あー、うん。いくつか違いがあるね。
まず、「Tolerance」 じゃ駄目なの。「Forgive」でないと。
「Tolerance」は「忍耐する」とか「我慢する」という意味。『苦虫を潰したような顔をしながら諦める』ような状態が Tolerance。日本人だろうがアメリカ人だろうが、お客様はそれじゃ許してくれないよね? Forgive は「仏の顔も三度まで」の『仏の顔』状態。少なくとも仏の顔になってくれるぐらいじゃないといけない。Tolerance なんて単語、使った段階で主張が通らなくなる。
こういう状態はむしろ宗教用語を使ったほうが良い。Forgive は「あなたが反省したならば」神はあなたを許します、という意味(ましてや神が許すのに人間が許さないとは何事ですか? と続く)。反省してくれなくちゃ困るわけ。Tolerance だと
「じゃ、どこがギリギリのポイントか、削ってみようか」
とか、むしろ逆方向に行ってしまう。それじゃ困る。Forgive だと便利なんですよ。
「汝、神を試すなかれ」
とか2000年かけて教育してくれてるから (^^;)。
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次に、「患者が許容できる範囲(zone of tolerance)」って、「理想的なサービス(desired service)」とか「適切なサービス(adequate service)」とかと同様、計測できるって事になっているよね? でも「Forgive」であれ「Tolerance」であれ、そちらは測れるだろうけれど、「Desired Service」のレベルって計測できないよね? お客様も何をされれば満足するのかなんて到底わからないし(判らないから、「金を払うからどうにかしてくれ」って言っているわけ。医療の場合は「健康になる」という、まだ判りやすい指標がある)、「適切な」というのも曖昧だ。
ましてや、ここで大事なのは、「Adequate や Satisfied」なレベルと 「Tolerant や Forgive」 なレベルの 差 となると、両方がある程度計測できなくちゃいけない。「Adequateのレベルが客と医者とでずれている」が判っても、じゃぁ正しい Adequate って定量的に何をどう測ったときのどのレベルなのか? は判らない。
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さらに、この議論、「コスト」のモノサシが他のモノサシと同様に述べられている。確かに提供する側の理論としてはそうなるんだけれど、特に日本の顧客満足度という観点からすると、これは間違い。客は10円であれ10億円であれ、「払ってしまった」ら「払った」としか思っていない。10円のチロルチョコだろうが、10億円のコンピューターシステムだろうが、品質に関する要求レベルって実はあまり違わない。常に完璧を要求する。
# その意味で、要求品質を満たし続けているチロルチョコってすごい。
基本的に、見てくれの複雑さとかそういうものに値段が比例する分には日本人は文句を言わない。
でも、「一つの例外もなく、つなぎ目がピシッと揃っている」とかそういう品質は値段の一部だと思わない。
それが何故なのか? http://www.fihs.org/hoken1_2.html の議論ではそういう側面は議論していない(医療は量産できないから、というのも理由だとは思うが、それだけではあるまい)。
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そして何より。同じ次元数で、評価点を1箇所増やすだけの CF の議論は、パパッと説明できるし、ある程度直感的に理解できるので、説明しやすいんです。
えぇ、かなり誤差のある近似だと言うのは判っていますよ。でも、とりあえず「今使っている物差しよりはまし」ですからね。