アカウント名:
パスワード:
もし、表示されるライセンス契約に同意しないとインストールできないタイプで、且つ、充分に高価な商品(仮に100万円とか)の場合、商品内容を充分に知ることができないにも関わらず、一方的に契約に同意することを要求する行為は正当だろうか。
たとえばデモ版(機能制限版)で試用して、おおかた問題なさそうだ、と判断して購入したら、制限されている部分(例えばファイルの保存)にバグや相性が発生した場合、どうなるのだろう。100万円の商品なら、デバッグしてくれるかもしれないし、返品に応じるかもしれない。でも、10万円なら?5万円なら?
価格が1万円以
大丈夫、あなたを含めた消費者にはそんなソフトを使用しない自由があります。よって、「一方的に契約に同意することを要求」はしていないのでは。
みんなが「理想的な販売方式」のソフトを選ぶような消費行動を取り続けていれば、メーカサイドも「一方的で強気な方法」からそちらに変えていくのでは。消費者最強。
そうですねぇ。使用しない自由ですか。つまり、その製品や企業が淘汰されれば良いと。
ありがちな市場原理主義的にはそうやって切り捨てれば良いのですが、企業は商品を売りたいと考えているし、ユーザも良い商品が増えれば喜ばしいと思っているわけで、互いに良い結果を望んでいるのに、努力を無にするやり方が理想的とは思えないのですが。
> 企業は商品を売りたいと考えているし、> ユーザも良い商品が増えれば喜ばしいと思っているわけで、> 互いに良い結果を望んでいるのに、努力を無にするやり方が理想的とは思えないのですが。
ソフトウェアの「売り方」の問題がいつの間に「良い商品」とかいう話にすりかわったのでしょうか?
元コメントは「オレの気に入るやり方で提供されないのは不当だ」という話であって、商品そのものの良し悪しについての話はかかれていなかったようですが。
そういう相手の売り方を「不当」と決め付るような間が方こそ一方的に「相手の努力を無にするやり方」かと思います。試用機会を増やすような「要望」であれば相手とのすり合わせになるでしょうが、「正当」「不当」などという自分を正当化する議論に持っていっているようなので。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
あつくて寝られない時はhackしろ! 386BSD(98)はそうやってつくられましたよ? -- あるハッカー
充分に高価な商品の場合 (スコア:3, 興味深い)
もし、表示されるライセンス契約に同意しないとインストールできないタイプで、且つ、充分に高価な商品(仮に100万円とか)の場合、商品内容を充分に知ることができないにも関わらず、一方的に契約に同意することを要求する行為は正当だろうか。
たとえばデモ版(機能制限版)で試用して、おおかた問題なさそうだ、と判断して購入したら、制限されている部分(例えばファイルの保存)にバグや相性が発生した場合、どうなるのだろう。100万円の商品なら、デバッグしてくれるかもしれないし、返品に応じるかもしれない。でも、10万円なら?5万円なら?
価格が1万円以
Re: (スコア:0)
大丈夫、あなたを含めた消費者にはそんなソフトを使用しない自由があります。
よって、「一方的に契約に同意することを要求」はしていないのでは。
みんなが「理想的な販売方式」のソフトを選ぶような消費行動を取り続けていれば、
メーカサイドも「一方的で強気な方法」からそちらに変えていくのでは。
消費者最強。
Re: (スコア:2)
そうですねぇ。使用しない自由ですか。つまり、その製品や企業が淘汰されれば良いと。
ありがちな市場原理主義的にはそうやって切り捨てれば良いのですが、企業は商品を売りたいと考えているし、ユーザも良い商品が増えれば喜ばしいと思っているわけで、互いに良い結果を望んでいるのに、努力を無にするやり方が理想的とは思えないのですが。
Re:充分に高価な商品の場合 (スコア:0)
> 企業は商品を売りたいと考えているし、
> ユーザも良い商品が増えれば喜ばしいと思っているわけで、
> 互いに良い結果を望んでいるのに、努力を無にするやり方が理想的とは思えないのですが。
ソフトウェアの「売り方」の問題がいつの間に「良い商品」とかいう話に
すりかわったのでしょうか?
元コメントは「オレの気に入るやり方で提供されないのは不当だ」という話であって、
商品そのものの良し悪しについての話はかかれていなかったようですが。
そういう相手の売り方を「不当」と決め付るような間が方こそ
一方的に「相手の努力を無にするやり方」かと思います。
試用機会を増やすような「要望」であれば相手とのすり合わせになるでしょうが、
「正当」「不当」などという自分を正当化する議論に持っていっているようなので。