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430066 journal

kazunosukeの日記: 現代の蟹工船

日記 by kazunosuke

 またも手にしてしまった青春小説.この本なんだけど,こんどは関西国立某K大学の学生ですかそうですか主人公もモテナイと見せかけて最後は逆転満塁ホームランそして陰鬱な「むさっ!男だらけの大学生生活!!」を送った私はどうみても負け組みです本当にありがとうございました(いや,まだ読み終わってないんだけどね).伊坂幸太郎の『砂漠』(アレは確か東北国立某T大学だったような)と同じようになるのではないかと思う次第ですよ.職場の同僚先生は「僕は高校時代の恩師に偏差値の高い大学に入らないと聖心女子大の子とは付き合えないって言われたんです.大学のときは某有名神社でせっせこ働いていたんですけどね….僕はそこで神の不在を知りましたよ」と言っていた.全員に神は振り向いてはくれないから聖心の女の子と付き合うには努力が必要要素になるんだけど,先生の話によるとそれは「高校時代にどれくらい勉強を頑張ったのか」ということに集約される.つまり学歴(※学歴は正しくは「高卒」「大卒」「大学院修了」というように分類されるのだが,大卒の学士インフレのご時世,そのように世間は判断してくれないのでここでは一般的な偏差値別での学歴判断とする)が高くないとアッパークラスのかわいいお嬢さまとは付き合えないという事実(※「ちょっとまて!聖心の女の子はみんなアッパークラスのかわいいお嬢さまなのか?」という意見もあるかとは思うがそこに妥協をしてしまうと話の展開上面白くないので強引に結論付けることにする).さて,家が物凄い金持ちであればきれいな人とケッコンできる.これはけっこう簡単な理屈だ.金持ちJrで低学歴というパターンは少ない.親世代の金持ちは高学歴な人間が多い ⇒ 高学歴の人物は学歴信仰というのがいまだに根強い ⇒ 自分たちの子どもにも情操教育を…と思うのが普通ではないだろうか.あるいは勉強好きな両親の元にいたら子どもも勉強好きになる(勉強するのが当たり前というような)環境だろう.勉強を中学高校時代に必死こいて頑張ればそれなりの大学に入学できる.そうすれば自分自身もアッパークラスを継承できるのだ.そしてそこに明治大正昭和初期の器量のいい娘はお金持ちに嫁いでいた事実を色濃く反映し続けているDNA的な鉄板の連鎖が生まれるのである(僕がいつも利用している路線はKO女子高校の子も多く利用している.KO女子の生徒は押し並べて皆かわいい.某(検閲)女子高校の生徒の多くもその路線を利用しているが,KO女子と比較すると予想通り(検閲)である.いやはや).そして次に考えられるのはクラスタの固定化である.アッパーに所属してしまうとヤンキーと知り合う機会は確実に減る.自分がよく使う言い回しなのだが「ヤンキーの子はヤンキー」である.親が茶髪なら子も茶髪である.亀田の子は亀田である.そしてアッパーとヤンキーは街中や電車内で遭遇することはあっても決して交わることがない.会話をすることも殆どない(稀に一方的に絡まれる程度).これは同じ空間にいながらも,そこにはパラレルな世界が広がっていることを意味している.よくよく考えてみればこれほど奇妙なこともない.しかしそれが現実だ.ミリオネーゼクラスの女性が自分の会社に出入りしている清掃業者の男性アルバイトと結婚するとや誰が思ふ.僕はインドのカーストで例えるならシュードラ層に所属していると思っている.カップラーメンなんかをやっぱりいつも食べていたりする.飲み会だったら職場のシュードラ層のみなさんと一緒に某ワタナベミキの居酒屋に行くことはほぼ決定事項だ.しかも僕はあまり量を食べないし,酒の味もわからない(下戸に近い)のでウーロン茶を飲んだり水を飲んだりしているんだけど,それで「割り勘で8000円ね」なんて言われてしまったらもうほんとうに「これなんて罰ゲーム?」.まあそれぐらいみみっちい人間だからこそのクラスタである.だからオサレな(料金設定高めな)大人のバーなんて問題外の更に外である.大人の人生相談なんてもうクソクラエである.そしてそこで展開されるであろう下らない人生相談を陳腐な脳みそで妄想し,それを論破する訓練なんてのをいつも寒い部屋で屁こきながらしているのだ.もうこうなったら恋愛プロレタリアート革命である! LOVEレボリューション21である!!「大抵の人間であったら歳を重ねれば人生論なんて語ることができる」と文頭の小説に書いてあった.丸っきり同意.だったら同年代や少し年上の人間が何かを語るときに説得力を持つものとは一体なんだろうか.それはプレゼンテーション能力と社会的実績(知的裏づけ)であると考える.先日,(略)の(略)さんとご飯を食べた.彼女は感動しながらしょうもない話を聞いていてくれて,僕はすっかりお大名気分を満喫させてもらった(自分の話が面白いかどうかは置いといて「新しかった」のは事実のようだ).5つ歳が離れていればそりゃそうである.しかし話の導入部分や話題の頂点・別の話題へ切り替えるタイミングがサッパリわかっていない人間は会話も何もできない.そして自分が何を考えて,どうやってそれを相手に伝えていくのか,それ自体がプレゼン能力だろう.一般性がない人間は特殊性も手に入れることができない.デッサンができない人間は抽象画なんて書けるわけがない.だからひとつ次のステップは踏めないのだ.自分の考えを上手く伝えられない人間は,本当は面白い人かもしれないのに面白いとは思われないのである.それは人生論で特に発揮される部分であろう.しかし話が上手くない人でも勝算はある.「うんうん」と聞き上手に徹するとか「君は頑張ってるよ」とかコテコテの“わかっている大人”を演出すればよろしい.女性は案外コテコテに弱い.つまり大人になってしまえばいいのだ.それを補完し,そして最終的には凌いでしまうものが社会的立場や実績・経験という(数値化されるものではないのに実際は数値化されている)ものだろう.どんなに下らないギャグや猥談を飛ばしても,その人物のバックに「司法試験合格」「甲子園出場」「MIT卒業」という看板が設置されていれば全ては尊敬という眼差しに集約してしまうのではなかろうか.だって会社でどんなに頑張っているか,どれほど信頼されているのか,大きなプロジェクトに参加してどのポジションにいるのかなんて,内部にいる人間ぐらいしかわからないものだ.だからこその肩書きであると言える.学歴・年収・資格諸々はその人物なりを,会話で伝えきれない部分において強調・発揮するものである.それを否定したくなるのが本来の下流層であるはずだ.しかし現実は,素直に騙されるのも下流層であり,そこに社会の階層化は完結される.社会的な生活水準や男女の会話に至るまで全てを包み込んでいる階級を否定するのが本来ならば下流層であるはずなのだ.しかし実際に情報は操作されて,智は智に独占される.ソ連邦の崩壊を例に見るまでもなく蟹工船の暴動は失敗に終わるのが関の山だ.そりゃそうである.暴動を指揮した人間がより階級社会を推進する者だったからだ.60年代,70年代のブームとしての左傾化はちゃんちゃらおかしい.そして上層を批判しながらも結果的に統合に向かって上層を強力に支持する下流層が,創られた対立軸との闘いの尖兵となって倒れていく右傾化も論ずるまでもなく肯定しようがないのである.どちらもアホだ.思想の統合ほどアホくさいものはないのだ.人の社会は流動的なものであり,考えもまた普遍的なものである.100%の善も存在しないし100%の悪も存在しない.真実を疑う目も必要であれば,疑いの中に真実を見つめる努力が必要なのである.だからこそ硬直化は恐ろしい.もはや手垢が付きすぎて誰しもウンザリしている「下流」というキーワードをここで意図的に多用しているのもそれを言いたいがためだ.努力する意思が芽生えない・努力しても改善されない(そしてその努力の方向性へのアドバイスさえない)社会は断罪されるべきなのである.しかしそれは声を大にしてもなかなか伝わらないものだ.全ては自分のプレゼン能力のなさと社会的実績(知的裏づけ)の不足である.自分が頑張ること以上に人を頑張らせるのは難しい.どうして僕は教員になんてなってしまったんだろうか.高校時代に全く勉強をしていなかったし青春汁全開の大学生活も経験していない.そして今は日々明日の生活も保障されていない・飲み会の支払い料金に文句をたれる底辺に居るからこその階層化の否定.それなのに,生徒をより偏差値の高い大学に入れてあげたいと思うこの矛盾.現代に蟹工船なんてないのだ.絶対的な真実がないなら蟹工船での暴動の説得力さえなくなってしまう.どこまでいってもパラドクス.どこまでいってもゴールなんてないのだ.

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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike

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