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kazunosukeの日記: 否定することへの熱さ、その裏にあるもの 2

日記 by kazunosuke

 自分が好きなものを熱く語るのではなく、自分が嫌いなものを熱く語る人っていますよね。「何か違うよなぁ」って思います。意見の違いから相手の考えには同意できない、と熱く反論するのなら全然構わないのですけど「俺は○○が大っ嫌いなんだ!!」と咆えたところで「はぁ?」って感じ。しかもそれを好きな人が目の前にいるのに公然とボロクソに否定する人、ちょっと疑います。例えばAさんを大好きな人の前で、その人のAさんへの気持ちを知っているのにAさんバッシングする人っています。あれって何なんでしょう?
 なんでこんな話をしているのかといえば昨日のサッカーが原因。思い出されるのは10数年前、僕が中学生の頃ですよ。その日は中学校全体がどんよりしていました。日本中がどんよりしていたのかな。とにかく「ドーハの悲劇」の翌日の学校での出来事。

 僕のクラスの担任の先生はとにかく熱い人で、時に鬱陶しいぐらい。みんなからの(僕も含む)「あんなに熱くなってバッカじゃねーの?」なんて中学生特有の浅はかな醒めた態度、世間の何も知らないガキの無責任な口から発せられる言葉は否定的なものばかりだったけれど、それでもその先生は殆どの生徒から支持されていました。明らかに言葉と思いは矛盾していました(みんなも自分たちの矛盾に気付いていたと思う。素直じゃないよね、中学生って)。
 その日、先生は1時限目の授業が始まった瞬間に「俺はこんなに悔しいんだ!だけど選手はもっと悔しいはず・・」と、サッカー協会関係者顔負けの悔しさと苦悩を熱く語り始めました。サッカーなんて今まで全く観てなかったのに、全く詳しくないのに。それでもそのときはクラスのみんなが先生の熱さに同調していたように感じたよ。もちろん僕も。(当時は)サッカーに全然詳しくなかったけれど。
 次の授業は理科。理科の先生はちょっと風変わりなところがある先生で、その日もやっぱり違っていました。はじめからサッカーの話をしっぱなし。でもワールドカップに出られなくて悔しい・・とかそういう話ではなく「サッカーごときに熱狂するなんて日本人の文化レベルもたいしたことない」という内容の話を延々とするのでした。けっきょく30分近く「突然サッカーに熱狂し始めた日本人の文化レベル批判」をし続けました。でも全然説得力なかったんですね。先生は「どうしてサッカーに熱狂するのかわからない。つまらない」と言っている割にはどうしてサッカーがつまらないのかという説明はしてませんでした。
 授業が終わってから、クラスの人間の殆どが理科の先生バッシングですよ。本当に本気で怒っている奴もいたよ。普段、スタイルで「熱くなるのってカッコわりい」と醒めた態度をとっている中学生が、珍しく熱くなれる(そしてそれを公言できる)ものに触れたのに、それを大した説得力もなくあっさりと批判されたことが嫌だったんですね。
 でも僕は全く理科の先生を腹立たしいとは思わなかった。いつもだったら「バカじゃねーの」を連発しているのに(当時の話ですよ。念のため)。怒りは湧き上がることなく「ほんとうにこの人は可哀想な人なんだな」と思いました。そのとき、生まれてはじめて大人を怒りの対象ではなく哀れみの対象で捉えましたよ。そう思った自分の気持ちに僕自身がビックリしました。「なんでムカつかねーんだろ?」って。でも中学生の僕には、その複雑な自分の気持ちを整理して分析し、友人に説明することはできなかった。だから黙っていました。

 今ならわかります。「可哀想だな」と感じたのは「自分たちがめちゃんこ燃えたサッカーの素晴らしさを理解できなくて可哀想」という気持ちもあったけれど、それはほんの少し。その大半は「たかが中学生ごときに熱心な自己肯定をしなければならなかった大人の姿」をはっきりと見てしまったから。そしてそのことを本人が無自覚のうちにしていたことが悲しかった。
 いろんな考えがあっていいんですよ。もちろん万人の好きなものは共通していないし、サッカーの素晴らしさを理解できない人(サッカー嫌いな人)がいても全く問題ない。だけど熱くなるところが違うんじゃないの?と思うのです。好きじゃなかったら黙っていればいいのに。多くの人が“良い”と思っているものを熱心に批判する人は、その自分のマイノリティ具合に酔っているだけなのか、多くの人が“良い”と感じているのにそれを理解できない自分に引け目を感じて“わかってないのはお前たちなんだ!”と批判を繰り返しているようにしか見えないのです。だってそんなのどうでもよくないですか? サッカー好きな人がいたって、サッカー嫌いな人がいたってどっちでもいいでしょう?
 「サッカーの楽しさがわからない奴なんてバカだ」という意見に対しての(反論からの)サッカー批判であるならば、それは論点がずれてます。批判をするなら、そんなアホ発言をする「サッカーバカ」を批判すれば良いのであって、サッカーそのものを批判するのはお門違いです。
 理科の先生が悲しく見えたのは、マイノリティとしての(自分が思っている)自身の正当性をクラスの中学生を怒らせてでも主張したかった「俺は間違ってない」との保身の態度がアリアリだったから。「ごめん。俺、サッカー全然わかんないから」でオーケーだと思うのに。

 ここまで読むと「本当にサッカーに熱い人」っぽいですけど、もちろん話の論点はそこじゃないですよ。この話の「サッカー」はありとあらゆるものに置き換えられます。人間って批判が好きなんだよね。他者の肯定よりも確実に燃えたりする。でも考えて欲しいのは、他者の批判は自己の肯定に裏づけされた行動が殆どという悲しい現実。でもこれは違うんですよ。自分の考えと異なった考えを持つ人を批判したからといって、自分の考えの正当性にはつながらない。まるっきり別次元の話です。サッカー好きな人がいたっていい。サッカー嫌いな人がいたっていい。考えが異なる相手を説得するのもいいです。しかし自分が正しくて、相手も正しいことだってたくさんあるんだよ。

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  • by Led (7726) on 2005年02月11日 0時55分 (#692446) 日記
    間違いなくそう言う人の一人です。

    イヤーなんなんでしょうね。
    肯定とか否定とかそんなに難しく考える事じゃない気もします。

    理科の先生とはお会いした事がないので(当たり前か)、
    また違うかも分りませんが。単なるアマノジャクではないでしょうか。
    何かみんなが熱を上げてるものをつい批判したくなるって、
    経験あるなあ。

    例えば自分の場合、小学校のとき、ドラクエ3くらいまでドラクエ好きでしたけど
    なんだか周りが「ドラクエっておもしれーよな」って言い出した頃から
    自分の興味はFFでした。積極的にドラクエを批判するようになってましたね。
    で、FF7の頃からFF嫌いになりました。なんでって
    今から思えばみんなが「FFっておもしれーよな」って言い出したからのような気もします。

    当の理科の先生はどうだか分りませんが、少数派である事にしか
    アイデンテティを見出せない人もいるんです。
    そう言う人は。まさにおっしゃる通り寂しい人です。
    寂しいから一生懸命仲間を探そうと声を上げるんです。

    で、みんなが乗ってくると自分が自分じゃない気がして、
    また別の少数派に回ってしまう。そう言う人ってつまり
    アマノジャクって表現が一番適切かと思います。
    • 誰かのことを悪く言ったら、思いのほか周りの人がその話に食いついてきて、気付いたら場の話題がその人のバッシングばっかりになって、ふと最初に悪く言ったはずの自分が「そんなにそいつは悪い奴じゃねーよ!!」って口に出している状況でしょうか?・・・違うか(あはは。
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