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UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
再構築出来るものと出来ないもの (スコア:1, すばらしい洞察)
外見に限れば、オリジナルとの差は恐らく全くないのでしょう…後天的な障害がなければ。
ですが、記憶や学習まで同じように「復元」出来るとは思えません。それでも大金を払う価値はあるんでしょうか?
件の女性に関して言えば、愛した犬と全く同じ外見をした、中身の違う犬を手にすることになるんですよね?
それは本当に幸せなことなんでしょうか。自分には、かえって失った物の大切さと、望みの「もの」が
手に入らなかったいらだちと、元に戻らない生活の虚しさを感じるだけのように思えるのですが。
Re:再構築出来るものと出来ないもの (スコア:2, 興味深い)
クローン技術で再現した 対象に愛情を注ぎたいのか 、それとも 愛情を注がれたいのか 。
クローン関連の話でいつも思うことですが、この差が結果に与える影響は大きいと思います。
多分これは前者ですよね。かなり強烈に。
愛情を注ぐ理由が「クローンで同一だから」という理由。要はさみしいから愛情を注げる理由と対象が欲しい。
自分が納得できる理由が必要なだけで「イケてる黒魔術により完全復活」でも「外見が違うけど実は生まれ変わり」でもいいかと。
それと相手がヒト以外で前者なら多少の障害があっても問題は無いはず。愛情を注ぐ要因が増えて逆に燃えるはず。
元の犬を溺愛する要因をクローン技術だけで再現出来ないならば破滅的な結末を迎えるでしょうが。
(しかし、対象がヒトでないならば溺愛する要因をクローン技術で多くの場合は再現できる気がする)
極論すれば、この人にとっては犬が生きている夢の続きを見たいという話で、その対価に5万ドルって事かと。
この5匹が生きている間は夢から覚めない方がお互いに幸せな気も。
#死んだら終わりで、それが相手の人生(犬生?)に対する敬意と愛情ではないかと自分は思いますけどね。
#とは言え自分の精神状態や価値観が死ぬまで同じだとも言い切れませんが。