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日本の科学技術は20年後に世界をリードしない?」記事へのコメント

  • 70点を100人生産するのが、これまでの教育方針だとすると、
    ゆとり教育とかは1人の100点と99人の50点を生み出す。
    その結果平均点は確かに下がったが、
    飛びぬけて優秀な人を作り出すことには成功した。

    その結果、その100点の人々が日本の科学技術をリードするような研究をするようになった。
    (70点が不足するので、研究者と労働者は足りても、技術者は足りなくなりますが)

    っていう楽観論はだめですかね?
    • by saitoh (10803) on 2007年05月01日 11時16分 (#1150852)
      昔は勉強のできる子はクラスの中でもちょっと偉い存在でした。浮いた存在になることはあっても、迫害はされなかった。 今では勉強ができるといじめられるらしい。 これで、「一人の100点」が出てくるとはとても思えない。

      実際、成績の良い「上澄み」が行ってるはずの旧帝大あたりからも学生のレベル低下を嘆くこえが聞こえてくるし。

      結局、「勉強すれば良い暮らしができる」という欲が復活しない限りダメじゃないかなぁ。

      親コメント
      • by nim (10479) on 2007年05月01日 14時10分 (#1150963)
        >昔は勉強のできる子はクラスの中でもちょっと偉い存在でした。浮いた存在になることはあっても、迫害はされなかった。

        これは、昔(20年前くらい)でも、勉強ができるという理由でいじめられるというケースは良く耳にしました。
        データがないと実際のところどうなのかわからないところではあります。

        >実際、成績の良い「上澄み」が行ってるはずの旧帝大あたりからも学生のレベル低下を嘆くこえが聞こえてくるし。

        どうやら年長者は自分よりも若い世代の能力を低く見がちなようですから、
        これについても具体的なデータがほしいところですね。

        昔から、「今時の若者は~」は決まり文句みたいなものですし、旧帝大の教官はその大学出身者で、
        特に研究に向いた人がなっているケースも多いでしょうから、そのバイアスがかかっているかもしれません。
        親コメント
        • by Anonymous Coward
          > どうやら年長者は自分よりも若い世代の能力を低く見がちなようですから、
          > これについても具体的なデータがほしいところですね。

          私の伯父達は「帝大」を出ました。
          私と従兄弟は「旧帝大」の卒業生です。
          私も従兄弟も、「郡から一人」レベルだった神童達よりも
          自分達のできが良い、とは思いません。

          例えば団塊世代の大学進学率は5%以下。
          その半分の人数しか存在しない現在の大学進学率は50%程度
          多数の人達が大学教育を受けられる豊かな国に成ることは
          そのまま豊かな国の人間の知的なレベルが向上する事を意味しないのです。

          「大学にその世代のうちのどれだけの割合が
          • by nim (10479) on 2007年05月01日 23時29分 (#1151273)
            >定員がより増加した「旧帝国大学」の学生の質が変わらない、とあなたが認識する根拠は何?

            「変わっていない」とは認識していません。
            また、「下がっている」とも「あがっている」とも思っていません。
            というか、そこそこ信頼できそうなデータを見るまでは、どちらとも思うつもりはありませんね。

            時に感じるのですが、このような議論をするときに、人は他人が
            「A だと思っていなければ、Not A だと思っている」
            だと想像しがちだということです。

            例えば、「高圧線の低周波は健康を害する」という説があります。
            私が「でもそんなに目に見える被害はでてないようだけど」と言うと、
            「高圧線の危険性を否定している」と受け取られてしまうことが多いです。
            私自身は特に否定もしていないし、肯定もしていません。
            「わからない」「よくしらない」というのが正直なところです。
            でも、自宅は高圧線の近くではないので、特に真剣に調べているわけでもありません。

            このように、私は、多くの問題について「(まだ)どちらとも思わない」のですが、
            どちらかだと思わないと気が済まないひとが多いのでしょうか。
            親コメント
            • by Anonymous Coward
              > どちらかだと思わないと気が済まないひとが多いのでしょうか。

              「A」について議論する場合、対立軸は「Not A」ですね。
              「B」なり「C」なりが明示されてなければ、ですが。

              「A」に対して「データが無いから判らない」は感想
              なんらかの根拠を持って論じるのか?と問いかけると、「論じていない」と返す。
              そういった場合、そこに「議論」は存在していないです。

              対案を提供しない「否定・疑問」のみの発言
              しかも発言に根拠もロジックも無いなら、得られるものは皆無です。

              「議論」は理解を深める為の「過程」だという事が理解できれば、
              (学生時代にそういった訓練をしてきていたら)
              「議論」について「どちらかだと思わないと(云々)」発言は …

              それは「自分がどの切り口から始めるのか」に過ぎないのですから。
              • by Anonymous Coward
                nim氏ではないけれども一言。

                哲学みたいな学問ではそうかもしれませんね。

                でも理科みたいな話をする場合にはたとえば
                A:「光より速く運動するような粒子は存在すると思う」
                に対して
                B:「それはどうだかわからない」
                はAの発言の肯定でも否定でもありえませんし、
                無理に肯定や否定をするのは科学的ではありません。
                だってデータなしでそんな話をしてもデータが出た時に
                ひっくり返っちゃいますからね。

                議論が噛み合わないのは本トピックが哲学の問題なのか理科の問題なのか
                という基本的な認識でズレがあるためでしょう。
                どっちか?知りません。私は理科系の人間ですから・・・

UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie

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