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ウェブログの標準語は日本語?」記事へのコメント

  • 文化の違い (スコア:4, すばらしい洞察)

    by Anonymous Coward
    日本語では、特にネット上の場合、簡潔に要点を突いた文章がよいとされ、長文は嫌われる傾向にあると思います。
    逆に英語というかアメリカ文化では、ある程度まとまった文章を書く方が説得力があるようにとられます。本家SlashdotとSlashdot-Jを比べてみると一目瞭然。
    • Re:文化の違い (スコア:2, すばらしい洞察)

      by Anonymous Coward
      つれづれなるままにひぐらし硯にむかひて心にうつりゆく
      よしなしごとをそこはかとなく書きつくれば

      こころにあるどーでもいいことをなんとなく書くのが日本の日記文化ですから。
      • by soy_milk (26202) on 2007年04月10日 0時08分 (#1139944) 日記

        引用は徒然草の冒頭ですね。しかしあれは「日記」とは称していなかったように思いますが。

        こころにあるどーでもいいことをなんとなく書くのが日本の日記文化ですから。

        うーん,本当にそうなんでしょうか。日本でも,一種無味乾燥な日々の記録としての日記も少なくはないのでは。紀貫之「土佐日記」はこんな風に始まってますよね。

        男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。

        この「男もすなる日記」というのは,漢文で書かれた業務日誌のようなものだったわけですよね(勿論、心の裡も書かれてはいるでしょうが)。どちらかといえば淡々とした事実の記録という側面が強かったのではないでしょうか。

        中世の貴族にとっては,いつどんな儀式や行事を行なったか,誰と会い,どんな(言葉や物の)やり取りをしたかということは、本人あるいは子孫にとって非常に重要だったわけで,そうした記録のために日記があったのではないでしょうか。

        政治や行政に携わる者一般にとっても,そうした記録は重要ですから,中世以降も、事実の記録を主とした日記は決して少なくないだろうと思います。個人的には、何十年にもわたって書かれた日記の多くは、むしろ事実の記録が主ではなかったかと考えています。こういう日記は,いわゆる日記文学とは違って,よほど史料的価値が高いもの以外は活字にはなりませんし,「国語」の授業などで読むことはまずありませんから,どうしても随想的な日記が多いような印象を持ってしまうのですが……

        現代の我々の多くが、なんとなく「日記とはそういうもの」と考えているのは事実でしょうし、日本のブログの多くが,「こころにあるどーでもいいことをなんとなく書」いたものであるのは確かでしょうが,そういうのが日本の「日記文化」だと言い切っていいものなのか,どうか。

        詳しい方のご意見を伺いたいです。

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