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住基カード + 公的個人認証 + 静脈認証 → 学童登下校通知システム?」記事へのコメント

  • 登下校時の安全とは、登下校時の時空間における安全であって、
    その前後の安全確認とは全く次元の異なる問題でしょう。
    どうゆう論理でより安全になるとしているのか知りたい私。
    • by Anonymous Coward
      日本はすでに(過去の日本と比べても)十分に安全なのですが、マスコミ報道等の影響でそうではないと感じる人が多いのが問題なのです。そういう人を安心させるってことですね。
      • by luners (20442) on 2007年01月21日 23時27分 (#1095851)
        「体感治安」悪化ですね。
        検索したら少し興味深い記事が見つかったのでリンクしておきます。
        沖縄タイムス社説 「「体感治安」悪化-まず実態の正確な把握を-」 [okinawatimes.co.jp]

        なぜ犯罪は減っているのに、あるいは十分に安全なのに、体感で「治安が悪化している」と考える人が非常に多いのでしょう。
        私見ですが、やはり新聞やテレビ等のマスコミが「犯罪がこんなに行われている」と煽り立てているせいなのではないかと思います。
        犯罪や治安についての情報を得るのは(ネットの普及する前は)ほとんどマスコミしかありません(でした)から。ネットの普及した今では事情が違うと思いますが。
        これは社会学や統計学できちんと立証しなければならないことでしょう。「体感治安」悪化の原因を研究している人はいらっしゃるのでしょうか?

        哲学者のミシェル・フーコーも次のように述べています。
        「非行のない社会、これは18世紀に人々が夢見たものです。ところがその後は、何としたこと!非行のない社会などという、愚かしくて結局は危険なものを夢みてなどはいられないほど、非行というものは有益すぎるものでした。非行なければ警察なし、です。非行者に対する恐れがなかったら、一体何が警察の存在、警察の監督を民衆に容認させてくれるでしょうか。あなたは(警察制度が)すばらしい授かりものだなどとおっしゃる。警察というごく最近の、そして非常に圧迫的な制度は、そのことによってしか正当化されないものです。あの制服を着て武器を持った人々を、自分たちにはそうする権利がないのにわれわれが自分たちの中に受け入れ、彼らがわれわれに身分証明書の提示を求めたり、われわれの家の戸口をうろついたりするのを認めているけれど、非行者が存在しなかったら、どうしてそんなことがありうるでしょうか。新聞に非行者がいかに多数で危険であるかを語る記事が毎日のらなかったら、どうしてそんなことがありうるでしょうか」(「権力の戯れ」『エピステーメー』1977 12月号34~35頁)(太字は引用者による)
        つまり、監獄は犯罪者を更生などせず、逆に「非行者」と呼ばれる女衒や売春婦などの「比較的穏やかな犯罪者」を作り出し、その非行者の存在をまるで非常に多数で危険であるかのようにマスコミが扇情的に煽り立て、「非行者を取り締まるのは警察しかいない」と民衆を一種「洗脳」し、非行者を警察が存在する言い訳・口実・アリバイとして利用している、ということです。簡単に言えば、監獄=非行者=マスコミ=警察が四身一体となって、社会を管理するシステムを作り上げているということに尽きます。
        マスコミが本当に「体感治安」悪化の原因や要素となっているのか、精査・検証する必要はあるでしょうけれども、フーコーは上述のように考えています。

        根拠のない「体感治安」悪化によって、社会がますます監視社会化、管理社会化してしまうのではないかと危惧しています。まずは治安や犯罪に対するヒステリックで神経症的な反応を抑える必要があります。今は「統計のマジック」等を題材とした本が出ていますし、犯罪件数などのデータも公開されていますから、それらを活用して、自分なりの治安・犯罪の現状に対する見方を決めるのがいいのではないかと思います。
        私の地域では、「防犯カメラ設置推進地域」、更に一歩進んで「防犯カメラ設置地域」と書かれたプラスチックのカードが警察によって電柱につけられています。防犯カメラや監視カメラの違いなど、カメラを向けられている側からすればありません。カメラの前に人がいないといっても、いるの「かも」しれないのですから。そうした監視の内面化をフーコーは一望監視装置(パノプティコン)で説明しました。監視は管理をするための道具です。管理は、全てを生産的・効率的にさせ、規律訓練=訓育=調教する権力の所作です。私は管理されるのが大嫌いです。それはもう生い立ちとか育ってきた環境によるものかもしません。その皮膚感覚ゆえに私は監視・管理・権力に反対するのです。皮膚感覚で権力に与する者とは、つまりは「闘争」に行き着くのでしょう。その権力と抵抗との遊戯(ゲーム)の均衡が社会を規律訓練寄り、あるいは反規律訓練寄りへと決定するのでしょう。それが右翼・左翼・中道といった伝統的な古い政治に代わる、新しい「政治」と言うべきものです。
        話が脱線しましたが、要は「体感治安」悪化の原因を客観的に調査・検証することを誰かしてくれないかなということです。
        --
        反監視・反管理・反権力!!
        反石原・反小泉・反ブッシュ!!
        生きづらい社会を終わらせよう。
        親コメント
        • 伝統的サヨク乙。禿同だ。
          だが、フーコーなんて持ち出したって流行らんよ。いまさら「監獄の誕生」を読めとでもいう?
          俺たちサヨクはなにかといえばエライ人の言葉を引っ張ってきちゃう傾向があるんだけど、それってかなり煙たがられるんだよね。

アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家

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