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マクドナルド、賞品のMP3プレイヤーをウイルス感染で回収」記事へのコメント

  • メモ帳が起ち上がる>発症
    検知のメッセージが出た>感染行為を検知した

    ですね。

    ただ、広辞苑を引いたら「病気がうつること」と有るので感染=発症でもいいのかなぁ?
    「発症」を調べたら「病気の症状が現れること」とあるけど。

    まぁ、広義の意味で「感染」で良いのだろうけれど、気にし出すと止まらない。

    ところで「MP3問い合わせ事務局」って名前はもう少し考えた方が・・・
    MPEG-1 Audio Layer-3について問い合わせしていいのかしらん?

    #重箱の隅をつつくようなコメントだけどID
    • Re:日本語は難しいです (スコア:1, すばらしい洞察)

      by Anonymous Coward on 2006年10月14日 12時46分 (#1037156)
      なんでも日本語のせいにしないでください。
      日本語が難しいのではなく、文章を論理的かつ正確に書けない人が日本語圏に多いだけです。
      あきらめましょう。

      でも、プレスリリースくらいなんとかならんのかいな > マクドナルド
      これも香港から「納品」された文章だったりして。

      > 現象といたしましては、当賞品をパソコンに接続した際、その
      > パソコン上で「中国語のメモ帳が立ち上がる」「ウイルス検知
      > のメッセージが出た」等といったご連絡を12日現在で7件いた
      > だいております。

      つまり、マクドナルド的には「連絡を7件いただく」という「現象」があったと。

      親コメント
      •  主語-述語構造と考えるとねじれているが、主題-解説構造 [wikipedia.org]と考えるとそれほど不自然な日本語ではないでしょう。
        親コメント
        • 残念!同じ文に複数の解釈が成り立つ時点でアウト [nobody.jp]。
          日常会話や文芸では許される手法でもテクニカルライティング、ビジネス文書では御法度 [mew.org]。
          •  一つの解釈しか成り立たなさそうですが…。わかりにくくもありませんし。
             主語-述語構造の方が、語の関係が若干明確なようにも思われますし、個人的にもこちらの方を好みますが、それには学校教育で主題-解説構造を教わらないことと、どちらかといえば日本人が日本語文法より英語文法に詳しそうなことが影響しているものと思われます。どちらがいいかは状況次第でしょう。
            親コメント
            • by typer (9666) on 2006年10月15日 15時28分 (#1037479) 日記
              『現象といたしましては、当賞品をパソコンに接続した際、そのパソコン上で「中国語のメモ帳が立ち上がる」「ウイルス検知のメッセージが出た」等といったご連絡を12日現在で7件いただいております。』
              省略された部分の復元
              『現象といたしましては、(当社は)当賞品をパソコンに接続した際、そのパソコン上で(発生する)「中国語のメモ帳が立ち上がる」「ウイルス検知のメッセージが出た」等といったご連絡を12日現在で7件いただいております。』
              修飾部分の削除
              『現象としては、(当社は)パソコン上で(発生する)○○といった連絡をもらっている。』
              主題を元の場所に移動
              『(当社は)パソコン上で(発生する)○○といった現象として連絡をもらっている。』
              修飾部分を文に戻す
              『(当社は)[○○といった現象がパソコン上で(発生する)]として連絡をもらっている。』

              さて、『○○といった』はどこに係っているのでしょうか。
              親コメント
            • ますますオフトピになりますが…

              複数の係り受け構造が成り立つ文に対して、なぜ通常一つの解釈しかされないケースがあるのか? また、なぜ多くの人がそうした場合に違和感を感じないのか?
              それは一つには、読み手のスキーマ(構造化された知識)や文化的背景などのコンテキストによって類推され、「通常」それ以外の解釈はしないという前提があるからではないでしょうか? 人間は学校で教わるような文法で考えたり話したりしているわけではありません。

              少なくともこのように解釈をコンテキストや読み手に依存する文章は、公にリリースするような業務レベルの文書には適していないでしょう。

              そもそも、「○○といたしましては」の「いたす」は謙譲語なので、本来「○○」には自分(側)が主体になる内容がくるべき所を、第三者(連絡したユーザー)が主体となる内容をもってきているためにおかしくなっている気がする。

UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie

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