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ザッと掲示板を読んでみたけど、事の根幹にユーザー側の嫌儲思想があるみたいすね。彼らは自給自足の生活を送ってんのか。
ついに嫌儲をユーザー側のせいにしはじめましたよね。最初にフリーや無料を訴えたのは作り手だったというのに、いつのまにか時代は変わるものだなと思います。
最初に無料を大声で訴えたのは作り手だったのか?(アドウェアの類などの例外はあるだろうけど)出版社などの第三者だったんじゃない?
で、嫌儲で暴れてるのはユーザ(の一部)なのでは?それが作者側の問題なの?
これが最もズレた話をしているのでここにぶら下げますが、全然話を遡るレベルが違います。
フリーソフトやオープンソースという概念そのものを作り出したのは誰かという話です。オープンソースとフリーソフトを混ぜるなという反対もあろうかと思いますが、両方は実際には半分ほど被っているので、親子兄弟ではなくとも愛人関係ぐらいにはるでしょうから、厳格には別にして問題はないでしょう。
で、それは誰?どういう層の人間だったんですかね?使い手にタダで配れと脅されて作り手が渋々…という歴史ではありませんよね??
違いますよね
物を公開することで受ける責任については、 web上やコピー可能な媒体、そしてそれに対する言及について自由な場の元においては、 その土俵に乗っている限りホームページやデジタルメディア作品とソフトウェアは全く同じでしょう。
そりゃ、同じでしょう。メルマガにしても絵にしても音楽にしてもソフトウェアにしても、広告張ろうが有料会員制にしようがダウンロード制限掛けようが自由。
うーん、もっと平たく言い換えましょうか。ずばり「目に見える対価のやり取りが無い物を公開すべきではなかった」ということです。
タダ働きは尊く楽しい物という人もいるでしょうが、見方によって単なるダンピング、刺激的な言い方をすれば物の価値基準へのテロルでしょう。多くの人間の性質から考えて、この様な行為は一時的には双方に利益がある様に見えても、結局全体のレベルを下げるだけです。使い手側への教育が行われたこともほとんどありません(教育できると思うことがおこがましいと思いますが)。
これは状況から学んで次の方向性を模索していくべきです。この状況が、使い手側だけの問題とは到底思えません。
マッチポンプというのはそういう意味です。厳しく言えばフリーという考えを生み出した者とそれに共感して乗っかった作り手の自業自得。
最初にフリーソフトウェアという概念を言い出した人間はリチャードストールマンですが、彼はフリーソフトウェアであるEmacsを販売してましたよ。この業務は現在もFSFが引き継ぎ継続されています。どこがタダなのか意味がわかりません。
フリーソフトウェアにおけるフリーというのは言論の自由などの「自由」であって、無料のビールのような「無料」という意味ではありません。今回のような無料ソフトウェア、つまりフリーウェアをしてフリーソフトウェアへの批判と混同させるというのは牽強付会に過ぎるというものです。
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「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」、科学者「えっ」、プログラマ「えっ」
それにしても (スコア:4, すばらしい洞察)
ザッと掲示板を読んでみたけど、事の根幹にユーザー側の嫌儲思想があるみたいすね。
彼らは自給自足の生活を送ってんのか。
Re: (スコア:-1, フレームのもと)
ついに嫌儲をユーザー側のせいにしはじめましたよね。
最初にフリーや無料を訴えたのは作り手だったというのに、いつのまにか時代は変わるものだなと思います。
Re: (スコア:0)
最初に無料を大声で訴えたのは作り手だったのか?(アドウェアの類などの例外はあるだろうけど)
出版社などの第三者だったんじゃない?
で、嫌儲で暴れてるのはユーザ(の一部)なのでは?
それが作者側の問題なの?
Re: (スコア:0)
これが最もズレた話をしているのでここにぶら下げますが、全然話を遡るレベルが違います。
フリーソフトやオープンソースという概念そのものを作り出したのは誰かという話です。
オープンソースとフリーソフトを混ぜるなという反対もあろうかと思いますが、両方は実際には半分ほど被っているので、親子兄弟ではなくとも愛人関係ぐらいにはるでしょうから、厳格には別にして問題はないでしょう。
で、それは誰?どういう層の人間だったんですかね?
使い手にタダで配れと脅されて作り手が渋々…という歴史ではありませんよね??
違いますよね
Re: (スコア:2, すばらしい洞察)
なんで「ネット空間を利用して配布されたものはタダでなければならない」なんて話になるんだ。オープンソース思想にしてもフリーウェア思想にしても、そんな馬鹿なこと言っとらんわ。「フリー」は「タダ」というだけの意味ではないわい。
物を公開することで受ける責任については、
web上やコピー可能な媒体、そしてそれに対する言及について自由な場の元においては、
その土俵に乗っている限りホームページやデジタルメディア作品とソフトウェアは全く同じでしょう。
そりゃ、同じでしょう。メルマガにしても絵にしても音楽にしてもソフトウェアにしても、広告張ろうが有料会員制にしようがダウンロード制限掛けようが自由。
Re: (スコア:0)
うーん、もっと平たく言い換えましょうか。
ずばり「目に見える対価のやり取りが無い物を公開すべきではなかった」ということです。
タダ働きは尊く楽しい物という人もいるでしょうが、見方によって単なるダンピング、刺激的な言い方をすれば物の価値基準へのテロルでしょう。
多くの人間の性質から考えて、この様な行為は一時的には双方に利益がある様に見えても、結局全体のレベルを下げるだけです。
使い手側への教育が行われたこともほとんどありません(教育できると思うことがおこがましいと思いますが)。
これは状況から学んで次の方向性を模索していくべきです。
この状況が、使い手側だけの問題とは到底思えません。
マッチポンプというのはそういう意味です。
厳しく言えばフリーという考えを生み出した者とそれに共感して乗っかった作り手の自業自得。
Re:それにしても (スコア:2)
最初にフリーソフトウェアという概念を言い出した人間はリチャードストールマンですが、彼はフリーソフトウェアであるEmacsを販売してましたよ。この業務は現在もFSFが引き継ぎ継続されています。どこがタダなのか意味がわかりません。
フリーソフトウェアにおけるフリーというのは言論の自由などの「自由」であって、無料のビールのような「無料」という意味ではありません。
今回のような無料ソフトウェア、つまりフリーウェアをしてフリーソフトウェアへの批判と混同させるというのは牽強付会に過ぎるというものです。
◆IZUMI162i6 [mailto]