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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
どこかの先生がおっしゃられていたのですが (スコア:0)
人間は死ぬわけですからその死の恐怖を和らげるためにボケが存在すると
そうすることで死の直前まで恐怖を感じることなく死ねるから幸せである。
逆に辛いのは癌患者のように余命が知らされて死の直前まで意識があることの方が
人にとって辛いと言う事らしいのですが…
どう思います?
#どちらがいいのかわかりませがね
認知症(痴呆)は進行性のもの (スコア:4, 興味深い)
>そうすることで死の直前まで恐怖を感じることなく死ねるから幸せである。
認知症が発症したからといって一気に見当識や判断力がゼロになる訳ではなく、
徐々に進行していくものなので、本人がある程度、自分の知的能力が障害されて
つつあることに気づくことは珍しくないのですよ(「物忘れ外来」というものが
あるのはその良い例)。このことがどれだけ不安を引き起こすものかわかります
か?
軽度〜中等度の認知症の人と話したり観察してみれば、そうした方々がなにかを
理解できなかったときに、強い不安を持ったり自信喪失に陥りやすいことは、表
情を見ているだけでよくわかります。
Re:どこかの先生がおっしゃられていたのですが (スコア:1, 興味深い)
ボケて死を怖がらなくなると、子孫を多く残す可能性が増える
というならそういう方向に進化が働くでしょうが、
実際はそんな方向への進化の圧力は存在しません。
タダのトンデモ論ですな。
医学が発達する前は、大半の人間はボケる前に死んでいたものです。
さまざまな薬や治療法が発達して、寿命が延びた結果、
いままで無かったほど脳を長い間使うようになってきたが、
脳の方は進化の過程でそんなに長い期間使うようには設計されてはいなかった、
というのが、妥当な解釈かと。
そのうち現在薬でさまざまな臓器のトラブルを押さえ込んで長生きさせているように、
脳の老化もある程度までは抑えられる薬が出来てくるかもしれません。
死ぬ間際までクリアな思考のままでいられるようになるかもよ。
そこでちょっと思うのは、脳のロジカルなシステムも果たして長寿命に対応しているのかなぁ、
ということ。
長期間運用しているコンピューターがシステムが、メモリに残るごみや、管理するデータの
肥大化で徐々に不安定になっていくように、たかだか数十年ほどの寿命の中で
うまく機能するようにしか作られていない脳も、たとえハードウェア的には健康に保てても
ソフトウェア的には長期間の運用で不安定になったり破綻したりしやすくなるのかも知れない。
脳の不安定化、、、発狂やノイローゼですか?
みんな長生きして、最後は発狂しながら死んでいく未来ってなんか壮絶。
Re:どこかの先生がおっしゃられていたのですが (スコア:1, 興味深い)
>タダのトンデモ論ですな。
元のACとは違うACですが、そういう予定調和論的な『学説』はあるみたいですよ。
生半可な記憶ですが、例えば「死後、見る風景」として報告されている
「川を渡る」「花畑」「人生の全再生」とかいう報告(瀕死の事故のあと生還した人の報告)は
「生まれる前に『死に瀕したら再生するプログラム』としてリストされていたもの」
と考える一派があるらしいです(例えば「死後、前世を振り返らないために必要な措置なので」とか)。
#90年代(まあ、オカルトとか新宗教とかもてはやされた時期)に聞いた話なので、
#その「一派」が今はもういない可能性もあるけど。
この議論がどの程度に真剣に議論されていたのか知らないのでAC。
Re:どこかの先生がおっしゃられていたのですが (スコア:1)
> そういう予定調和論的な『学説』はあるみたいですよ。
どんなトンデモだって,体裁さえ整っていれば (あるいは「自称」でも),「学説」になり得ますものね。
論に値いするかどうか,だけの話で。
# 「神様が全部創った」だって,「学説」。
それでも,ファンタジーとしても楽しめなかったり,トンデモとしても今ひとつだったりすると,それはもうそこらへんにうっちゃっとくしか。
"Patriotism is the last refuge of a scoundrel." - Samuel Johnson
Re:どこかの先生がおっしゃられていたのですが (スコア:1)
# ヒト以外はどうなのだろう? というのは,脱線しすぎか。
うつの一種に,どんな感情活動もできなくなってしまうものがあって,つまり,よろこびもなくなってしまうけれども,苦悩も感じなくなってしまう状態なのですが,その場合,苦悩できないこともつらい,ということになります。
「苦悩できない苦悩」は,経験はともかく,想像も難しいところではあると思いますが。
それに「ボケ」ている人が「ボケ」ていることによって,しあわせなのかどうか,余人が知ることはかなり難しいと思いますし。
"Patriotism is the last refuge of a scoundrel." - Samuel Johnson
発言の文脈は? (スコア:1)
・学術的な意図でなされたものか
・患者(とその家族)への精神的なケアとしてなされたものか
で解釈は変わるところですね。
飼っていた犬が死を間近にした時、獣医さんが
「もし尿毒症が起きたらひどい痙攣を起こすから家族は見ていて辛いかもしれない、
でもそうなった時は本人(犬)の意識はもうなくなってるから苦しみは感じない」
と言ってくれました。
それは獣医学的見地によるものなのだったのか、家族への慰めとしてついた「優しい嘘」だったのか……。
(幸いその犬は穏やかに息を引き取りましたが)
Someday, somehow, gonna make it alright but not right now.
Re:どこかの先生がおっしゃられていたのですが (スコア:0)
望みもしないのに酷いボケがやってくるのが、本人にも周囲にも問題なわけで。
Re:どこかの先生がおっしゃられていたのですが (スコア:0)
介護する周囲の人間にとってはとてつもない労苦になりますから
肯定する気にはなれません。
いつも健康そのもので、最期はポックリ死のパターン以外は
どれであっても、どこかで辛い思いをする人が出ざるをえませんよ。現状。
介護ロボットの実用化なども、まだ遥かに先の話ですから。
ま、その頃には動かすための資源が足りないかもしれませんが。