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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
本当に問いかけたかったこと (スコア:2, すばらしい洞察)
もちろん、ボクは現実世界だろうとネット上であろうと、テロリズムは否定する。だが、彼らが試みようとしているのはデモンストレーションであり、サイトの書換えのような手段をとらない限りは、いかなる法律にも反しない行動であると思う。
だめじゃん。こういう抗議って効果はがあるのか
というoliverのコメントは失当だ。なぜならば、すでに彼らはコミュニティーを団結させ、それをメディアに知らしめるだけで成功しているからだ。
人を団結させる集団的示威行動の手段は他にもたくさんある。例えば、ウォーターゲート事件の時、アメリカ中の有権者はホワイトハウスに抗議の電報を送る運動を続けた。全米ライフル協会は、ブレイディ法に反対するために、上下院議員に数トンの手紙を送りつけた。EUの農産物自由化に反対するイギリスの農民達は、高速道路をトラクターで行進した。刑法典を開いてみればわかるが、これらを規制する法的根拠はない
#DOS攻撃ですら規制する法的根拠が少ないのは問題だが
ネットにおける抗議行動は従来の抗議活動と性質は全く同じだ。一人で高速道路をトラクターで走ろうとも、それほど大きな影響はないが、大勢が団結して走れば受ける影響は大きい。そして、何よりも重要なのは、示威行動自体はそれによって影響を受けた人々だけでなく、その行動自体を知った人たちに対しても確実に影響を与える。なぜならば、そこに忘れ去れた問題が存在し、怒った人の群れをそこに認めることができるからだ。
ところが現実には、我々にはそれに対する心構えがない。異質な意見を許容するゆとりもなければ、彼らと対話しようとする能力すらない。街頭に人々の群れを認めることができないので、それは抗議ではなく破壊に映る。我々は人々の怒りに触れ、戦き、次にはこう思うだろう「なぜ私だけこんな理不尽な扱いを受けなければならないのだ?」と。そして、それは彼らに対する怒りと変わるだろう。
我々が意見を異にする人々に対して、脊髄反射的な反応を示す限り何も解決しない。その場限りの対応で、難を逃れたとしても現状に対する不満、忘れられた人々の怒りはくすぶりつづけ、結局は同じ事の繰り返しになるだろう。そして、いつか我々は孤立し、我々自身が非難して止まなかった破壊的行動を取ってしまうだろう。
そういう危うさを、この問題ははらんでいる。彼らが起こそうとしているアクションは、やがて我々が進む道なのかもしれないし、さらにエスカレートするかもしれない。ボクがここで言えることは、それは我々が進むべき道ではないということだ。