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中国が再びWikipediaへのアクセスを遮断」記事へのコメント

  • まさかな……まさか。

    #それともガス抜きとでも考えてたんだろうか?

    --
    LIVE-GON(リベゴン)
    • 日本版wikipediaの編集合戦を見るにつけ、政治的な主張をしたいなら
      誰でもが書き換えられるwikiでするべきじゃないよなあと思うんだけど、
      中国政府に睨まれることを覚悟の上で、しかも
      自分が決死の思いで書いたものが即あっけなくリバートされることを覚悟の上で
      政治的に微妙な項目をwikipediaりたい中国人なんているのだろうか?
      • > 自分が決死の思いで書いたものが即あっけなくリバートされる
        ちょっと視点は違うんですが、中国人にとっては納得できるけれど、
        他の国の人間から見れば客観性を欠く記事が改修されないという点
        についても看過できないと思います。

        中国人と付き合いがあると、彼らにはかつて栄華を極めた唐王朝や
        その王族の李氏に対するイメージを自身に重ね合わせ、自らの正統
        性を主張したがる癖が鼻につくことがあります。
        # それはそれで微笑ましいと感じることもありますけどね ;-)

        この「唐」を日本語版の Wikipediaで検索すると、以下のような記
        述に当たります。

        > 唐李氏は鮮卑系であるとの見
        --
        # When humans are connected, small voices will become larger.
        • >中国人にとっては納得できるけれど、
          >他の国の人間から見れば客観性を欠く記事が改修されないという点
          >についても看過できないと思います。


          特に歴史観や政治が関わってくるwikipediaの記事については、他の民族、他の国の人が納得できない記事が書かれる可能性というのは、世界中どの国のwikipediaでも同じように持っているのではないでしょうか。

          wikipediaの理念というのものを考えるとき、少数のフェアな編集者によってのみ編集が行われて、その結果が記事として固定化さればそれで足りると考えているとは思えない。wikipediaという場により多数の人間がかかわり、民主的なプロセスを通して、一度書かれた記事の内容が"いまより相対的に公平になるような可能性"を重視している。その証拠として"優秀な編集者による完璧なこれ以上ない記事"が書かれたことで記事を追加編集できなくする機能というのはwikipediaには実装されていない。もちろんS/N比みたいな問題もあって、その国の民主主義の成熟度により、現在の編集者の質や記事の質も変わってくるけれど、基本的にはより多くの編集者や閲覧者が存在することによって、以前よりもっとフェアな記事が生まれる可能性というものがwikipediaを支えている。そしてこのような可能性やプロセスが有効に働く前提として、検閲やアクセス制限というものがあってはならないということが大切だと思います。

          重要なのは日本のwikipediaにはアクセス制限が無く、中国のwikipedia(というかインターネット)にはアクセス制限があると言うことです。それは日本のwikipediaでは仮に現在アンフェアな内容の記事でも、公平な記事に書き換えられる"可能性がある"一方で、中国のwikipediaでは一度書かれたアンフェアな記事が放置される可能性が高くなることを意味している。

          つまり仮に、中国のwikipediaよりも日本のwikipediaの方がよりフェアな記事が充実しているとすれば、問題なのは公平な視点を持った日本人編集者が多く、偏った視点を持った中国人編集者が多いからと考えるよりも、アンフェアな記事について"よりフェアな記事に編集し直さなければならない"という力が働かない仕組みになっているからだと思います。

          >たとえアクセスが開放
          >されたとしても、自分達にとって都合の悪い情報は公開しないとい
          >う点で依然問題が残ることは否めません。
          >アクセスの開放も大切ですが、より求められているのは客観性の獲得かと。

          どうしても私たち日本人は、中国という国やそこで生きる人々の日頃の行動を見る限り、彼らがどれだけたくさん集まっても、wikipediaのような仕組みを本来あるべき役割が果たせるように利用できるのだろうかと疑問を持ってしまう。

          けれどwikipediaの仕組みを考えたうえで、Qmart氏の言うような"客観性の獲得"を実現するためには、アクセスの解放が先に行われるべき重要なことだと思う。なぜならwikipediaの客観性を担保しているものは、少数のフェアな編集者ではなくて、より多くの編集者や閲覧者の存在によって、いまよりフェアな記事が生まれる可能性であるからと考えます。

          さらに付け加えれば、中国のような民主化の遅れた国家において、wikipediaのように編集者や閲覧者を含めた参加者一人一人が、よりフェアな記事に価値を認めるという仕組みが取り入れられていくことが、国家の民主化にとって大切なことではないかと思います。
          親コメント

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