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人生unstable -- あるハッカー
金額よりも陪審審理の方が気になる (スコア:0, 余計なもの)
ところで、日本の裁判制度では、判決を下すのは、あくまで裁判官ですよね。
民間人が参加して一体何をするのでしょう。
判決を下さない限り何の責任も生じないからいいかげんになると思うけど。
今回の裁判では、陪審員が原告の訴えを認めないと論理的な人間じゃなくなる、という気持ちの結果だろう。
日本だと、べらぼうな金額だ、とんでもない原告だ、なんて全く非論理的な判決がでそう。
中村先生の特許裁判から、日本の裁判制度が信じられなくなった者より。
Re:金額よりも陪審審理の方が気になる (スコア:3, 興味深い)
原住民を蹴散らして、アメリカ合衆国を建国して200年ちょっと。
ですから、自分の周囲のコミュニティは自分達で作り、自分達で守る、という意識があるみたいです。
「銃の所持は憲法が認める権利」というのも、政府が国民を無視した施策を行い続けた場合、
一定の革命権を認める必要がある、そのために銃の所持の保障は必要、という考えがあるようです。
大統領は自分達で選び、議員も自分達で選び、司法にも国民が参加するべきだ、ということらしいです。
それが例え愚集政治となろうとも、そうするべきだ(そうするしかない)、という事なのだと思います。
陪審裁判と言えど、陪審員のみで裁判所が構成させることはありません。
プロ(とされる)裁判官と共同で裁判所が構成されます。
当然、法律解釈のポイントや、争点の整理はプロである裁判官から説示を受けた上で
陪審員はその審議を行うことになります。
何が(陪審制度)が正しいか?ということより、民主政治を行う上で陪審制度を採用するべきか?
という問題の選択の話だと思います。そしてアメリカは陪審制を採用した、と。
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そんなわけで、日本での陪審制の是非については個人的にはかなり懐疑的です。
(何のために陪審制をするのかの問題点の共有がなされていない印象がある)
戦前日本にも陪審制が導入された時期がありますが、結局失敗している前歴もあります。