アカウント名:
パスワード:
異を唱える人には『あなたは障害を持って生まれてきたかったですか?』と聞きたい。(いや、いやみとかじゃなくて正直なところ。)
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
物事のやり方は一つではない -- Perlな人
素朴な疑問 (スコア:1, 興味深い)
時間を遡っていなかったことにするわけでもなく、無用なトラブルで苦しむリスクを親にとっても子供の人生でも減らそうという話に異を唱える理屈が分からない。
異を唱える人には『あなたは障害を持って生まれてきたかったですか?』と聞きたい。
(いや、いやみとかじゃなくて正直なところ。)
友人の生き様を考えて親として書きますが(Re:素朴な疑問 (スコア:4, 興味深い)
できる限り障害を持って生まれたくは、ない。
しかし、障害を持って生まれたのであるのならば、障害抱えた上で必死に生きるのも又悪くないのではないかと、特に最近は思ってますよ。
私自身は運良くそういうことは無いで来れてる様だし、子供もそういう病気は今のところ出ていないようですが、
妊娠が分かったときに細胞診断を行うかどうかと言うので(やれなくはないですけど?程度の話は来ていた)少し揉めまして(^^;、私が強引に「やらないでくれ」と押しきりました。
と言うのも、数名の友人が先天性の臓器障害を持って生まれ・今も必死に生きてきていておりまして、一人は先天性の腎不全で徐々に免疫力が低下していて、人工透析を受けるような病気の進行を防ぐために、感染症を恐れ外に出るのもかなり慎重になっていてここ十年間ほど顔合わすことすら出来ない状況だけどたまに連絡取ったりする状況だけど、昔学生の頃に毎日仲間内の誰かの家に行っては酒を呑んで話しとかしていたときと根っこ変わらずに何某かをやろうと日々を必死に生きている。
もう一人は息子が生まれた後に先天性の遺伝子異常による難病がここ四五年で発病して臓器がやられて難聴や代謝異常を起こしては入退院を繰り返す日々。でも、好きな音楽を捨てられずにバンドは辞めたけどライブに通ったり音楽話をやったり
…今例に出した二人共、自分の宿命を受け入れつつも、必死に日々を楽しんでいる。
この、悲壮さと、それが故の突き抜けた明るさを見ていたら、順調に胎児が育っているのに遺伝子異常があるから中絶してください。なんて事は言えないですよ。最低でも、学生時代の友人の姿を見ていた以上、先天性の異常を見つけられる胚診断や細胞診断で異常が出たときに中絶するかしないかということで揉めるのが目に見えていた状況だったので、チキンかもしれないけど、私は強引に拒絶した。
誰でも宿命のようなものは持っている。
要は「良く生きようとするか」にこそあるように思えてなりません。
安易な胚診断での中絶と言うことが内包する倫理的な問題は別に書こうかと思っていましたが、
胚診断がもたらす結果が、優生学を支える思想的根幹と親和性が高いというか、今の時代に優生学が政治的権威を持っていたら、劣性遺伝子を根絶やしにする云々と言う部分が最優先されてしまうのは、過去に障害者やらい病患者などへの虐待や断種が日常的に行われていたことを考えると必然的な結末になるのは目に見えているわけで…
果たして、先天性の遺伝疾患を持って生まれた人間は障害故に不幸になったのか、障害を持っている事自体が不適格とされる社会に生まれたからなのか?
その問題を考えると、適用基準や先天的遺伝障害が分かったときの扱いには非常に厳しい制約を置いたり、障害者が普通に生きている社会状況を目指す必要があると思いますよ。
百パーセントは否定しないけど、使われ方や親への受け取られ方によっては非常にあぶない物ではあるので…