a) そのソフトの頒布が禁止される。 b) そのソフトを利用することによって侵害された特許権の補償のため、損害賠償が請求される。
mhatta氏は a のみをとりあげて b を無視しているために、誤った結論を導き出しています。
仮に Linux が MS の特許を侵害していたら、MSとライセンス契約を締結している企業であっても、GPL第7項により、Linux を頒布することはできなくなります。だから、特許侵害があったときでも頒布を継続するために、保険としてライセンス契約を締結することに意味はありません。
では、Novell には MS とライセンス契約を締結するメリットがないかというと、そんなことはありません。ライセンス契約を締結していれば、b) の損害賠償請求の可能性を排除できるからです。仮に特許侵害があったとしても損害賠償を請求されずにすむようにライセンス契約を締結しておこうと判断するのは、その企業の自由です。この自由を否定できるという結論を、GPLv2から導き出すことはできません。
試合に勝って勝負に負けてるような (スコア:-1, フレームのもと)
「GPL」というか「フリーソフトウェア」という存在が、負けてしまってる気がします。
販売するもしないも「自由」であるべきものものに、制限を加えるだなんて…
自由の定義、もしくはそのパラドックス (スコア:1, 興味深い)
少なくともGPLは、そういう契約書ではありません。「自由を侵害できない不自由」を与えるものだと自分は思いますが、いかがですか。
# 識者のつっこみ希望
Re:自由の定義、もしくはそのパラドックス (スコア:-1, 余計なもの)
FSFがMSとNovellの提携を危険視しるのも、それに対する対処をとるのも構わないとは思います。
が、Novellに販売を禁止する事と、ライセンス上のリスクに対応する事の直接の因果関係がわかりかねます。
# そもそもどうやって禁止するのかも良くわからないんだけど。
# 誰か解説希望。
素人目には販売禁止って見せしめ的な制裁にしか思えないんですが。
それも、フリーソフトウェアとかGPLの理念に自己矛盾した方向の。
Re:自由の定義、もしくはそのパラドックス (スコア:-1, 余計なもの)
根拠となる法的権利がわからないです。
俺のソフトを使うなって言うだけなら可能ですが、それってFSFの理念を自分から放棄することにならんのですか?
つかNovell Linuxユーザなので直接影響ありそうなAC
#あんまりFUDに走るなら二度と使わないって事でも俺はかまわんよ、GCCは惜しいけどな。>>ストールマン
Re:自由の定義、もしくはそのパラドックス (スコア:4, 参考になる)
>ようするに、現時点で特許侵害が分かっていようがいまいが、自分が頒布するGPLが適用されたコードに含まれる
>特許に関して二者間で排他的なパテントライセンスなりクロスライセンスなりを結ぶのはまずいのである。
>だからこそMSやNovellの法務スタッフは血眼になって抜け道を探し、ついには
>「いやあれは(代価と特許不行使がセットの)パテントライセンスではないんです、
>お金は単になんとなく払っただけで、特許を行使しないというのは相手が勝手に言っていることでして」
>というウルトラCを発見したのであろう。
>だからこそ、バルマーが「いやちゃんとNovellからは特許の代価をもらったよ」と口走った意味が大きい、
>ということになるのだ。
結局は、MSとNovellがGNU/Linuxの主要部分のライセンスとして使われている、GPLv2 [opensource.jp]の再配布に関する条項6,7(以下に引用します):
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6. あなたが『プログラム』(または『プログラム』を基にした著作物全般)を再頒布するたびに、その受領者は元々のライセンス許可者から、この契約書で指定された条件と制約の下で『プログラム』を複製や頒布、あるいは改変する許可を自動的に得るものとする。あなたは、受領者がここで認められた権利を行使することに関してこれ以上他のいかなる制限も課してはならない。あなたには、第三者がこの契約書に従うことを強制する責任はない。
7. 特許侵害あるいはその他の理由(特許関係に限らない)から、裁判所の判決あるいは申し立ての結果としてあなたに(裁判所命令や契約などにより)このライセンスの条件と矛盾する制約が課された場合でも、あなたがこの契約書の条件を免除されるわけではない。
もしこの契約書の下であなたに課せられた責任と他の関連する責任を同時に満たすような形で頒布できないならば、結果としてあなたは『プログラム』を頒布することが全くできないということである。例えば特許ライセンスが、あなたから直接間接を問わずコピーを受け取った人が誰でも『プログラム』を使用料無料で再頒布することを認めていない場合、あなたがその制約とこの契約書を両方とも満たすには『プログラム』の頒布を完全に中止するしかないだろう。
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イタリック(斜体)で強調した所に注目してほしいのですが、GPLv2で配布されているプログラムを受領した者が、特許やNDAなどの理由によってGPLv2を遵守できないような改変を施した場合、何人もその改変されたプログラムを配布することを禁止する。と言う制約を配布者や改造者に対してGPLv2は課しています。
つまりは、そのようなGPLv2を遵守できない=「他者が自由に改変・再配布することができない」改造を施す行為をGPLでは禁止している訳で(ここにこそ、GPLで守られる権利の事をCopyrightならぬCopyleftと言う風にもじって称している真髄がある…通常の著作権ライセンス=Copyrightでは作成した本人のコントロールできない形で、プログラムを受領した側が再配布や改造することを禁止する場合が殆ど(GPLv2制定時点)ですが、Copyleftでは逆に作成した本人はプログラムを受領した人間の行動を制約することをただ一つの例外をのぞいて禁止しています。その例外とは、受領した人間が更に他者に配布するときに、その他者の行動を制限するようなライセンスに配布方法を変更することです)、
現状でNovell社やMS社がこの条項を破った「不自由な改造プログラム」を配布する危険が出てきたので、(最低でもFSFが)著作権を保有しているプログラムをNovellなりMSなりが「不自由」に改造した場合、販売・配布する事を禁止する法的手段に出ると言う事です。
Re:自由の定義、もしくはそのパラドックス (スコア:3, 興味深い)
mhatta氏の「 GPLの本旨と特許「保険」について」には論理的に穴があります。
GPLの下で配布されているソフトが特許を侵害していたとき、少なくとも以下の2点が起こる可能性があります。
a) そのソフトの頒布が禁止される。
b) そのソフトを利用することによって侵害された特許権の補償のため、損害賠償が請求される。
mhatta氏は a のみをとりあげて b を無視しているために、誤った結論を導き出しています。
仮に Linux が MS の特許を侵害していたら、MSとライセンス契約を締結している企業であっても、GPL第7項により、Linux を頒布することはできなくなります。だから、特許侵害があったときでも頒布を継続するために、保険としてライセンス契約を締結することに意味はありません。
では、Novell には MS とライセンス契約を締結するメリットがないかというと、そんなことはありません。ライセンス契約を締結していれば、b) の損害賠償請求の可能性を排除できるからです。仮に特許侵害があったとしても損害賠償を請求されずにすむようにライセンス契約を締結しておこうと判断するのは、その企業の自由です。この自由を否定できるという結論を、GPLv2から導き出すことはできません。
特許侵害が確定して、なおかつライセンス契約をタテに頒布を継続しようとするのはGPL違反ですが、ライセンス契約しただけで違反と言うのは無理です。
Re:自由の定義、もしくはそのパラドックス (スコア:2, すばらしい洞察)
次第の問題だぞ。
# 失言がなければウルトラCがGPLに抵触する箇所が見つからなかったからこそ、
# バルマーの失言の意味が大きいんだろ?
失言自体は裁判でもするならば有利な証拠ではあるが、GPLに抵触する云々というのは
契約上の白黒がはっきりしてからの話だろ。
失言だけをもってGPL違反を確定するっていうのは、流石に虫が良すぎると思うぞ。
クロスライセンスの無効を訴える裁判を起こして、裁判の間に被害を受ける可能性がある
から一時的な販売差し止めの申請を行なうというならまだ分かるけど。
#1106077 のbero氏の発言が正解だと思うな。
Artane. 氏の意見はすごく都合の良いところしか見てない偏った意見に見える。