nabetaの日記: 老人病の病院 3
日記 by
nabeta
母が近頃言動におかしなところがあるので、病院へ行くようにけしかけておいたら、行ってきたみたいなのだが杏林病院に言ってきた、みたいなことをいう。でもなにか変なのでよくよく聞くと、近くのクリニックで杉並にある浴風会病院を紹介されて行って来たらしいことが分かる(つまり、杏林病院ぜんぜん関係ないじゃん)。
でもはじめて聞く名前なので iPhone で地図検索してみると、高井戸に病院や老人介護施設などを抱えた郊外の工場施設くらいある敷地を持っている。なんでこんなところに広い敷地が確保できたのか不思議に思い調べると旧陸軍中央特殊情報部(つまり通信関係)があった場所らしい、そういえばこの辺りは通信関係の会社が多い、久我山の岩崎通信に三鷹の日本無線と、軍関係でいたのかといまさらながらに気がついた。
ちなみに浴風会の素性はとんとわからない、社会保険庁の元長官が理事長をしていたりするし、元軍施設の跡地を占有していたりするので、なんだかラノベ的な巨大組織に表看板みたいな妄想が膨らむ。
近隣在住の者より (スコア:1)
なお、運営する浴風会のサイト [yokufuukai.or.jp]によると、養老施設が先にあって、「元軍施設の跡地を占有」ではなく「第二次世界大戦によって施設建物の大半が軍に接収され」たとのこと。
三鷹から調布にまたがる研究所群(海上技術安全研究所、電子航法研究所、航空宇宙研究開発機構)も元軍施設というし(詳細不明)、そういう「広大な敷地の施設」には事欠かない地域です。
Re:近隣在住の者より (スコア:1)
古色蒼然としたレンガ造りの堅牢な建物が鬱蒼とした森に囲まれた秘密の花園のような中庭を囲むように建ち並んでしました。
調べてみると発足は関東大震災のようですので、陸軍は後の話のようでした。
http://www.suginamigaku.org/content_disp.php?c=4607042e6bead
ちなみに「浴風園」の名前の由来は論語の先進篇二十六にある、孔子が弟子たちにそれぞれの抱負を尋ねた場面で、曾皙が答えた「莫春には春服すでになる。冠するもの五六人、童子六七人、キ(川の名前)に【浴】し、ブウ(三月上巳の行事)に【風】して詠じて帰らん」という論語のなかでも一番長いことで有名な箇所から採られているところが、いかにも明治の人がつけた名前らしいのでした。
Typo (スコア:0)
×陸軍中央特殊情報部
○陸軍中央特種情報部