xapの日記: 鋳鉄とクレーンと放射能の時代(2)
前回の続き。
問題の「富士山登山」は、数週間後に実施された。
午後9時くらいから、五合目にて簡易酸素ボンベとビニール合羽を渡され、次の日の日の出までに頂上に到着しようというものだった。
「まるで、特一級の罰ゲームじゃないか」と思った事を今でも記憶している。
結局、数人の脱落者が出たものの、殆ど全員登頂し雲海に上る朝日を拝む事はできたが、酸欠と疲労と空腹であまり感動した覚えはない。
覚えているのは、袋インスタントラーメンのようなラーメン(具無し)が700円した事と、たまたま持っていたチョコレートがひどく美味かった事、「俺はナゼこんな事してるんだろう」という疑問を日本一高い所で考えていた事だけだ。
それからの日々は、またいつものように朝マラソン、研修、夕方筋トレが続いた。
研修はどんどん実践的になり、中ハンマーの振り方や、クレーン操縦、玉掛け(クレーンに吊るすモノがブレたり落ちたりしないようにロープを掛けたり、材料の重心や重さを見極める為の技能)等の技能を覚えこまされた。
(従って俺は、何故かクレーン操縦と玉掛けの技能免許を持っていたりするが、現業界の履歴書には間違っても書かない事にしている。)
肝心のコンピュータの研修は「2進数、16進数とは何ぞや」とか「コンピュータの仕組み(入力、記憶、演算、制御、出力とかいうアレ)」とかをサラっと流して終了してしまった。
「終わりかよっ!」とツッコミを入れたくなったが、この頃には、なんかもうどーでも良くなってきていた。
テキトーに給料貰って、同期の仲間でワイワイ騒げりゃそれでいいじゃん、若者だもの。みたいな感じになっていたと思う。
結局、半年間の研修期間を終え、正式に工場内の各部署に配属される事となった。
俺が配属されたのは、皆が「島流し」と呼ぶ人工島の最果てにある部署だった。
またつづくかも。
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