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教義ではなくて思想なんですけどね。 盲目的に絶対的なものを「信仰」するのと、自分の頭使って「考えつづける」こととを同一視するのはいかがなものかと。
信仰というものが「盲目的」だというのは偏見じゃないのかな。Debianが自身の思想に忠実であろうとして、社会の現実と衝突しまくる様子は、最初は素朴かつ純粋だった宗教が教団の拡大にともなって教義の真髄と現実的な布教の間で矛盾にさいなまれる様子に似ていると見る人がいても、そうおかしな話じゃないと思いますけど。歎異抄 [wikipedia.org]なんか読むと、その辺のことはわかると思うけど。
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
ありがとうUbuntu (スコア:2, 興味深い)
この手の教義の衝突にはうんざり。
Debianユーザーの全てがDebian思想の崇拝者ってわけじゃない。
それとも、Debianってのは、ただ便利だから、って理由で使ってはいけないOSなのでしょうか。
Debian思想がもたらしてくれている利益も大きいけど、Debian思想によって排斥される利便性もある。
フリーライダーとしては、Ubuntuという逃げ道があって本当に良かったと思う。
Re:ありがとうUbuntu (スコア:1)
盲目的に絶対的なものを「信仰」するのと、自分の頭使って「考えつづける」こととを同一視するのはいかがなものかと。
>それとも、Debianってのは、ただ便利だから、って理由で使ってはいけないOSなのでしょうか。
使う側は「便利だから」で済んでも、作って配布する側の立場に立てばそれなりの責任が問われます。
だから、その責任を果たすために努力しているだけです。
Re:ありがとうUbuntu (スコア:1)
信仰というものが「盲目的」だというのは偏見じゃないのかな。Debianが自身の思想に忠実であろうとして、社会の現実と衝突しまくる様子は、最初は素朴かつ純粋だった宗教が教団の拡大にともなって教義の真髄と現実的な布教の間で矛盾にさいなまれる様子に似ていると見る人がいても、そうおかしな話じゃないと思いますけど。歎異抄 [wikipedia.org]なんか読むと、その辺のことはわかると思うけど。
Re:ありがとうUbuntu (スコア:1)
信仰=盲目的とは私は言ってませんよ。盲目的に絶対的なもの(教義や神など)を信仰する、とは書きましたが。
>Debianが自身の思想に忠実であろうとして、社会の現実と衝突しまくる様子は、
>最初は素朴かつ純粋だった宗教が教団の拡大にともなって教義の真髄と現実的な布教の
>間で矛盾にさいなまれる様子に似ていると見る人がいても、そうおかしな話じゃないと
>思いますけど。
そういう見方をして宗教と同一視するかたもいらっしゃるんでしょうねぇ。
まぁ、かくいう私なんかも冗談めかして言うこともあります :)
大真面目に言うと、Debian にはその教義とやら(社会契約のことだとと思いますが)も民主主義的な手続き(投票)で変更されうるし、
教祖様もご本尊も神様も超自然的な何かも無いので、宗教と同一視するのは違うでしょう。
#ところで、あなたは社会の現実とは衝突してませんか? :)
現実と衝突なんていくらでもあることじゃないですかね。