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一日二時間以上のゲームで人間らしさが無くなる?」記事へのコメント

  • この脳波うんぬんって話、他の知的活動 (読書、映画観賞、プログラミング、etc) の場合と比べてどうなんですかね。
    もっと脳に影響するものがゲーム以外にあったりせんのかな。

    # どんな知的活動だろうが、何時間もブッ続けでやれば体に悪そうなもんだ。
    • 多くのゲームが「刺激=反応型」であるのに対し、
      読書は「想像型」の知的活動だと思います。

      刺激=反応型の場合は、外界から与えられる刺激に対して
      訓練して反応速度を高めたりするわけですが、こればかり
      をやっていると、相手の立場を『想像する』ような能力が発達
      しなくなる気がします。

      ゲームだって刺激に対して相手の立場を想像するんだから
      同じだ、という反論はもちろんあるし、それは認めますが、
      でも読書における「想像」とは少し性質が違うと思うんですよね。

      どうしてそう思うようになったかというと、いわゆる学級崩壊への
      対策として「朝の5分間読書」が効果をあげてい
      • >刺激=反応型の場合は、外界から与えられる刺激に対して
        >訓練して反応速度を高めたりするわけですが、こればかり
        >をやっていると、相手の立場を『想像する』ような能力が発達
        >しなくなる気がします。

        相手の立場を想像するような能力は、人間関係のあいだからしか
        うまれないのでは?とわたしは常々思っています。
        #相手の意思、主張とのぶつかりあいがないと、他者の存在なんて
        #意識しないのでは?
        #今のところ、主張してくる相手は人間くらいなので、
        #対人関係が必須だと思う。

        読書だろうがゲームだろうが、個人だけで楽しむ時点で
        他者の存在は見えにくいわけで、読書をゲームと区別して
        考えるのは、なんか論理の流れが変な気がします。
        #結論ありきで論を展開してません?

        ゲームだろうと読書だろうと、それを通して他者との交流が
        起これば、相手の立場云々なんて自然に考えるようになると
        思いますが・・・違いますかね??

        >ゲームだって刺激に対して相手の立場を想像するんだから
        >同じだ、という反論はもちろんあるし、それは認めますが、
        >でも読書における「想像」とは少し性質が違うと思うんですよね。

        この点、興味深いです。
        どう「違うと思う」のか、良かったら詳しく教えていただけませんか?
        --
        ---- redbrick
        親コメント

UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie

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