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長い年月をかけ、幾多のアレゲな者たちの知恵を受け継ぎ、いつの日か究極の進化を遂げた Bonanza は悟る。対局開始時の盤面こそが最強である、と!
後手の場合:対戦相手の初手のあと「おまえはもう負けている」と呟き、凄まじい勢いで手を打ちつづけ、勝つ。
先手の場合:一手も打てず時間切れ「参りました orz」
# 究極って「窮極」とも書くんだね。
振り駒したところで勝負がつくなんて、究極の将棋って丁半博打みたいなものなのかw
将棋自体は2人零和有限確定完全情報ゲームというジャンルのゲームなので、完全に解析されれば最善手は一つに絞られ、「先行(後攻)が"必ず"勝つor負けるor引き分ける 」が決定できます。(3x3マルバツゲームでお互い最善手を指せば必ず引き分けになるのと同じ)今では情報があまりにも膨大なので、終局の時くらいしかその計算ができないだけで、将棋ソフトの行き着く先は第1手目から勝ち負けが判明している詰め将棋と同じようになるのかと。
完全に解析されれば最善手は一つに絞られ
「究極的には勝敗の行方が初めから決定している」というのと「最善手が一つに絞られる」というのは若干意味合いが異なりますよね。現実に見かけるような局面であっても、例えば「詰み筋(つまりその時点での最善手)が複数あってどれを選んでも勝ちは決まり」という状況は多いですから。 あと、将棋自体はルールを厳密に定めれば2人零和有限確定完全情報ゲームということになると思いますが、詰将棋の世界ですらこんなもの [biglobe.ne.jp]がある(詳しい解説はこちら [cool.ne.jp])上に、実際の対局では持将棋のルール(勝敗の判定基準は決まっているが、どの段階で勝敗判定を行うかが明文化されていない)などもあって、世の中で実際に指されている将棋が真に2人零和有限確定完全情報ゲームとなる日はまだ先のように思えます。 #この場合、「確定」という条件が落ちているという解釈であってますでしょうか>詳しい方
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
そして究極の域へ・・・ (スコア:4, おもしろおかしい)
長い年月をかけ、幾多のアレゲな者たちの知恵を受け継ぎ、
いつの日か究極の進化を遂げた Bonanza は悟る。
対局開始時の盤面こそが最強である、と!
後手の場合:
対戦相手の初手のあと「おまえはもう負けている」と呟き、凄まじい勢いで手を打ちつづけ、勝つ。
先手の場合:
一手も打てず時間切れ「参りました orz」
# 究極って「窮極」とも書くんだね。
Re: (スコア:0)
振り駒したところで勝負がつくなんて、
究極の将棋って丁半博打みたいなものなのかw
Re: (スコア:3, 興味深い)
将棋自体は2人零和有限確定完全情報ゲームというジャンルのゲームなので、完全に解析されれば最善手は一つに絞られ、「先行(後攻)が"必ず"勝つor負けるor引き分ける 」が決定できます。
(3x3マルバツゲームでお互い最善手を指せば必ず引き分けになるのと同じ)
今では情報があまりにも膨大なので、終局の時くらいしかその計算ができないだけで、将棋ソフトの行き着く先は第1手目から勝ち負けが判明している詰め将棋と同じようになるのかと。
Re:そして究極の域へ・・・ (スコア:3, 興味深い)
「究極的には勝敗の行方が初めから決定している」というのと「最善手が一つに絞られる」というのは若干意味合いが異なりますよね。現実に見かけるような局面であっても、例えば「詰み筋(つまりその時点での最善手)が複数あってどれを選んでも勝ちは決まり」という状況は多いですから。
あと、将棋自体はルールを厳密に定めれば2人零和有限確定完全情報ゲームということになると思いますが、詰将棋の世界ですらこんなもの [biglobe.ne.jp]がある(詳しい解説はこちら [cool.ne.jp])上に、実際の対局では持将棋のルール(勝敗の判定基準は決まっているが、どの段階で勝敗判定を行うかが明文化されていない)などもあって、世の中で実際に指されている将棋が真に2人零和有限確定完全情報ゲームとなる日はまだ先のように思えます。
#この場合、「確定」という条件が落ちているという解釈であってますでしょうか>詳しい方
Re:そして究極の域へ・・・ (スコア:1)
詰将棋の方は実に面白いですね。根本は「詳しい解説」の方によると、
> 1. 「自分が負けとなる禁じられた局面を作る手」 =「禁手」かどうか?
これは、「禁手」とはっきり書かなかったルールブックもまずいですが、屁理屈に近い感があり、
この=は成立していると考えて良いと思います。
> 2. 「打歩詰め」の定義が循環論法になっている(「打歩詰めの定義」には「禁手」が必要、「禁手」の定義には「打歩詰め」が必要)
こちらは、本質的なルールの欠陥と言えると思います。
ただし、実際将棋を指すプログラムを作るとすれば(千日手判定が入っているプログラムであれば)、本例の玉方が「56歩」と打つ手は、
「打歩詰め」であると判定する(すなわち、詰将棋の作意は成立している)とするのがすっきりしているでしょうね。
(「56歩は打歩詰め」ではない、と判定するには千日手による反則を例外扱いする必要があります。)
解説の人も最後に書いていますが、「打歩詰め」の「循環論法」は歩を打つことで詰みを回避できるような変則ルール上の詰将棋でも、
歩の枚数だけの参照を繰替えせば、循環は解決できますし、普通の指将棋ならもっと解決は簡単なので解決して欲しいですね。
Best regards, でぃーすけ