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英語版ならいざ知らず、日本語版はドネーションする価値ないだろ
実際のところ、ウィキペディアなどのコンテンツはウィキメディア財団の運営するコンピュータで一緒くたに放り込まれていて、一つの巨大データベースにドメイン分割という仕切りを充てているだけです。サーバー機器の運用その他は全部一括してウィキメディア財団の開発者と呼ばれるグループによって行われています(財団から給料の出る常駐職員はブライオンさん一人だとどこかで聞いたように思います)。ドイツやらいくつかある支部ではイベント事などの企画運営をやったりといったことをやりますが、そこも基本的に自律採算で財団に寄付されたお金が回るわけではないですし。
そういうわけですから、開発者も居ないし支部も無いような日本語版にはお金が回ってくることを期待すべくもありません。もちろん、財団のお金が回ってくる「日本語版運営グループ」など存在しようがありませんし、そもそもそのような架空の組織には何もできません。
ジンボウェールズの創設したウィキペディアというプロジェクトは、ウィキというシステムにより多くの目による監視が質の向上を助けるものだという(ある意味性善説に類する)考えに基づいています。質の保証・向上は全参加者の執筆に対する自覚と全参加者および全読者の相互監視の体制に委ねられていますし、管理者と呼ばれるユーザーが特権的な振る舞いをすることも基本方針として禁じられています。
「管理グループ」なる架空の組織を偶像として創造して、それを正義の鉄槌で叩いている自分というものを想像して悦に入るのは、ブログかチラシの裏に書く日記ぐらいにしておいてください。仮にウィキペディアに何らかの形で参加しておきながら、腐敗した管理グループの弾劾などと言っているのであれば、それは参加者としての自分の責任を放棄しているのに過ぎないことです。本当に自分が正しくて、一部の独裁者が邪魔をしているだけであるのならば、自ら行動し様々な決まりを今の決まりを守りながら変えていかなければいけないでしょう。もしあなたの想像が正しければ、あなたは賛同者を得て自ら管理者となり、悪の管理グループは賛同を失って「失墜」していくことでしょう。もしあなたが、コミュニティに否定されたら、自分が道を踏み外していることに気付かなければならないでしょう。
仮に、まったくウィキペディアとかかわりの無いところで、ウィキペディアに根も葉もないことを書かれて困っている、あるいは憤っているということならば、その人は一つの選択を迫られます。ウィキペディアの中の人に成るのか外の人として関わるのかの選択です。このとき、一つ大きな落とし穴を見落としがちになります。
内容を変更することの敷居は、ウィキと言うシステムのおかげで低いですから、自分が外部の人間であるという意識のまま項目を編集してしまうかもしれません。しかし、記事を編集するということは内部の人間として関わるということであることを忘れてはいけません。特に、不特定多数が目にしている項目を白紙化してしまえば、内部の規定に沿って誰かが記述を元に戻してしまいますし、気をつけないと例え被害者であるとしても荒らしとして排除されてしまいます。記事を直接編集する方法で、望む結果を得るには、内部の規定を知り、内部の規定に添った形でないように変更を加えるという非常に面倒な方法を取らなければいけません。そのような行動を強いられるのは苦痛でしょうし、ウィキペディア運営と言うのはなんと横柄なことかと感じられるでしょうが、自業自得です。
外野としての自分の位置を保ち、上からものを言うためには、記事を編集するのではなく、要求して編集させるという行動を取る必要があるでしょう。対外窓口としていくつかメーリングリストが用意されていますから、そこへ苦情を出して後は推移を見守るのがいいでしょう。項目の内容をどう変更するかは内部のコミュニティ(名目上は全参加者の個々の行動の総体としてのコミュニティ)の決定に従いますから、必ずしも自分の思っている状況へ向かうわけではありません。どうしても納得がいかなければ訴訟を考えればよいでしょう。訴訟を行う際も「ウィキペディア日本語版運営」なるものは存在しないということを念頭に、誰に責任があるのかを考える必要があります。もしかすると、あなたの目には「管理者」なるユーザーステイタスが組織の管理を行うものの肩書きに見えるかもしれませんが、そうではありませんので注意が必要です。もっとも目安となるのは、各項目の履歴と差分です。誰がどういう記述を追加したのかということを確認し、該当者を探すことから始めるのが最も現実的です。作業者(オペレータ)でしかない「管理者」と呼ばれるユーザーが責任を問われるとしたら、コミュニティも外野も削除すべきと判断した事案で削除作業をしなかったという場合などに限られるでしょう。
ウィキペディアは不特定多数の参加者によって形成されるコミュニティに支えられており、明確な形での組織というものが存在しないため、責任の所在が不特定多数に分散してしまいます。要するに、文句が言いたいけれど(いちいちきちんと調べなければ)誰に文句を言ってよいか分からないという厄介な存在なわけです。本当に不満を解消するつもりであるならば、お客が営利企業を訴える際の常識というものは忘れたほうが身のためです。架空の組織をでっち上げて批判しているつもりになってしまうことは、最も損な選択をしているということに他なりません。
まあ、ウィキペディア日本語版の質が低いというのは、参加している人たちもみんな分かってますよ。分かってないのは問題投稿を繰り返す人くらいのものです。たとえば、オリジナルリサーチ(これはサブカルチャーや歴史もので顕著ですが出典に乏しい妄想交じりの記述がたくさんあります)を繰り返す人たち。たとえば、文章的な中身の無いニュース速報を繰り返す人たち。たとえば、ゴシップや根も葉もない噂、どうということも無いトリビアの羅列、ゲームの設定を史実の記述に紛れ込ます、などの編集を好む人たちというのは、ウィキペディアという言葉が人口に膾炙するにつれてどうしても増えますから、悩みの種は尽きないことでしょう。
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:-1, フレームのもと)
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:3, 参考になる)
実際のところ、ウィキペディアなどのコンテンツはウィキメディア財団の運営するコンピュータで一緒くたに放り込まれていて、一つの巨大データベースにドメイン分割という仕切りを充てているだけです。サーバー機器の運用その他は全部一括してウィキメディア財団の開発者と呼ばれるグループによって行われています(財団から給料の出る常駐職員はブライオンさん一人だとどこかで聞いたように思います)。ドイツやらいくつかある支部ではイベント事などの企画運営をやったりといったことをやりますが、そこも基本的に自律採算で財団に寄付されたお金が回るわけではないですし。
そういうわけですから、開発者も居ないし支部も無いような日本語版にはお金が回ってくることを期待すべくもありません。もちろん、財団のお金が回ってくる「日本語版運営グループ」など存在しようがありませんし、そもそもそのような架空の組織には何もできません。
ジンボウェールズの創設したウィキペディアというプロジェクトは、ウィキというシステムにより多くの目による監視が質の向上を助けるものだという(ある意味性善説に類する)考えに基づいています。質の保証・向上は全参加者の執筆に対する自覚と全参加者および全読者の相互監視の体制に委ねられていますし、管理者と呼ばれるユーザーが特権的な振る舞いをすることも基本方針として禁じられています。
「管理グループ」なる架空の組織を偶像として創造して、それを正義の鉄槌で叩いている自分というものを想像して悦に入るのは、ブログかチラシの裏に書く日記ぐらいにしておいてください。仮にウィキペディアに何らかの形で参加しておきながら、腐敗した管理グループの弾劾などと言っているのであれば、それは参加者としての自分の責任を放棄しているのに過ぎないことです。本当に自分が正しくて、一部の独裁者が邪魔をしているだけであるのならば、自ら行動し様々な決まりを今の決まりを守りながら変えていかなければいけないでしょう。もしあなたの想像が正しければ、あなたは賛同者を得て自ら管理者となり、悪の管理グループは賛同を失って「失墜」していくことでしょう。もしあなたが、コミュニティに否定されたら、自分が道を踏み外していることに気付かなければならないでしょう。
仮に、まったくウィキペディアとかかわりの無いところで、ウィキペディアに根も葉もないことを書かれて困っている、あるいは憤っているということならば、その人は一つの選択を迫られます。ウィキペディアの中の人に成るのか外の人として関わるのかの選択です。このとき、一つ大きな落とし穴を見落としがちになります。
内容を変更することの敷居は、ウィキと言うシステムのおかげで低いですから、自分が外部の人間であるという意識のまま項目を編集してしまうかもしれません。しかし、記事を編集するということは内部の人間として関わるということであることを忘れてはいけません。特に、不特定多数が目にしている項目を白紙化してしまえば、内部の規定に沿って誰かが記述を元に戻してしまいますし、気をつけないと例え被害者であるとしても荒らしとして排除されてしまいます。記事を直接編集する方法で、望む結果を得るには、内部の規定を知り、内部の規定に添った形でないように変更を加えるという非常に面倒な方法を取らなければいけません。そのような行動を強いられるのは苦痛でしょうし、ウィキペディア運営と言うのはなんと横柄なことかと感じられるでしょうが、自業自得です。
外野としての自分の位置を保ち、上からものを言うためには、記事を編集するのではなく、要求して編集させるという行動を取る必要があるでしょう。対外窓口としていくつかメーリングリストが用意されていますから、そこへ苦情を出して後は推移を見守るのがいいでしょう。項目の内容をどう変更するかは内部のコミュニティ(名目上は全参加者の個々の行動の総体としてのコミュニティ)の決定に従いますから、必ずしも自分の思っている状況へ向かうわけではありません。どうしても納得がいかなければ訴訟を考えればよいでしょう。訴訟を行う際も「ウィキペディア日本語版運営」なるものは存在しないということを念頭に、誰に責任があるのかを考える必要があります。もしかすると、あなたの目には「管理者」なるユーザーステイタスが組織の管理を行うものの肩書きに見えるかもしれませんが、そうではありませんので注意が必要です。もっとも目安となるのは、各項目の履歴と差分です。誰がどういう記述を追加したのかということを確認し、該当者を探すことから始めるのが最も現実的です。作業者(オペレータ)でしかない「管理者」と呼ばれるユーザーが責任を問われるとしたら、コミュニティも外野も削除すべきと判断した事案で削除作業をしなかったという場合などに限られるでしょう。
ウィキペディアは不特定多数の参加者によって形成されるコミュニティに支えられており、明確な形での組織というものが存在しないため、責任の所在が不特定多数に分散してしまいます。要するに、文句が言いたいけれど(いちいちきちんと調べなければ)誰に文句を言ってよいか分からないという厄介な存在なわけです。本当に不満を解消するつもりであるならば、お客が営利企業を訴える際の常識というものは忘れたほうが身のためです。架空の組織をでっち上げて批判しているつもりになってしまうことは、最も損な選択をしているということに他なりません。
まあ、ウィキペディア日本語版の質が低いというのは、参加している人たちもみんな分かってますよ。分かってないのは問題投稿を繰り返す人くらいのものです。たとえば、オリジナルリサーチ(これはサブカルチャーや歴史もので顕著ですが出典に乏しい妄想交じりの記述がたくさんあります)を繰り返す人たち。たとえば、文章的な中身の無いニュース速報を繰り返す人たち。たとえば、ゴシップや根も葉もない噂、どうということも無いトリビアの羅列、ゲームの設定を史実の記述に紛れ込ます、などの編集を好む人たちというのは、ウィキペディアという言葉が人口に膾炙するにつれてどうしても増えますから、悩みの種は尽きないことでしょう。
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:0)
>オリジナルリサーチ(これはサブカルチャーや歴史もので顕著ですが出典に乏しい妄想交じりの記述がたくさんあります)を繰り返す人たち。
Wikipedia上にサブカル紹介を展開すれば、サブカルゆえに権威構造が緩く個人の主観が強く影響する
余地が多いのは当然であって、そういう主観の衝突を刷り合わせて中庸な記述を模索するところに、
Wikipediaの存在意義があるかと。歴史で妄想に基づいてそのまま、というのは多く目にした事がありません。
「(ある意味性善説に類する)考え」というよりも、集合知の信頼に基づき、編集の過程を
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:1, 興味深い)
管理者は、クオリティに関しては、ほとんど干渉してないと思いますけどね。管理者の仕事 [wikipedia.org]って、こういうものなんですけどね。何か勘違いしている? 責任をなすりつける相手を間違えているのでは。
それから、日本語版だけじゃなく、ドイツ語版やフランス語版、中国語版は問題ないのかな。
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:1)
if the kid?
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:1)
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:0)
その方も管理ユーザーなる空想上の存在と必死に闘っておられました。
とうとう/.にまで押し寄せたんですかねえ。
この負のエネルギーを本業に注いだ方がよほど建設的だと思うのですが(苦笑)
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:1, 参考になる)
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/47db22512dc2fe36b22b7596361760b9/19
それと比べると、ウィキペディア日本語版の信頼性は、「2ちゃんねる」以下といわざるをえないのである。
http://www.noguchi.co.jp/archive/diary/dr_060715.php
日本語版のWikipediaの品質が低いことには異論を挟めようはずがない
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20061227
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:0)
http://www.srad.jp/article.pl?sid=06/11/23/1158246 [srad.jp]
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:0)
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:0)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/47db22512dc2fe36b22b7596361760b9 [goo.ne.jp]
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:0)
ある地方では、広場に備え付けられた大きな樽に皆からワインを少しずつ集め
祭りの日にそれを皆で飲むという習慣があった。
それを見て一人の男が言った
「一人くらい水入れても分かんないだろうなぁ」
祭りの日、樽から出て来たのは純度の高い水だった。
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:0)
Re:日本語版は寄付する価値ないだろ (スコア:0)
ダチョウ倶楽部の上島メソッドですね。