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なお、当行は大正6年から7年にかけて「信託預金」によって資金の吸収を図った。この仕組みは、大正五年に台湾銀行が取り扱いを始めたものであって、一口いくら、期間2年以上というかたちで資金を集め、その投資運用益から経費を差し引いた残りを預金者に配当(保障つき)するものであった。この方法による資金吸収は一般銀行の反発を招き、政府によって大正7年6月以降新規預入れ中止の措置がとられた。 日本興業銀行年史編纂会『日本興業銀行75年史』1982,P38
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
割引金融債(!酔!) (スコア:1)
ちなみに割引金融債が初めて発行されたのは、興銀の大正11年8月債からだそうです。手元の興銀75年史によると、大正9年の日本興業銀行法改正によって発行が認可されたとあります。興銀史は、この理由について以下のように説明しています
この頃の金融情勢として、興銀が政策銀行的な金融活動(金山開発の失敗など)から、産業長期貸し出し的な金融業務への転換点に符合します。この頃の興銀の資金調達手段としては、興銀債券(5年債)と政府保証債の二種類、それに臨時で発行される目的債の三種類がありましたが、政府保証債と目的債(主に海外で発行)は目的が限定されており、興銀独自の融資が行えなかったという理由があると思います。
興銀以外でも、例えば外国為替銀行法に基づく外国為替専門銀行であった東京銀行が円資金調達の円滑化を目的として、利付金融債を発行し始めたのは昭和36年11月の大蔵省金融制度調査会(渋澤敬三委員長)の答申に基づく昭和37年4月公布の外国為替銀行法改正によって、37年7月に開始されています。(興銀,P547)
旧朝鮮銀行である日本不動産銀行(後の日本債券信用銀行)は32年、日本長期信用銀行と日本興業銀行が設立されたのは27年、東京銀行が発足したのは29年なので、実際のところ復興期に割引金融債の果たした役割というのはそれほど高くはなく、むしろ復興期以後の高度経済成長に伴う企業の設備投資資金としての需要が高かったのではないかと思います
#この期間、金融債よりも高い伸び率を記録しているのは、信託銀行の貸付信託と生命保険で、30年代後半には割引金融債発行の伸びは押さえられていた
金融債が現在消えつつあるのは、間接的には長銀の存在意義がなくなったこともありますが、直接的には資金調達コストが割高な金融債の発行が大きな負担であること、さらに間接金融から投資銀行を通じた社債発行など、間接金融から直接金融への転換が挙げられると思います。
Re:割引金融債(!酔!) (スコア:1)
なのでございますが、まずはご教示ありがとうございます。
割引金融債を戦後の発明と言ったのは、
誰だったか、出典がどうも思い出せません。
成立時期を鑑みれば高度成長期以降での役割という方が
大いに説得的ですね。