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日記

phasonの日記: 海洋生物が雲を作る気がしていたが別にそんなことはなかったぜ! 3

日記 by phason

"The case against climate regulation via oceanic phytoplankton sulphur emissions"
P.K. Quinn and T.S. Bateas, Nature, 480, 51-56 (2011).

まあタイトルは言い過ぎだが.
最近の様々な人による論文をまとめ,わかりやすく論じるレビュー論文である.

およそ四半世紀前の1987年,ある仮説を提示する論文が発表された.現在では著者の頭文字をとって「CLAW仮説」と呼ばれるその仮説は以下のようなものである.


海洋の微生物は,太陽光が強くあたり温度が高いほど活発に活動し,多くの硫化ジメチル(DMS)を放出する.これは大気中で酸化を受け硫酸イオンとなり,雲の形成を助ける核となる.この結果,太陽光が強いほど雲の形成が活発となり,海洋への太陽光の照射量を減少させるというネガティブフィードバックループが形成され,海中の環境を一定に保とうとする働きを持つ.

これは,生態系が天候を変え自らが生きやすい条件を保つ恒常性を持つというダイナミックな考え方であり,多くの研究者に衝撃を与えた.
さてこの仮説,(肯定にせよ,否定にせよ)検証を行うには非常に幅広い知識が必要とされる.まず,海洋の生態系が,どんな温度,どんな日照条件下でどの程度のDMSを出すのか?という生物学的な研究.次に,海面付近に生じたDMSが,海洋と大気との間でどのように移動するのか?という気-海面での物質移動.さらに大気中での拡散(大気科学),日光や酸素との反応による硫酸イオンの形成比率やメカニズム(大気化学),それによる雲の形成度合いの変化(気象学)などといったものである.CLAW仮説が非常に面白かったことから,それを検証するために多くの研究者が上記の様々な分野で研究を行うようになり,大気化学を含めたこれらの分野に理論,実験データ,研究機材の開発など様々な面で大きな発展をもたらした.
さて,そんなわけで「あり得そうな非常に面白い仮説」として提示され,科学の進歩を誘発した金字塔であるCLAW仮説.現在でも,この発想を引き合いに出した研究や,それを下敷きとした研究も多い.だが,その仮説は結局正しいのだろうか?
今回このレビューで述べられているのは,「近年の研究成果に基づき,そろそろCLAW仮説は棄却しようじゃないか」というものである.

CLAW仮説が成立するためには,以下の各段階の全てが正しい必要がある.

1. 海洋上で雲を形成する原因において,DMSがある程度大きな比率を占める
2. DMSの量の変動が,雲の形成量を大きく変動させる
3. 雲の形成量の変化が,DMSを発生していた地域の日光量and/or気温を変動させる

まず1であるが,そもそものDMSの役割が小さければ,微調節は出来ても大きな調整は出来ない.つまり,他の要因で大きな日照量の変化があったときには無力であることになり,自己調節とはとても呼べない状況になってしまう.
次に2であるが,DMSが大きく変化しても,雲の出来る量があまり変わらなければ意味がない.例えば,DMSが雲を作るのに必要な量の100倍といったような過剰量が供給されているなら,多少DMS生産が変化しても雲の量は変わらず,フィードバックは働かない事になる.
最後に3であるが,雲の量が変わったとして,それがそもそものDMSを発生させていた地域の日照や気温を変化させなければ,フィードバックループは閉じない.
これらを前提に,著者らは最近のデータを元にCLAW仮説を否定してゆく.

まず,雲が生成する主因の問題である.サンプル採取方法の進歩や,電顕などを用いた微小サンプルの分析手段が発達したおかげで,雲が形成されているような場所のエアロゾルの分析が飛躍的に進歩した.その結果わかってきたのは,海洋上で雲の元となる微粒子の大部分は,風により海面から巻き上げられた微細な海水が乾燥して出来る塩であり,プラスして補助的に,海洋プランクトンが作る有機物であるということだ.DMS(からくる硫酸イオン)は,塩が核となる際にこれを助ける効果が見受けられたものの,雲の形成においては主因ではない事が明らかとなった.これは前述の1を否定することとなり,DMSの増減による雲の増減というのはどう頑張ってもそれほど大きくは期待できない(塩粒から生まれる雲が多数を占め,こちらの量は変化しない),という事になる.塩粒由来と考えられる雲の粒子が少なくとも60%程度はあることから,DMSの量の変動で頑張っても40%以下程度しか雲の量は変動しないと期待される.
(実際には,検出された硫酸イオンの量はもっと少ないため,DMSの量の変動による雲の量の変化はさらに輪をかけて小さいことになる.次項も参照のこと)

次に問題とされたのが,気温や日光の変動に対するDMSの変動の小ささと,さらに輪をかけて小さい雲の生成量の変動幅である.近年の測定結果やモデル計算によれば,DMSの量を変えることで変化する雲の量は非常に小さい.例えば,温暖化予測に関連して様々な二酸化炭素量の変動が計算されているが,二酸化炭素濃度が1.5倍に増えたとしても,海洋プランクトンによって生み出されるDMSの量は1%しか増えず,雲の核となる粒子に至っては0.1%しか増加しない.逆に例えば,海面温度を1.3 Kほど下げようと思えば,DMSの放出量を4倍に増やさなければならないが,海面温度が1.3K上がったからといって海洋プランクトンからのDMSがそんなに増えると言うことは考えられない.
これは,そもそも海洋から巻き上げられた塩などの他の核となる粒子が既に十分存在しており,(低層では)DMS由来の硫酸イオンが増えようが何だろうがそれ以上の核はほとんど意味がない,という事に関連している.

ただし,高層大気においては別である.DMSは気体であるので,容易に高層にまで上っていく.そこで強い紫外光により分解され硫酸イオンを生成,それが低空に降りてきてそこで雲を作る,というメカニズムは実際に存在していると考えられている.ただしこの場合,DMSが大気とともに(上るときと降りるときに)長距離を移動してから雲が出来る事になるため,そもそものDMSを発生させていたプランクトンとは全く別の位置での日照量が変化することになり,フィードバックループは形成しない.そのためこの場合でも,前述の3が成立しない(何せ変化するのは違う場所の日照である)ため,CLAW仮説には問題が生じることとなる.

そんなわけで,そもそもの提示されていたCLAW仮説は間違いであり,そんなに強いフィードバックは働いていない,というのが著者らの主張である.まあもっとも,「いいや,CLAW仮説は成り立ってるんだ」という立場の研究者だってまだまだ居るので,そう簡単に決着が付くわけではない.
ただ少なくとも,今回の著者らも述べているが,CLAW仮説が間違いであったとしても,それが科学の様々な分野を刺激し,大きな発展を引き起こしたことは事実であり,大気科学史上で重要な論文となったことは間違いない.

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  • by funakichi (28497) on 2011年12月01日 22時38分 (#2059608)
    むかーし、高校生のころ(?)、大気中の二酸化炭素量が増えて温暖化するとサンゴとかの活動が活発になって大気中の二酸化炭素を取り込むというネガティブフィードバックがあるというのを読んでいたく感激したのを思い出しました
    • by phason (22006) <mail@molecularscience.jp> on 2011年12月01日 22時55分 (#2059617) 日記

      その辺の話も難しくて,水温が上がって活動が活発になるプランクトンもいれば,一部の珊瑚のようにちょっと水温が上がっただけで死滅する貧弱君もいる,さらには水中の二酸化炭素濃度が上がって酸性度が上がる効果(円石藻のような石灰の殻を作って二酸化炭素を固定化するプランクトン類が,殻を作れず死滅する効果)などが出てきたりと,なかなか話がまとまりません.

      今年も関連する論文が出ていて,例えばNatureの論文で

      http://dx.doi.org/10.1038/nature10295 [doi.org]
      Nature 476, 80–83 (2011)
      "Sensitivity of coccolithophores to carbonate chemistry and ocean acidification"
      (大気中の二酸化炭素濃度の上昇は円石藻による二酸化炭素の固定速度を低下させる,という論文.ただし,過去のデータから予想される変化に比べ,現在の急激な酸性化条件下での固定速度の低下が緩やかであることから,実際の系は非常に複雑な相関も含むことが予想される)

      なんてのも出てたりします.

      親コメント
      • by funakichi (28497) on 2011年12月01日 23時26分 (#2059629)

        そうなんですね、やっぱり。

        水温上昇でサンゴ死滅というニュースとか読んでアレレと思ったり、むしろ海水自体に負帰還作用があるんだとか、それはそれで酸性度が上がって珊瑚が死ぬんだとか読んだりで、まあ、難しそうだなとは思ってたとこにこのエントリを読んで連想した次第です。

        親コメント
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