ゲームが文学作品のように評価されない理由は 119
ストーリー by hylom
言われてみると 部門より
言われてみると 部門より
SF・文芸評論家の藤田直哉氏が、ビデオゲームが日本SF大賞の選考対象とならないことについて日本SF作家クラブに改善を提案したところ、会員の世代的な問題で「そもそもゲームをプレイできない」という問題があり実現できなかったという(IGN)。
藤田氏はまた、小説と比べてゲームは表現物として劣るものではないにも関わらず、学術研究や評論の対象となっていないとも指摘している。
17年以上遅い (スコア:5, 興味深い)
その点、SFファングループ連合会議の授与する星雲賞は2001年、プレイステーション用のゲーム『高機動幻想ガンパレードマーチ』に星雲賞メディア部門を贈っているので先進的である。
Re:17年以上遅い (スコア:2, 参考になる)
ノミネートだけなら
1986年度の第17回星雲賞にスーパーマリオブラザーズ
1987年度の第8回日本SF大賞にドラゴンクエストII
1988年度の第19回星雲賞にドラゴンクエスト(シリーズ?)
がある模様
Re: (スコア:0)
皆んな通った道なのでは? (スコア:3, 興味深い)
娯楽小説・漫画・アニメ・テレビ
ジャズ・ロック・ヒップホップ・ラップ
コスプレ・オタク・メイド文化 などなど
他にもジャンルを超えてイッパイあると思うけど
当時は、「表現物として劣るものではないにも関わらず、学術研究や評論の対象となっていない」が、
後世で評論の対象になったものは多々あるので、新しい文化が必ず通る道だと思うのですよね。
ただ、アングラ文化から抜け出して一般に受け入れられて評論の対象になった頃には、
本来の創造力とかパワーとかが消え失せている気がします。
ボブ・ディランがノーベル賞とったけど、ロックなんてもう死に体でしょ?
過去の焼き回しか大衆にウケるロックって、なんじゃそりゃ?
#とジジィの懐古趣味的なこと言ってみる
Re:皆んな通った道なのでは? (スコア:2, 興味深い)
文化が新しいうちは、何をやったって新しいんだから、評論なんていらない気がする。
(出来のよさ(かっこいいかどうか、面白いかどうか)の評価はあるだろうが)
そのジャンル枠組の過去の作品が数あるなかで、枠組としては既存のものを使いつつそれでも何か新しい、
独自の価値を生み出し得ているかが問題になるステージになって、評論の価値が出てくるのではないか。
Re:皆んな通った道なのでは? (スコア:1)
サブカルをアングラと呼ぶのはいささか違う気がします
Re:皆んな通った道なのでは? (スコア:1)
放送大学TVでやってた特別講義によるとサブカルじゃないそうだ。
西洋ではサブカルチャーと見られるけど、日本の伝統芸術としてはメインストリームの絵物語系列に入れるべきとか。
源氏物語絵巻からラノベ・ゲームまで一続きらしい。
the.ACount
Re: (スコア:0)
ただ、アングラ文化から抜け出して一般に受け入れられて評論の対象になった頃には、本来の創造力とかパワーとかが消え失せている気がします。
ボブ・ディランがノーベル賞とったけど、ロックなんてもう死に体でしょ?
日本レコード大賞(業界以前に、賞自体が死に体。まあ日展なんて先例もあるが)
新しい賞を作ればいいじゃん (スコア:2)
適当に名前つけて自分で作ればいいのに。
> 藤田氏はまた、小説と比べてゲームは表現物として劣るものではないにも関わらず、
> 学術研究や評論の対象となっていないとも指摘している。
対象としてやってみせてそれが面白ければ後に続く人も出るだろうけど、
多分面白くないっていうか、ゲームする人たちはそんなの読まないんではないかな。
ゲームする人とと評論する人の間には相容れない高い壁があるというか。
Re: (スコア:0)
星雲賞がありやすよ。非常に権威がある。日本SF大賞と同等。個人的にはそれ以上。
実際、ゲームではガンパレードマーチが受賞してますが、でもガルパン劇場版とかママは小学四年生とか、こち亀とか、そこSFなの? みたいなもの受賞してるからなんともアレですがw
SFファンがSF的な何かを感じたものが、投票で選ばれるので何でもありのカオスですね。。。
コミック部門のカードキャプターさくらとか完全に趣味やん…。
自由部門には初音ミクとかも入ってます。まぁコレはSFかな。
Re:新しい賞を作ればいいじゃん (スコア:2)
タイムホールを抜けてきた自分の子供を育てるってのは十分SFだと思う
TomOne
Re: (スコア:0)
さすがに中学生になってやめた模様
Re: (スコア:0)
SFは「少し不思議」もアリなんでないか?
Re: (スコア:0)
実を言うとファンタジーもアリなんだけどね。
SF、ファンタジー、ホラーは根っこが近いので、ファン層がかぶる。
実際、TRPGとかやってたのはSF連中が多いんじゃないのかな。
クトゥルフとかもSF界隈からだしな。
ゲームは通覧が困難 (スコア:1)
故に、審査員が多数の作品を評価・比較するのが不可能で、単純に評判の高い作品が選ばれる事を、是とするかどうか。
Re:ゲームは通覧が困難 (スコア:1)
全ルート通覧てどんな無理ゲー?
the.ACount
Re: (スコア:0)
受け手が操作する必要があるから製作者が作った姿で固定されてないもんね
Re: (スコア:0)
絵画だって見た人によって受け取り方は違うんでないの?
Re: (スコア:0)
にした所でその為に必要な時間が異なり過ぎ。
Re:ゲームは通覧が困難 (スコア:1)
つ「失われた時を求めて」
Re: (スコア:0)
時間もだけど、プラットフォームをいちいち用意しないといけないってのも大きいと思う。
というか、この話題を最初に見たときそういう話かと思った。
そりゃテープ/ビデオデッキやPCが最低数十万した時代からしたらハードルは低くなったけど、それでも
本やら映画やら音楽やらに比べたら、「まず数万」から始まるのはツラいよなぁ、と。
「ゲームのファン」「ゲームに詳しい人」の集まりなら複数プラットフォーム持ってても不思議じゃないけど、「SFファン」「SFに詳しい人」は必ずしもそうじゃないから。
#βデッキとVHSデッキとLDとCD-Vと……という時代よりはマシ、なんだろうか?
Re:ゲームは通覧が困難 (スコア:1)
古典SFの読了に数百時間かかりますか?
ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
Re:ゲームは通覧が困難 (スコア:1)
馬鹿な。物語が主体のゲームで、物語の完遂そのものに数百時間もかかるものはないはずです。
ゲームは単価が高価になりがちなため、中古対策を「やりこみ要素」とポジティブなワードに置き換える売り方がされたモノや、そもそも反復して遊ぶ事が前提の(物語主体ではない)モノがありますが、そういったいろんなモノをいっしょくたに「ゲーム」って言っちゃうとややこしい事になりますよ。Nethackとクロノ・トリガーとStarCraftはそれぞれ全く違うモノでしょう。陶芸と映画鑑賞とテニスくらいに違います。
少なくともこの記事で挙げられたタイトルは(反復遊びも可能ではあるが)物語を完遂するのに数百時間もかかるものはないでしょう。
Falloutみたいに「やりこみ」に時間をかければ数百時間だって遊べるぞ!という話なら、小説だって読み込みまくれば、モノによっては数百時間くらいいっちゃうんじゃないかな。
数百時間とは言わずとも、テキストにすれば同じストーリーをもっと短い時間で読める、という話なら、まぁそれは多分そうなんですが、どれほど精巧なテキストでも、ゲームを実際に遊ぶのと同じ体験はできないでしょう。メタルギアソリッド3のラストをテキストで読むのと自分でやるのは全く異なる体験です。
Re:ゲームは通覧が困難 (スコア:1)
設定やストーリーだけで評価するなどとはとは一言も書いてありません。同じ主旨のことを最後の段落で書いたつもりです。私の主張はあなたと同じですよ。
あらすじだけ読んで評価しないのと同じように、ゲームもプレイして評価すべきです。
非常に困難なゲームについては、確かに考えが抜けていました。
しかし、undertaleのもうひとつのルートについて、友人はついにクリアできずに終わりました。しかしあのゲームを完遂した人ならわかりますが、ゲームを中断することさえ物語として成り立っているんですよね。
つまり、ゲームを評価するならば、それを完遂する能力を持つ人はもちろん、完遂できない人すら必要なのかもしれません。私たちはまだ、ゲームになにができるのかすら、把握していないのでは。
Re: (スコア:0)
飛ばし見程度でいいんだったら、うまい人がプレイしてるのを横で見ておけばいいんでは
Re: (スコア:0)
評価する位に沢山?
Re: (スコア:0)
はたでみてるだけ、できちんと評価できるの?
選択肢、というか、モンスターの討伐の可否や順序でストーリーが代わるのをどう評価するのかという問題も出ると思うのだが
Re:ゲームは通覧が困難 (スコア:1)
別スレッドでタイトルになって言及されていたCLANNADの場合
PC/Windows版でどこの誰だかが見つけた「シナリオ達成率を表示する操作」
などをやらないとどれだけ素通りした場面があるのかわからないから
そういうケースで議論するには実況に適さないという側面もある。
Re:ゲームは通覧が困難 (スコア:1)
そういうのは結構あると思う。
個人的にな印象で、プレイしたのと、見てただけでは違うだろうなー、と感じたのだと
・Ever17のシナリオ全体
・セブンスドラゴン2020全般。2020-Ⅱは2020で耐性ついたから少し楽だった。
・ARMORED CORE for Answerの、所謂「虐殺ルート」
・GRADIUS Vの2面と8面のギミック
・サクラ大戦4の大神さんEDで米田司令から神刀滅却を受け取る選択肢
あたりがぱっと思いつく。
こうして考えると、シナリオそのものの秀逸さに限らず、苦労したり試行錯誤したところから急展開、みたいなのはプレイ動画とかじゃ体験できないんじゃないかなーって気がする。
CLANNADは人生 (スコア:1)
Fateは文学
という話が通じてたのはもう何年前か・・・
Re: (スコア:0)
それと便座カバー
Re: (スコア:0)
Fateはマジ型月サーガになりつつあるな。
同人を公式の派生作品に拾い上げてたりするから、
遥か未来に詳細なまとめが散逸した後なら、いろんな同人作品が「サーガ」に区別つけられずに加わるんだろうな。
Re:CLANNADは人生 (スコア:1)
> 遥か未来に詳細なまとめが散逸した後なら、いろんな同人作品が「サーガ」に区別つけられずに加わるんだろうな。
仏教、特に日本に伝わった大乗経とかだいたいそんな感じ
ゲームに関する学術研究や評論の例 (スコア:1)
タレコミ中にある「学術研究や評論の対象となっていない」というのは事実誤認だと思います
藤田氏の主張を読み違えてないでしょうか?
googleで”video game media paper journal” と検索するだけでも
大量に論文やレポートが出てきます.
"ゲーム学会"とか "game conference"で検索すれば
ゲーム学会のような研究者コミュニティ,
ゲームと関連させたメディア論がテーマの国際会議など
直ぐに見つかります.
目線が高いの低いのか (スコア:1)
確かにフォールアウトシリーズは小説が原作のかような細かな設定やメッセージ性があるし
CODのストーリーモードなんてハリウッド映画そのものだ(戦争映画や小説の脚本家を使ってるから当然だ)
STALKERは似たような設定の小説や同名の映画の影響が大きく、雰囲気の出し方が素晴らしい。個人的に大好きだ
けど、これは主人公になってプレイするゲームとして評価されるべき内容で
読む、聞く、観る、といった受け身の娯楽と同列で語る物じゃないだろう
芸術性や文学的な要素はあくまでゲームを構成してる物に含まれる要素にすぎないのに
それをゲーム自体が不当な評価をされてるかのようにすり替えてるというか、勘違いしちゃってるというか…
フィギュアスケートを見て「チラリと見えるお尻がいいよね」「フィギュアはオカズとしてもっと評価されるべき」って言ってるようなもんだ
小説だの映画だの言うのであれば、同じ媒体で格下に見られてるマンガやアニメの中から作品の再評価でもした方が建設的じゃないかな
ボボボボクのお気に入りのゲームの評価が不当に低すぎる!これは芸術作品だ!ってのが独り善がりで滑稽だからこそ
「Fateは文学」という迷言も愛されるんだ
タイトルの選定がおかしい (スコア:1)
「クロノ・トリガー」
「ゼノギアス」
「MGS」シリーズ
「ニーア・レプリカント」「ニーア・オートマタ」
「FF7」
「Deus ex」シリーズ
「STALKER」シリーズ
「バイオショック」シリーズ
「バイオハザード」シリーズ
「FALLOUT」シリーズ
「ファーレンハイト」「Beyond two souls」「Detroit become human」
「Stanley parable」
はぁ?
としか言いようがない。
Re:タイトルの選定がおかしい (スコア:1)
そうだ! バーチャロンがないのがいただけない!
#(ゲーム中にストーリーが)ないです
#MARZととある? いやー、とあるはやってないからわからんけど、MARZはないっしょ
Re:タイトルの選定がおかしい (スコア:1)
アーケードゲームがない。
ゼビウスはファードラウトサーガに言及してもよいのでは。
他にもレイフォース、ガイアポリス、ナイトストライカーetc.
通しプレイを通じてプレイヤーに読み取らせる作品は多い。
、
SFなのにSF賞が取れない (スコア:1)
ゲームって高度に発達した科学の産物。
とてもSF的な物だと思うけど、それ故に理解されずSF賞が取れない矛盾・皮肉。
もしかしたら魔法としてファンタジー大賞なら取れるかもしれない。
TomOne
やはり「評価」が難しい (スコア:1)
「ゲーム」といえばビデオゲーム、という状況から少し考えてみる。
ビデオゲーム登場以前のゲームといえば囲碁やカルタもゲームに違いない。
また、パチンコやピンボールなどもゲームとして存在はした。
こういったゲームは、おそらく「単純な遊戯」との位置付けにより、深くは顧みられなかった。
たぶんビデオゲームは、上の流れにはあるが、それとは異なる「疑似体験」をも伴っている。
それは従来の小説や映画などと重なるものであろう。
ただし、小説などとも決定的に異なる点がある。
製作者から受容者に一方的に環境を提供するものでない、ストーリーのインタラクティブ性である。
何人かが既に指摘している通り、おそらくそれが最も評価しにくい点だと思う。
あと、情報コンテンツとしての、「揮発性」が高すぎることも原因にありそうだ。
ソフトのバージョンアップやプラットホームの変化などを考えると、半世紀前の映画などと同列には扱えない。
飛ばし見出来ない (スコア:0)
書籍や映画なら飛ばし見して全容を把握することはそれほど難しいことできないが
ゲームだとシナリオ進めるためにはゲームという「作業」することが必要
まあ、当たり前ですが、評価してほしいならやって見せるとか、シナリオ原稿提示するとか
(ネタバレはしょうがないでしょう)一定の定型的な手続きは必要なんじゃないでしょうか。
Re: (スコア:0)
テトリスのようにシナリオがないゲームもありますし、プレイすることも作品の一部であるゲームも多いので今までと同じ枠組みで評価しようというのが無理なのでは。
Re:飛ばし見出来ない (スコア:2)
同意。
ゲームはシナリオ+作業ではない。
本来その「作業」、すなわちプレイ部分にこそ本質がある。
ユーザーは体験を得て、自ら喜び、悲しみ、あるいはキャラクターに共感ないし反感することができる。
シナリオで語るゲームは銀。プレイ体験を通じてプレイヤー自ら語らせるゲームこそ金。
SF大賞の評価とは (スコア:0)
ストーリーや設定を評価するのだろうか。
でもゲームの肝は面白さであって、
面白ければ荒唐無稽でも理論が破綻していても問題ではない(敢えて断言)
ゲームをSFとして評価するなら、
ノベライズ版を評価すればいい。
Re: (スコア:0)
ゲームはこちらの行動によって展開が変わり、それぞれをメインタイムラインとして追体験できるというところに、紙媒体では再現できないそれならではの味があると思う。
メタルギアソリッドシリーズなんて冷静に見りゃただの荒唐無稽なバカゲーだけど、SFとして優秀だとも思うよ。
# ゲームブック?知らんな。
Re: (スコア:0)
14へ行け
Re: (スコア:0)
読み進んだあとまた「14へ行け」がでてきて、タイムループを体験できるわけですね。
SF大賞当初の理念 (スコア:0)
WikipediaのSF大賞の項に
> 特に文筆以外の活動についても、「もし、他のジャンル、たとえば映像、漫画、SFアート、あるいは音楽などの分野に
> その年度においてきわだってすぐれた業績があれば、考慮の対象とする事を妨げません」とあり、
> 当初からの姿勢であったことが伺える。
とある。当初の理念からすると当然ゲームもいけそうなものなんだが。
事実、
1983年第4回受賞 大友克洋「童夢」
1996年第17回受賞 金子修介「ガメラ2 レギオン襲来」
2004年第25回受賞 押井守「イノセンス」
2008年第29回受賞 磯光雄「電脳コイル」
とマンガ作品・映像作品の受賞はあるのにね。
Re:「そもそもゲームをプレイできない」 (スコア:2, おもしろおかしい)
マルセル・プルースト「数時間もあれば十分やろ」
山岡荘八「サボらんかったら楽勝やで!」
栗本薫「エンディングのない小説なんてありえへんさかいな」
ジェームズ・ジョイス「ゲームにありがちな永遠ループ、アホちゃうかと思うで」
Re:小説と並んで評価されたいのなら (スコア:1)
エミュがあればなんとかなる(PC一台でなんとかなる)奴とそうじゃない奴の違いは、
演劇とその録画、ミュージックライブとその録音、読み聞かせと台本、みたいな関係ですね。
別にオンラインゲームに限らず、体験型エンターテインメントや生上演モノはその本質を再現することが事実上できない。
だから「○○ゆうえんちのSFおばけ屋敷」「□□ヒーローショウ」は小説や映画(録画)や音楽(録音)を評価する団体には評価しづらい、というお話ですな(体験するごとに内容が変化し得るから)。
ひっくり返すと、体験型エンターテインメントを評価する評価軸を造れということかもしれない。
ゲームはどっちか片方というより常にその両輪を持っていることがさらにその評価を面倒くさくしてるわけだが。