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国産のNOWSMART 386-OSが暫定公開」記事へのコメント

  • ざっと仕様とかスクリーンショットとか改良指針とか主張とか掲示
    板とかを見てみた。

    熱意とか「頑張ってるね」とかは認められるが、前途多難だろうと
    思うし、哲学的にはちょっと問題ありとも思うし、技術的に素人か
    と疑わせるような記述が多々あり、不安でもある。

    仕様について

     結局、これは何なんだ。GUI付きMSDOSかな。初期のBe
    OSか。X11R2程度のものか。
     何に使えるのか。Windowsフリーなシンプルデスクトップか。機
    器組込み用軽量GUI付きOSか。
     こんなOSでも、PC上で動きますという個人的コレクション用
    だろうか。

    オープンソース批判について
    • 結局のところ、本当に実用になる OS を作ろうと思うならば、それなりに人数を確保しなくてはならない。一人でできることは限られているからね。

      Microsoft のように十分な財力があるのならば、その金で人を雇うことができるが、そう

      • by Anonymous Coward on 2002年07月21日 3時51分 (#129790)
        >クローズドソースでも十分な協力ができる? 無理でしょ。ソースなしでデバッグができますか?

        別にクローズドソースだからって開発者にソース配布しないって意味じゃないのではは無いでしょうか?
        「クローズドではあるが、開発ボランティアにはソースを配布する」
        ってのも十分にあり得る方法ですよ。

        別にオープンソースでないからってだけでそんなに叩かなくとも・・・。

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        • >別にオープンソースでないからってだけでそんなに叩かなくとも・・・。

          わたしもそう思います。 使えない!、ダメダメというのは実に簡単。 いろいろと文句の付けどころは確かにあると思いますが、 これだけのものを作り上げているのだから、 素直にたいしたものだと評価したいものです。

          ましてや破綻したわけでも、お金を持って逃げたわけでも、 人様に迷惑をかけたわけでもないのだから (もし、そうだったら、すみません…が、そんな話ないですよね)

          Windows の 1.0 は、見かけもっとひどかったという話だし(笑)。

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        • by kubota (64) on 2002年07月21日 7時31分 (#129857) ホームページ 日記
          それも中途半端。「正式な開発者」 にならなくても、ユーザが、「ちょっとここだけ改良したいんだけどなあ」 といってちょこちょこっと作業して、 その成果をパッチの形で開発者に送る、 なんてことは、よくあること。 そういう人は、「開発ボランティア」 に含まれますか?

          もし含まないのなら、オープンソース方式より この点では劣っていると言わざるをえないし、 もし含むのなら、すべてのユーザが潜在的に 開発者になる可能性を持っているから、 全ユーザに配布するのと大して変わらなくなってしまう。

          「ちょこちょこっと開発」をやりたくなった時点で 「こういうことをやりたいからソース下さい」 と請求する、とパターンもありかもしれないけど、 それだと、できると思ったけど実際ソースを見て 断念する、ということもあります。最初から開発なんか するつもりがないのにソースを請求する人と区別が つかないです。

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          • by Anonymous Coward on 2002年07月21日 8時30分 (#129864)
            にした処で,別にオープンソースである事に拘る必用は無いのでは?
            例えば仕様の指針なんかは個人なり一個団体に依った方が統一感を持って進めるってのも確かですし、船頭多くしてなんとやらってお話も多いですし。
            厳密な管理をしたいのであれば、開発者個々に守秘義務を負わせた契約を科しても良いわけだし。
            それ以前に個人で作ったものであれば、それをどう扱うかは自由だし、その方針が それ以前に、自分が自力で作ったものに対して自分がイニシアチブを取りたいと考えるのは悪い事なのでしょうか?
            また、将来的に金を取るつもりであっても悪い事とは思わないですし。

            別に他人の話を聞かないって訳でも無しい、開発協力についてやオープンソース化についても意見を求めているって現状があるってのに、今現在がオープンソースでないってだけで存在を否定するってのもなんだか無茶苦茶偏った意見に見えます。
            私には「公表するなら全部寄越せ。そうじゃなきゃゴミだ」とか言っているようにしか見えないです。
            それでは本当の意味での発起人が利益を得られない悪平等ってモンにしか見えませんよ。

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            • by Anonymous Coward on 2002年07月21日 9時45分 (#129874)
              >にした処で,別にオープンソースである事に拘る必用は無いのでは?

              と、いうのは同意です。まぁ、だとしたら何処か対岸の起こっている事だということ。本人の意思なら非難してもしょうがないし。

              この作者が「ソース公開は望ましくない」とオープンソースを批判してる(ようにとれる)文章はいただけないなぁ。
              自分はgccやlinuxのソース見てその恩恵少なからず受けてるわけだし。
              当てにしないとはいいつつも。

              ユーザは、コードの論理的美しさより、実際動くことや機能の方が大事なのであって、別にコードに質のバラつきがあった所で、問題あれば誰かが書き直すでしょ。

              このOSって現代のMinix(vs linuxの)っぽい主張?(closedで論理先行
              だとしたら未来は見えてるんでは。
              親コメント
              • 俺はLight氏ではないのだが:

                >この作者が「ソース公開は望ましくない」と
                >オープンソースを批判し >いただけないなぁ。
                なんでいただけねーんだよ。批判する権利は誰にでもあるだろ?
                あんた何様のつもりよ?あん?

                >自分はgccやlinuxのソース見てその恩恵少なからず受
                >けてるわけだし。当てにしないとはいいつつも。
            • >開発者個々に守秘義務を負わせた契約を科しても良いわけだし。

              たしかにそうですが、
              そういうふうにソースへのアクセスパスを「むずかしく」することで、
              (気楽な)参加への敷居が高くなるわけですよね。

              気楽な参加ベース(=オープンソース)での成果を
              見たり体現したり(!)してるかたがたから見れば、
              そりゃ「はがゆく」感じるのも自然なことだとは思います。

              つまり「こっちの水は甘いのになあ…」と。

              >それでは本当の意味での発起人が利益を得られない悪平等ってモン

              独占しても得るものはそんなに多くないのを
              見たり体現したりしてる人々から見れば、
              悪平等ってわけでもないのになあ、とは思えるってことかと。
              親コメント
            • それ以前に個人で作ったものであれば、それをどう扱うかは自由だし、その方針がそれ以前に、自分が自力で作ったものに対して自分がイニシアチブを取りたいと考えるのは悪い事なのでしょうか?
              そんなの、あたりまえのことです。自分の作ったものは自分の自由にライセンスを設定できます。というか、オープンソースにしたってフリーソフトウェアにしたってシェアウェアやフリーソフトにしたって商用ソフトウェアにしたって、すべて、「自分の作ったもののライセンスは自分の自由に決定」した結果ですよ。

              ぼくは、NOWSMART に対する批判は一言も書いていません。開発者とユーザを区別して、開発者だけにソースを公開する [srad.jp]という案に対する批判を書いたのです。しかも、その批判は、「オープンソースでない」ことに対する批判ではなく、開発者とユーザの区別に問題がある、と言っているのです。開発者が十分な協力ができるための案、として提出されていますが、「ちょこちょこっと開発」 [srad.jp]をやりたくなった人は「開発ボランティア」に相当するのかどうかが不明で、しかも相当するにしてもしないにしても、どっちに転んでも問題がある、と言っているのです。

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              •  上のACさんとは別人ですが、ちょっと興味のある議論をされているようなので、横から失礼します。

                 わたしは「バザールモデルによるクローズドソース開発」の意義と手法に興味を持っていますので、ちょっと考えてみました。

                 なにか理由があってソースを手放せないけれど、周りの協力を得たい場合が有るとします。
                 普通に考えてこれではただの身勝手ですので(笑)、協力者への感謝の意は(報酬も含めて)なにか用意するものとします。

                 この状況で開発者を募集するとして、これはここで話題となっている「開発ボランティア」には含まれませんか?

                 とりあえず、こういう立場で参加していただく人たちを、便宜上「開発協力者」と呼んでみます。
                 「開発協力者」の募り方は口コミから公募(ソフトに同梱?)まで色々考えられますね。
                 その後、参加希望者からメールをいただいて何度か話し合った後、一緒にやっていけそうな人に(開発ライセンスに同意していただいた上で)ソースへのアクセスを許可します。(使用と開発でライセンスを分けます)

                 この方法ですとソースのコントロールを失うリスクは少ないのですが、kubotaさんのおっしゃる通り「ちょこちょこっと開発」参加者は諦めざるを得ません。

                 バザールモデルの良さを活かしているとは言えませんが、この手法で(クローズドソース開発の)開発協力者を募ることは無理/無意味でしょうか?
                --
                  --- Melloques Les Covdrasey ---
                親コメント
              • 「ちょこちょこっと開発」をやりたい人の存在を認知し、その上でそういう人たちを排除するのなら、それはそれでひとつのやりかただと思います。ただし、そういうやりかたで、どこまでの協力を得ることができるか、疑問ではありますが。というのは、そういうやりかたのもとで、「協力したい」と申し出る人は、どういう人だろう、というのが、ちょっと想像がつかないのです。

                ちなみに、バザールモデルですが、esr の「伽藍とバザール」では、伽藍 = GNU、バザール = Linux (Linux カーネル)、という対比となっています。ぼくがこれを書く理由は、単に言葉の誤用を指摘するだけではなく、オープンソース (GNU の言うフリーソフトウェアとほぼ同義) であってもバザールモデルでない (つまり、伽藍モデル = 少数開発者だけによる、首尾一貫性を重視する開発スタイル) こともありうる、ということなのです。

                親コメント
              • > そういうやりかたのもとで、「協力したい」と申し出る人は、どういう人だろう、というのが、ちょっと想像がつかないのです。

                 確かに。(笑)
                 そこがネックですよね。

                 つい最近まで この手法は現実的でないと考えていたのですが、Operaの日本語翻訳作業に(再び)参加する人達の動向を小耳に挟んで、「場合によってはアリなの?」と驚いた次第です。

                 まあ、一般的には成り立たない関係かもしれませんが、「協力したい」と思ってもらえる動機作りができれば、クローズドソーズ開発のモデルのひとつになり得るかもと思いまして。

                # ちなみに、わたしはオープンソース肯定派です。
                # クローズドソース否定派でないだけです。

                > 「伽藍とバザール」では、伽藍 = GNU、バザール = Linux (Linux カーネル)、という対比となっています。

                 ひえー。そうでしたか。(恥)
                 随分むかしに読んだっきりですので、そんなことすら忘れています。
                 ご指摘ありがとうございます。

                > オープンソース (GNU の言うフリーソフトウェアとほぼ同義) であってもバザールモデルでない (つまり、伽藍モデル = 少数開発者だけによる、首尾一貫性を重視する開発スタイル) こともありうる、ということなのです。

                 なるほど。
                 「ソースをオープンに出来るか?」という一点を突破できれば、やり方は色々有るということですね。
                --
                  --- Melloques Les Covdrasey ---
                親コメント

未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー

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