taka2のコメント: Re:偽装天国 (スコア 5, 参考になる) 63
外部から遠隔で照明を操作するのは、今までも法令上は可能でしたよ。
照明器具の遠隔操作に関しては、
元々「危険が生ずるおそれのないもの」という遠隔操作が許される機器のホワイトリストに
> 家庭用つり下げ型蛍光灯器具
や
> 白熱電灯器具
などがリストアップされていました。つまり、白熱電球や蛍光灯はOKだけど、LEDは遠隔操作不可だった。それが、今回の改正で
> エル・イー・ディー・電灯器具
も追加された、という話です。
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外部から遠隔で照明を操作するのは、今までも法令上は可能でしたよ。
照明器具の遠隔操作に関しては、
元々「危険が生ずるおそれのないもの」という遠隔操作が許される機器のホワイトリストに
> 家庭用つり下げ型蛍光灯器具
や
> 白熱電灯器具
などがリストアップされていました。つまり、白熱電球や蛍光灯はOKだけど、LEDは遠隔操作不可だった。それが、今回の改正で
> エル・イー・ディー・電灯器具
も追加された、という話です。
最近似たようなまとめがありました
おおいですよ。そーゆーの。
海外、特にハリウッドあたりだと、
・撮影時に素材をバカスカとった挙句、結局本編でごっそり使わなかったとおもわれるケース
・そもそも予告=プロモーションのためだけに映像をとってつかっているケース
とありましてこれが日本映画だと
・そもそも「撮影決定」レベルで台本しかないような状況でも予告つくらなくちゃいけなくって
仕方なく静止画だけであるいはイメージの映像をわざわざ撮影するケース
くらいが考えられます。
アニメだと先行してその予告でつかうカットだけを仕上げようとするでしょうので、結果としてなかった、
なんか違う映像になってね?なんてことはよくあると思います。
ちなみに1950年代、60年代の日本映画でも、わざわざ予告篇だけのためにとったと思われる素材は散見されますね。
それが分かりやすすぎて、いまみるとなんか笑えます。
当時は助監督が予告の演出をまかされていたので、練習の意味もあったのかもしれません(これは単に推測)
なんにせよ「予告」と呼ぶと本編から切り出しているイメージですが「プロモーション」なわけで、
映像を売るための映像なわけでしてこーゆーことはごく日常的だと思われます。
しかし、公開後、いやヘタすれば上映中からツイートだので、ものすごいスピードで情報が共有されるような昨今、
「詐欺」とおもわれてしまうようなプロモーションの組み方は、
まわりまわって売り物を貶めることにつながりかねないので正直にいたほうがいいよなぁ、とおもったりもしていますが…
クライアント=配給会社の考えひとつっすね。
メイドものが二つもランクインしてる時点で普通じゃない。
手段と目的をはき違えてないとなぜ思うんだい?
だめでしょう。
/.の住人は自己保存要求は最大ですが、DNAの保存(継承)の可能性は最小です。
発症前の記憶はありますので現在の日付から逆算すれば大体の煩わっている期間はわかります。
また、私の場合は日々の記憶や子供の顔、人の名前(結婚等で変わる)、等の変わり得る情報は維持できませんが
不変であれば知識として別口で覚えられるので技術屋としてなんとか成り立っている状態です。
20年も前向性健忘があると特定の行動パターンで行動するようになるため「行動パターン」どおりに
活動している限りは「現在の状況からの逆算」をすることが可能なので過去の行動に対する理不尽な責め等には
「自分の行動パターン的にはその場合には○○の対応をした筈だ」と答えられます。
逆に言うと、アドリブでの行動は記憶の再現ができないため恐怖感があり、極力避ける傾向があります。
雑用や仕事等については全てチェックリストとメモ帳依存です。趣味等については発症前のモノを継続している状態です。
読書狂の部類ではありますが読んだ本の名前と内容は技術書以外は覚えられていません。「博士の愛した数式」については
蔵書リストには無いので読んでいない可能性が大です。
感情の原因となる体験に関する記憶を維持できないため感情の蓄積は行えません。また、反省しても努力目標以上は
狙えない(達成目標や改善を表明しても数分後には忘れてしまう)、謝罪に心がこもらない(感情を忘れてしまう)、
正確さを期すために論理的な表現を多様する(文章やロジックとしては正しいが日本語として誤解され易い)こと
による対人関係の軋轢は発生することがあります。
前向性健忘にも色々なパターンがありますが、「前向性健忘が原因で困った記憶が無い」という意味では生やさしい人生です。
じつはトピックの本文にあるこの部分は正確でないんですね。
元記事の方は正確に「「電気用品の技術上の基準を定める省令」の解釈について一部を改正」とあります。
つまり、今回の改正というのは、法令の改正ですらなく、法令の解釈の変更にすぎないのです。
いうなれば、法令にはどこにもリモートでの電源投入を禁止する明文規定がないにもかかわらず、これまで経産省は禁止する趣旨と読んでいた。この解釈を改めて、今後は禁止するものではない趣旨のものと読むことにします、ということでは。
落とすならタライを落としたい
物事のやり方は一つではない -- Perlな人