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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ見習い
言葉狩りでもないような (スコア:2, 興味深い)
Re:言葉狩りでもないような (スコア:3, 参考になる)
差別用語っていっても昔の差別用語なので、年配の人が気になるぐらいなのかな?
今時メクラやら、ツンボやら使うことないですし。
神経質になりすぎじゃないかと思いますけど。
#ACは価値ある発言してください
Re:言葉狩りでもないような (スコア:0)
差別用語だという教育?洗脳?を受けた自分は聞くたびにいちいち気にしちゃったりしますけど。
Re:言葉狩りでもないような (スコア:4, 参考になる)
世界中の人が突然視力を失うって話なんですが、日本語訳にはモロに「めくら」って言葉が多用されてます。
多分、このご時勢ですから絶版になってるでしょう。
これを読めばわかるんだけど、「めくら」には全く差別的なニュアンスがないんですね。
むしろ、作中では障碍にも関わらず強く生きていると賞賛されています。
差別ってのは差別する言葉が問題なんじゃなくて、差別する人の心が問題。
もともとオーストラリア人を差別するための「オージー」って言葉も、差別がなくなれば問題なく使われる。
逆に、言葉を狩っても、差別を残しては意味が無い。
「白痴」を「知的障碍」と置き換えても、「知障」「池沼」なんて言葉が生まれて結局無駄になる。
言葉狩りってのは、巻き添えで文学作品を潰すことはあっても、差別そのものは潰せないということでしょう。
何が一番嫌かって、被差別者自身が主張しているのではない言葉狩りです。
保護者気取りの人々の自己満足が見え隠れすることに虫酸が走ります。
障碍者に必要なのは協力者や理解者であって、保護者ではないはずです。
障碍者を健常者と対等の存在と認めるのであれば、保護者面することは失礼なだけだとわかるでしょう。
保護者気取りの人たちってのは自分では善意のつもりなんでしょうけど、結局心の中で障碍者を見下してるから保護者面になる。
本気で障碍者のためを思うなら、自己満足でしかない保護者気取りはできないはずなんですけどね。
誤解の無いように付け加えるなら、もちろん障碍者と対等に向き合う協力者の人は、正しいと思っています。
//絡まれそうなのでAC