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日記

yasuokaの日記: 黒沢貞次郎はカトリックだったのかプロテスタントだったのか

日記 by yasuoka

ネットサーフィンしていたところ、平川克美の『隣町探偵団 第26回 黒澤貞次郎が残したもの』(みんなのミシマガジン, 2013年11月3日)に、私(安岡孝一)の『タイプライターに魅せられた男たち 第58回 黒沢貞次郎(11)』(三省堂ワードワイズ・ウェブ, 2012年11月1日)が引用されているのを見つけた。せっかく引用してもらえたので、平川の記事で疑問のまま残されている点の一つについて、私なりに答えてみようと思う。

ワシントン州タコマに向かうノーザン・パシフィックの蒸気船の16日に及ぶ旅の中で、貞次郎は足を怪我してしまい、それがもとで生死の境をさまようことになった。この体験と、そこからの脱出が黒澤貞次郎をクリスチャンにしたという。アメリカ西海岸に就いたのちも、貞次郎は日曜日ともなれば地元のYMCAに顔をだしていたとのこと。
YMCAは、宗派を問わない団体であるので、この記述だけでは黒澤がカトリックなのか、プロテスタントなのかよく分からない。

帰国した黒沢貞次郎は、田村直臣の数寄屋橋教会に参加している。結婚式を挙げたのが数寄屋橋教会なのかどうかは、残念ながら私には突き止めきれなかったが、長男の敬一を筆頭に、子供たちを数寄屋橋教会に通わせていたのは間違いない(cf. 「吾等が村」を語る, 大田区史研究 史誌, 第31号 (1989年7月), pp.5-44)。もちろん、この時期の田村直臣は日本基督教会を除名されていたので、話が多少ヤヤコシイのだが、それでもカトリックかプロテスタントかと問われれば、まあプロテスタントで間違いないだろう。

ちなみに、黒沢貞次郎の告別式(1953年2月2日)で聖書を朗読したのは、蒲田賜恩教会の岸田愛治である(cf. 大内誠三: 黑澤貞次郎さんの追憶, 電氣通信, Vol.16, No.75 (1953年3月), pp.12-16)。蒲田御園教会の栗原久雄ではないので、その点にも注意されたい。

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