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この点宗教の場合は巧妙で、容易に観測が可能で無い領分を扱うことが殆どです。
その昔、某宗教の勧誘員どのは、「悪人は死ぬと石のように重くなる。それに対して、善人は、死ぬと羽根のように軽くなる」と真顔で抜かして、笑かしてくれました。別の宗教では、「人間は死ぬと数十グラム軽くなる。それは魂の重さだ」と抜かしよるそうです。あほか。
宗教ってのは、そういう理不尽なところを信じようとするものです。切支丹どもはいまだに処女懐胎なんぞを信じるのですよ。それを「奇跡」と称してね。
# ああいう連中は「おらと一緒にぱらいそさ行くだ」とか言って、どこぞに消えてくれると嬉しいんですがね。いや、「いんへるの」でも構いませんが。
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アレゲはアレゲを呼ぶ -- ある傍観者
宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:0, すばらしい洞察)
もちろんこの「水からの伝言」が全くもっておかしいというのは同意しますし、学校で教えるべきでも無いと
思います。
では、宗教系の学校で、宗教や道徳の時間に科学的には全くおかしな話を教えているのは、どうしてあまり
皆さん責めないのでしょうか。
こんなごく一部の教師がしていることを個別で責めるよりも、宗教系の学校を責めた方がいいのでは?
# 極端な宗教嫌いなのに、宗教の町(日本ではありません)に滞在中の物理屋。
Re:宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:3, すばらしい洞察)
「ありがとう水」のケースで叩かれているのは、水の結晶が観測可能な対象のため、虚偽であることが明らかになってしまっているからでしょう。
この点宗教の場合は巧妙で、容易に観測が可能で無い領分を扱うことが殆どです。曰く「死後の世界」、曰く「前世と来世」、曰く「幸せ」。これらは現在観測されていない事象であったり、個人的な価値基準の領域であったりするため、否定も困難です。
「ウソをつくと鼻が伸びるよ」では虚偽が明らかになってしまいます。鼻が伸びたかどうか、統計で確認できてしまうからです。
一方、「ウソをつくと死後の世界で閻魔様に舌を抜かれるよ」では検証が困難です。死後の世界はあるのかないのか。死後の世界があるとしてどのように確認するのか。(私は無いんじゃないかと思ってるんですが何分無い事を立証するのが困難でして。ここに噛み付かないでください。)
こんな所も「生活の知恵」なのだなと思います。
「ウソも方便」という事で、子供を躾けるのにそういう類のものを使わざるを得ない教育現場の先生方には同情しますが、水の結晶云々についてはやはり虚偽がすぐバレてしまう、後々の科学的思考の妨げになりかねないという点から叩かれて然るべきだと思います。
「きれいな言葉を使うと心がきれいになるよ」でしたら、心のきれいさを測る手段が確立されていないので叩きにくいでしょう。これじゃ宗教みたいで気持ち悪いと言われるかもしれませんが、他に躾けの方法というのも中々ありませんから、仕方が無いのかなと。
# でも処女懐妊したり湖の上歩いたり復活したりするのは
# 流石にふかしすぎだよねえ、と思う。
Re:宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:1)
その昔、某宗教の勧誘員どのは、「悪人は死ぬと石のように重くなる。それに対して、善人は、死ぬと羽根のように軽くなる」と真顔で抜かして、笑かしてくれました。別の宗教では、「人間は死ぬと数十グラム軽くなる。それは魂の重さだ」と抜かしよるそうです。あほか。
宗教ってのは、そういう理不尽なところを信じようとするものです。切支丹どもはいまだに処女懐胎なんぞを信じるのですよ。それを「奇跡」と称してね。
# ああいう連中は「おらと一緒にぱらいそさ行くだ」とか言って、どこぞに消えてくれると嬉しいんですがね。いや、「いんへるの」でも構いませんが。
Re:宗教学校はなぜ責めないの? (スコア:0)
それでも宗教が距離を置いてそっとしておいてもらえるどころか
誉めそやされているのはあまりにも文化風習軍事経済と
密接に結びついてしまっているため排除するのに
巨大な障壁を乗り越えねばならないからで、
「科学と宗教は別のものを扱っているから両立可能」
って説明はかなりの詭弁だと思っています。
詭弁だけど、そういうことにしておかないと
収集がつかないからしょうがありません。
信じていようがいまいが、尊重しようがしまいが
宗教的なものを人類が発明した頃から
一度取り込んだ宗教概念はあまりにも強固に人類文化に根付き
もはや排除できないというその構造は変わっていないでしょう