アカウント名:
パスワード:
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない -- Eric Raymond
相手がいて、そこに自分がいるということ (スコア:1)
以下、思うところを散文にて。
- 自分たちが正、気に入らないものは悪だと断ずる狭量。たとえそれを生んだ、もしくは生まれたのが自分たちであり、外部から見れば一だとしても、本人たちは気づけないし気づかせてももらえない。
- 排除して初めて気づく。排除したモノにこそ生かされていたということに。
- バカがたくさんいるのは、多分幸せな世界。凡人がいて、はじめて天才が生まれる。みなが天才になった世界、それはみなが凡人だということ。自己評価が高いか低いかの違いはあるものの、ドアを閉ざし視野が狭い分だけ生きにくいかも。
- 「バカの定義」はほとんどが主観。人や言動をみて「バカだ」と思えば、思ったその人にとってはバカ。でもね、他者にとってもそうなのかどうかは、各個人が決めることなのよ。特定集合やメディアじゃなくて、ね。唯一、各個人で決められないのは自分の評価。両者の決定権を入れ違えて信じていると、現実とのギャップに耐えられなくなる。
- 居心地の悪いコミュニケーションは奮起(憤気)を促し、度が過ぎると絶望をもたらす。
- 居心地の良いコミュニケーションは解放(開放)を促し、度が過ぎると堕落をもたらす。
イライラする気持ちもわかりますが、「どうしてそれが発生したのか」「活かせないのか」という根源的なところに目を向けないと、極端には 9.11 になる、と学習しなかったのかな。#「ネタにマジレス」してたら恥ずかしいけど、思うところもあったので言葉遊びしてみました。
Re:相手がいて、そこに自分がいるということ (スコア:1, 興味深い)
これは、「日本人なら忘れちゃ困る」つまり日本人がそうであって欲しいという期待を、仰りたいのでしょうか?
それならば賛同ですが、そうでなくもし「現状の日本人がそうである」という意味でしたらそれは楽天的だと思います。
ネット見てると、多くの日本人がそんな理想とは程遠い姿をさらしてるさまを、幾らでも観測できます。
だから、現状の日本人は、そういうソフトを嬉々として開発するでしょうね。
というかむしろ、他者を排除することが大好きな連中が多いから、開発は活発になりそう。
口惜しいことですが。
あとは、他者排除が大好きであるがゆえに、開発方針がちょっとでも噛み合わない人とは組めず、プロジェクトが空中分解する…という未来に期待するばかりです。悪魔超人のパラドックスですね。
Re:相手がいて、そこに自分がいるということ (スコア:1)
>それならば賛同ですが、そうでなくもし「現状の日本人がそうである」という意味でしたらそれは楽天的だと思います。
>ネット見てると、多くの日本人がそんな理想とは程遠い姿をさらしてるさまを、幾らでも観測できます。
アイタタですが、ご指摘の通りですね。良くも悪くも欧米化していると言いますか、何といいますか。「日本人はこうだ」と決めつけるつもりはないのですが、積極的攻撃性が増しているように思えるのは寂しい限りです。
Re:相手がいて、そこに自分がいるということ (スコア:0)
そうですかねぇ。日本人は空気を読んで和を乱さないことが重要視される国民性(民族性かどうかは知らん)を持っていると思うんですけど。
でも、まぁ日本人の場合そこであからさまに対決しようとせずに村八分というような方法で対処することを好むでしょうから、日本人から生まれそうにないネタであることには同意。
#むしろ、日本人にはモヒカンフィルタの方がいいんじゃね?
Re:相手がいて、そこに自分がいるということ (スコア:0)
つまり、
心に関わらない例えば技術的な事柄については、
「そこにあるものは受け入れ、うまく共存しようとする」
のが得意なのだが、
心に関わる問題となると俄然、
我を通さずにいられなくなり、変化を嫌う。
心は古臭いまま手の上にはハイテクを盛り付ける。
そういうミスマッチが、
海外からも(良くも悪くも)受けてるわけだ。
まあ珍獣扱いだね。
細かくいえば日本人はGNOME(ノーム)じゃないかと思う。
西洋の民話に出てくる小柄な妖怪だ。
あるいは鍛冶の神とも。
自分らはカッコヨクないんじゃないかというコンプレックスに常時苛まれ、
そのぶんそれをバネにして凄い仕事をやってしまう、という集団だ。
なので、その捻じ曲がった性根を単純に直せば済むかというと、そうもいかず、下手に直すと美点たる技術まで鈍ってしまいそうで、そこが痛し痒し。
(つまりイジメや自殺は日本民族全体においては必要経費だ)