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今は当然1人1台以上のマシンがあるから一日中画面を見ていることもできるけど、昔は開発用計算機のTSS端末の数は十分ではなく、端末の奪い合いがあった。空いた端末に座れたからといっても、後ろで待っている人の圧力を感じながらだからノンビリはできない。用事を済ませたらさっさと席を譲らなければならない。
言語はもちろんFORTRANだ。手書きしたコーディング用紙をカードパンチに出すと8インチフロッピーになって返って来る。昔は本当に紙のカードがたっぷり上がって来たらしいが、私が入社する少し前からフロッピーになったそうだ。フロッピーの中のソースを計算機に入れて、ざっと端末で確認した後、コンパイルジョブを投入、すぐ端末を空け渡して、何か別の仕事をやりながら結果が印字されるのを待つ。これが計算機が混んでいるときは数十分かかる。コンパイルリストが出てきたら机上でチェック。修正すべき部分があれば端末でソースをラインエディタで修正し、今度はコードを実行する。結果のリストが出てくるのを待つ… というのを1日に数回しか繰り返せないし、課金も意識しなければならない。だから1回のジョブの投入は慎重になる。このようにしてFORTRANプログラマは自然と集中力を養ってきたのだ。
ある種の門外漢は、ちゃんと教育しないと食い扶持が減るよ。会社に入ったばかりで、ろくな教育も受けずやってくる人を見ると不憫に思うが、彼等を選別するか鍛えて戦力にしないと我々のビジネスはダメになる。放っておいたら本当に画面を見ているだけでアウトプットがない。
頭を使わせなければ訓練にならないのだが、ゲーム機と大して変わらんバカチョンマシンは教材として適しているようには見えない。頭を使わなかったときの罰が厳しくなければならない。
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開いた括弧は必ず閉じる -- あるプログラマー
ははぁやっぱり森昭夫はバカだったか (スコア:2, すばらしい洞察)
そういう「半可通」的なソフトウエア開発に対する認識レベルの救いようのない低さを示しているのが、この文章です。
開発といっても設計図を描くわけではなく、画面をみてつくっ ていく仕事です。朝九時に席に座り、夕方五時までずっと画面をみています。ひらめいたり
画面を見て作っていく (スコア:0)
「画面を見るだけでプログラムは作れる!」
という著書でも書いて印税で暮らすか、そのやり方をおぼえて、
画面を見ずに作っていく (スコア:2, オフトピック)
今は当然1人1台以上のマシンがあるから一日中画面を見ていることもできるけど、昔は開発用計算機のTSS端末の数は十分ではなく、端末の奪い合いがあった。空いた端末に座れたからといっても、後ろで待っている人の圧力を感じながらだからノンビリはできない。用事を済ませたらさっさと席を譲らなければならない。
言語はもちろんFORTRANだ。手書きしたコーディング用紙をカードパンチに出すと8インチフロッピーになって返って来る。昔は本当に紙のカードがたっぷり上がって来たらしいが、私が入社する少し前からフロッピーになったそうだ。フロッピーの中のソースを計算機に入れて、ざっと端末で確認した後、コンパイルジョブを投入、すぐ端末を空け渡して、何か別の仕事をやりながら結果が印字されるのを待つ。これが計算機が混んでいるときは数十分かかる。コンパイルリストが出てきたら机上でチェック。修正すべき部分があれば端末でソースをラインエディタで修正し、今度はコードを実行する。結果のリストが出てくるのを待つ… というのを1日に数回しか繰り返せないし、課金も意識しなければならない。だから1回のジョブの投入は慎重になる。このようにしてFORTRANプログラマは自然と集中力を養ってきたのだ。
そうそう (スコア:0)
でもさ、あの時代に戻れって言っても、今からじゃ無理だよね。森センセイのような「センセイと言われるほどのバカじゃなし」を地でいく人ぐらいだと、昔はコンピュータとかデータ通信などに触ることもなかったのに、今はみんな触ってる、というくらい大衆化している。まるでサルがクルマを運転しているような感じだね。もっとも、サルでも運転で
Re:そうそう (スコア:1)
ある種の門外漢は、ちゃんと教育しないと食い扶持が減るよ。会社に入ったばかりで、ろくな教育も受けずやってくる人を見ると不憫に思うが、彼等を選別するか鍛えて戦力にしないと我々のビジネスはダメになる。放っておいたら本当に画面を見ているだけでアウトプットがない。
頭を使わせなければ訓練にならないのだが、ゲーム機と大して変わらんバカチョンマシンは教材として適しているようには見えない。頭を使わなかったときの罰が厳しくなければならない。