみようと
        ムック買ってきて拾ってきたHDDをフォーマットして、なんか一応
        入れたような気はするけど2度は起動してないと思う。
        要はさっぱり分からなかった。まだDOSマシンすら使ってなかったから
        CUIは難しすぎた。
        親コメント
      • 知人に「面白いから、入れてみ」とそそのかされて、渡されたFDの束。
        ドキュメントを斜め読み(つまりちゃんと読んでいない)して、
        FDを入換え、差替えインストールして行くとFDが読めないものがあり中断。orz

        壊れたイメージを、時間はどのくらいかかるのかとドキドキしながらFUNIXでダウンロード。
        当時はダイヤルアップの従量制。2400だったかな。

        失敗を繰り返しながらも、何とかインストール出来ました。

        Xでtiger.psがじっくり描かれるのを見たり、
        カーネルの再構築中、モニターの前で二時間(もっとかな?)、
        「通ってくれよ!」と お祈りしてました。
        PC-9801FA(486SX 16MHz)、グラフィックボードも欲しかったし、
        CPUも載せ替えたかった。

        あの頃は、時間と根性がありました。

        親コメント
        • by Anonymous Coward on 2009年04月27日 19時23分 (#1556053)

          友人にPC/ATで動く386BSDを見せてもらって感激したもののFDの山に恐れを
          なして自分のPCにインストールまではやんなかったですね。

          そうこうしてるうちに、CD-ROMショップでYggdrasil LGXというの
          を見付けて、そいつをインストールしたのが最初のLinuxでした。
          おそらく1993年の末ごろ、年が押し詰まった12月あたりに秋葉に出かけて
          見付けてきた記憶があります。
          シェルスクリプトで書かれた簡単なインストーラが付いてて、マニュアル
          片手にインストール自体は割とあっさりできたような記憶が。
          ただ、そのときに使っていたPCはEISAバスで、EISAなのにAHA-1542と互換性
          があるという怪しげなSCSIカードを使ってて、そのせいでときどきカーネルが
          パニクってくれて苦労しましたね。カーネルのバージョンは0.99.いくつかで
          使えるハードウェアの選択肢が少なくて。

          翌1994年ごろになると、日本の主流ディストリビューションはSLSに流れる
          のがはっきりしてきて、SLSに対応する日本語化のパッケージ(なんだっけ?)が
          配布されたり(したのは95年に入ってからか?)Yggdrasilはいろいろ不便だった
          んですけど意地になって使ってましたね。
          日本語表示できるようにしたりとか、いろいろ苦労し通しで
          当時はインターネットも個人ではほぼ接続できる状況になかったんで
          主なダウンロード先はnifty serveでした。フリーソフトウェアのソースも
          Linuxには対応していなかったんで多くが書き換える必要があったりとか。

          ダイヤルアップでインターネットにつないだのも、Linuxで
          やりましたね。Windows 3.1よかpppの設定が楽そうだったので。
          で、伝説のMosaicも使いましたしゴジラが火を噴いてた頃の
          Netscapeも使いましたよ、ああ懐かしい。

          まあ、当時いろいろ苦労したおかげで、それなりに得る物もあったような
          無かったような。

          親コメント
    • X68+060アクセラレータ+NetBSD、な人のコメント希望(^^;

      いや、私は、68000マシンだったんでHuman+gcc+unix toolsでガマンしつつ
      うらやましくみてたダケなんですけど(苦笑)

      --
      ♪潔くカッコよく生きてゆこう
      親コメント
  • ソースを読んだのなら (スコア:1, おもしろおかしい)

    by Anonymous Coward on 2009年04月27日 17時58分 (#1555975)
    x86セグメントを活用していたり、システムで64プロセスが上限だったり、豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、
    文字通り全部読みました。
    きれいなソースだったことと、良い意味で(+多少悪い意味で)オモチャっぽい印象でした。
  • by gedo (7079) on 2009年04月27日 18時00分 (#1555978) 日記
    最初はTurboLinuxを入れて、最初の頃はモデムなどデバイスの認識でてこずったり音が鳴って喜んでいたり、情報を探すためにNetscapeで色々見てたり。当時はまだWindowsメインでしたが、その後メール環境をLinux側に移してから一気にLinuxへの移行が進んでしまい、今やWindowsはエミュレーターだけになりました。
    • by INTEGRA ZXi (7950) on 2009年04月28日 9時13分 (#1556357)

      私もTurboが最初でした。もう10年以上前、バージョンは1.0 or 2.0だったかな。あの頃は、モデムでネットに繋がっただけでも面白かったなあ…。日本語化などはまだまだ不十分でもどかしい感じでしたが、未成熟だからこそ情熱を注いでいろいろできるわけで。幸せな時代だったと思います。

      # その後、7まではバージョンアップし続けましたが、今はマシンの事情でVineに乗り換え。

      親コメント
    • 同じく。DOS/Vマガジンの白黒ページの広告で見かけて、購入した記憶があります。
      パッチが後から1500円くらいで別売りされていたような気がします。買ったかどうかは覚えていませんが。

      あまり熱心なユーザではなくて、まじめに触りだしたのはVineの0.9あたりでした。今は「楽ちん」だという一点でubuntuを愛用してます。節操がないですね^^;
      親コメント
    • by lasty33 (28722) on 2009年04月27日 19時04分 (#1556040)
      私もTurboLinuxが最初でした。

      Xも入れようとし、グラボで悩まされ始めてviを使用しながらXF86Configを修正。
      大変な苦労をしたけど、Xでログインし画面が表示されたときの感動は今も忘れられません。
      親コメント
  • by Catfish (33833) on 2009年04月27日 18時12分 (#1555990) 日記

    就職して最初の年に、社長の要望で、NEWS [nikkeibp.co.jp]の環境をPCに移植したいと言われて、TURBO LINUXを入れたのが最初です。
    初心者向けだけあって、ほとんどトラブル無くインストール完了。
    インテルのFortranコンパイラも簡単に入って、結構簡単に移植できました。

    ただし、今思えば選択肢を間違えたかな、という気がしてます。
    システムを保持したままバージョンアップする勇気が無く、未だにV.4.0のままシステム運用しています。
    そろそろDebianに移植しようと思うのですが、動いてるしネットに繋がないし、なかなか重い腰が上がらないです・・・。

  • by shadowfire (6584) on 2009年04月27日 18時27分 (#1556002) ホームページ
    インストールはFreeBSD(386)が初めてでした。
    それまでSolarisで仕事してましたが、
    インストールは未経験でした。

    インストール後にやったのはNISとNFSの設定。
    あれの設定と運用はもう触りたくない。
    今でもあんなの使ってる所あるのかな。

    その後にX関係入れてfvwmとかafterstep入れて
    自分のWin95マシンをXホストとしてkterm起こして仕事してました。

    その後しばらくしてSlackwareを入れてみましたが
    これはまあそれほど違和感無く馴染めました。
    しかしその後に乱立してきた各種Linuxは
    デーモンのバイナリや設定ファイルのあるディレクトリが
    あちこち違ってて泣かされました。
    SuSEだったかな、/etc直下にバイナリがあってびっくりした。
    なんでそんなところに置くんだ・・・
    --
    --------------------
    /* SHADOWFIRE */
  • by juan (3871) on 2009年04月27日 18時27分 (#1556003) ホームページ 日記

    はじめてインストールしたLinuxというと、多分MkLinuxだなあ。
    Linux以外のUnix-like OS もしくは環境まで含めるなら
    MacPlusに入れたMacMiNT
    MacIIcxだかIiciに入れたMacBSD
    PowerMac 7600に入れたMkLinux
    という感じだと思うけど、とてもとても年月日とかまでは覚えてない。機種にしても多分そうだろうって記憶。なんとなく雑誌の付録CDをいじったり、ふと興味を引かれてダウンロードして試してみたという域を超えるものではなかった。

  • もう20年前になるんですね。

    当時はまだインターネットなんて物は知らなかったし、本についていたCD-ROMでインストールした記憶が。

    結局インストールだけして満足してました。

  • by tamatukurikei (32435) on 2009年04月27日 18時42分 (#1556015) 日記
    初めてインストールしたLinuxは,Fedora Core 6でした.

    Linuxには興味があったのですが,LinuxのLの字もわからず,デフォルトのFirefox 1.5を2.0にあげる方法も何もかもわからないだめな人間でした.なのでしばらくしてアンインストールという最初のLinuxは悲劇的な最後を遂げました.

    今では,VMware上ですがLinuxが稼働しており,大学の卒業論文もLinux(Fedora 8)がなければできなかったことでしょう.

    今では立派(自称)なLinuxユーザーです.
  • by harisen (27285) on 2009年04月27日 18時48分 (#1556023) 日記

    Windows95とか98を動かしてた初めての自作マシンがK6-233Mhz。
    今は無き月刊ASCIIでLinuxの付録CDがあって入れたのが最初。

    確かRedHat4とかだった記憶が。

    画面がWindowsだと1024x768いけるのに、
    インストール時に1024x768を選ぶと画面が出なくって
    640x480選ぶとX出るんだけど、その後の解像度の変更方法もわからなくって
    (GUIのメニューから解像度変更が無かったorそこからやるとXハングだったか)
    txtからいじれるらしいんだけど、どういじるのかわからなくって。

    当時はその1台しか無かったから、画面みながらネットで聞く。
    なんて出来なかったし・・・(聞くとしたらNifty-Serveですか?)

  • by kharada (437) on 2009年04月27日 19時06分 (#1556044)
    SuperASCIIか、そのあたりでやっていた
    フロッピーによる無謀回覧。
    #linuxだったかどうかは忘れました。

    今思っても、100枚以上の3.5inchでの回覧は
    「無謀」でしたが、おおらかな時代でしたね。
  • 仕事でSCOを入れたのが最初なので後発組ですかね
    インストーラが英語とは言え、初心者でもらくらくインストールできました

    最近はいろいろWindowsライク?になってきたとは言え、
    まだまだPC初心者に進められる物ではないですね
  • 十年ほど前、異動した先で総合病院の基幹系システム他一式の導入計画のプロジェクト管理をしたことがありました。
    運用はベンダーから派遣された要員が行う予定だったけど、万が一に備えて、シャットダウンだけでもできるように勉強しようと考えてLinuxをインストールしたのが初めでした。
    使ったのはLaser5 Linuxでした。インストールして最初にしたのは、当然、起動とシャットダウン。次にviの使い方をマニュアルを見ながら覚えて、gccでhello,worldをコンパイルしてみました。コンパイラが標準装備のOSというのは、MS-DOSに慣れた人間にしたら驚きでした。
    結局、手持ちのPC9821を活かすため、FreeBSD(98)に乗り換えて、以後はFreeBSD主体です。FreeBSDはシンプルだし、情報がまとめられているので使いやすいです。まあ、FlashとかAtokとかLinuxで利用できる商用ソフトが無いのが難点なんだけど・・・。
    で、最近のLinuxだけど、インストールはしやすいし、直ぐにデスクトップで利用できるし、実用的になってますよね。けど、複雑になってきていて、理解しにくくなってきているようなきがします。
  • 0.91時代のディストリビューションは、忘れましたが、
    手元に残っているCD-ROMでは、カーネルバージョン0.9Xから、1.0にあがり、たまたま上京したときに手に入れた
    SOFTLANDING LINUX SYSTEM Version1.02が、最初ですね。
    当時のLinuxは、X11のまともなサポートもなく、XFree86を入れるのに四苦八苦していました。
    グラフィックが、MACH64 キーボードは、英語128?(Gateway any key)でした。
    日本語フォントもいろいろ探したり、作ったりしてましたね。

    当時は、FTPメールでファイルやり取りしたり、パソ通で情報交換したり・・・な感じでしたです。

    Slackware→Turbo→HOLON→Vine→・・・
    とディストリビューションを変えてきましたが、当時と比べ、インストールは、格段に簡単になりましたね。

    昔のウィンドマネージャーは、twmでしたが、今はKDE等 使いやすくて助かります。

    comp.os.linux のメンバーにも、お世話になりました。
    -By 15年来のLinuxユーザーより。

  • by munesato (619) on 2009年04月27日 21時07分 (#1556116)

    LinuxだけでなくUnix全般として触った順序を考えてみると、色々楽しんでいたんだなぁ・・・と。

    1. DEC Ultrix (-_-;;
    2. FreeBSD(98)
    3. FreeBSD
    4. Slackware
    5. RedHat
    6. Turbo
    7. Solaris 2.6
    8. Kondara
    9. Kondara(98)
    10. Debian

    で、今はDebianとSolarisしか使わなくなってしまった・・・。もっと遊べるOSが欲しい。

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皆さんもソースを読むときに、行と行の間を読むような気持ちで見てほしい -- あるハッカー

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