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たいていの場合胴元は「わかってやっている」ものですがたまに「心の底から商品の有用性を信じている」場合があります。今回の話は(ぱっと見だけだと)後者っぽいような気がしてなりません。# 根拠はないのでAC
最悪なのは「善人」ですよ.
「善人」のどうしようもなさを知ったのは, 小学生のころに「ぼくの動物園日記」で善意に殺されるキリンの話を読んでからかな.
「善人には二種類あった。消極的な善人と積極的な善人と。 前者は感謝されるが、後者は自分以外の誰も満足させない。」
なんていう持論を持つ登場人物が、「星界の紋章」にいました。
たしかに「己の正義」をごり押しする人に関わるとろくなことにならない。
オフトピ。確かに消極的な善人は周りに対する害が少ない。でも、彼らばかりだと社会的なミスリードに抵抗力のない社会が出来上がる気がする。日本みたいなね。
>社会的なミスリードに抵抗力のない社会
消極的な善人っていうか、疑うことを知らないお人よしか単なる無知と言うだけですよね。少なくとも善に位置付けるなら悪を知ってしまった以上、声を出さないのも悪とみなせます。知る事に積極的でいようとしないのは善なのか悪なのか…というと微妙です。ただ、知ろうとしない事は周囲からの善人悪人評価とは別個に存在する概念でしょう。
>周りに対する害が少ない
周りに対する害が少ない自制心と、ミスリードへの抵抗力はトレードオフでありません。周囲に害を与える事実が確認されていないから周囲を信じて行動し、文句を言わないだけ、無根拠に疑うより相手を信じて生活を送れば周囲は無難に善人だと判断する合理性がある。相互信頼の契約関係に基づいているだけで、消極的というよりは積極性の方向が違う。
そもそもミスリードかどうかが、後だしジャンケンだったり利害関係者の偏見だったりする。というより大抵、自分はミスリードされていない側に身をおいて、ミスリードされた人間が自分の意に反した決定を下したっていう時に出てくる傾向が強いような気がします。
結果的に何かに誘導されていたにしたって、乗るも反るも主体的に選択する自由があり、ミスリードに乗らなくても「周りに対する害が少ない善人」でいられる国においては、自覚が無くても自分で選択した以上は自分でケツを拭くだけの自覚が必要なはずが、安易に「ミスリードされた」と選択の責任を他人になすりつける事が出来る、主体性が放棄できるからミスリードであろうがなかろうが慎重な判断力が機能しなくなってきたのです。
すでにミスリードされる事が、問題になると認識されなくなっている社会であれば、「周りに対する害が少ない」という善人を変えること位ではミスリードされる社会は変わらなかったりするのは当然。利害関係の濃く失敗したら自分が責任を負うことになる地域で周囲に配慮する事と、利害関係は薄く自分の責任は棚上げに出来る事でミスリードに流される事とは、全くリンクしていないのです。
>日本みたいな
レイモンド ブリッグズの風が吹くとき [amazon.co.jp]をご存知でしょうか?世界のどこでも、知ってるつもりで実は…と言う恐怖は世界共通です。日本では、自国の大本営発表しか事例として取り上げて批判したりしないのですよね。日本から見れば、欧米のインテリによる研究事例が目立つので、さも欧米は自律している、というように見えますがアカデミックな人間以外は同じようなものです。
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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
たまにいるホンモノさん (スコア:1, 興味深い)
たいていの場合胴元は「わかってやっている」ものですが
たまに「心の底から商品の有用性を信じている」場合があります。
今回の話は(ぱっと見だけだと)後者っぽいような気がしてなりません。
# 根拠はないのでAC
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:2, 興味深い)
最悪なのは「善人」ですよ.
「善人」のどうしようもなさを知ったのは, 小学生のころに「ぼくの動物園日記」で善意に殺されるキリンの話を読んでからかな.
Re: (スコア:1)
「善人には二種類あった。消極的な善人と積極的な善人と。
前者は感謝されるが、後者は自分以外の誰も満足させない。」
なんていう持論を持つ登場人物が、「星界の紋章」にいました。
たしかに「己の正義」をごり押しする人に関わるとろくなことにならない。
ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
Re: (スコア:2, すばらしい洞察)
オフトピ。
確かに消極的な善人は周りに対する害が少ない。
でも、彼らばかりだと社会的なミスリードに抵抗力のない社会が出来上がる気がする。
日本みたいなね。
Re:たまにいるホンモノさん (スコア:0)
>社会的なミスリードに抵抗力のない社会
消極的な善人っていうか、疑うことを知らないお人よしか単なる無知と言うだけですよね。
少なくとも善に位置付けるなら悪を知ってしまった以上、声を出さないのも悪とみなせます。
知る事に積極的でいようとしないのは善なのか悪なのか…というと微妙です。
ただ、知ろうとしない事は周囲からの善人悪人評価とは別個に存在する概念でしょう。
>周りに対する害が少ない
周りに対する害が少ない自制心と、ミスリードへの抵抗力はトレードオフでありません。
周囲に害を与える事実が確認されていないから周囲を信じて行動し、文句を言わないだけ、
無根拠に疑うより相手を信じて生活を送れば周囲は無難に善人だと判断する合理性がある。
相互信頼の契約関係に基づいているだけで、消極的というよりは積極性の方向が違う。
そもそもミスリードかどうかが、後だしジャンケンだったり利害関係者の偏見だったりする。
というより大抵、自分はミスリードされていない側に身をおいて、ミスリードされた人間が
自分の意に反した決定を下したっていう時に出てくる傾向が強いような気がします。
結果的に何かに誘導されていたにしたって、乗るも反るも主体的に選択する自由があり、
ミスリードに乗らなくても「周りに対する害が少ない善人」でいられる国においては、
自覚が無くても自分で選択した以上は自分でケツを拭くだけの自覚が必要なはずが、
安易に「ミスリードされた」と選択の責任を他人になすりつける事が出来る、主体性が放棄
できるからミスリードであろうがなかろうが慎重な判断力が機能しなくなってきたのです。
すでにミスリードされる事が、問題になると認識されなくなっている社会であれば、
「周りに対する害が少ない」という善人を変えること位ではミスリードされる社会は
変わらなかったりするのは当然。
利害関係の濃く失敗したら自分が責任を負うことになる地域で周囲に配慮する事と、
利害関係は薄く自分の責任は棚上げに出来る事でミスリードに流される事とは、
全くリンクしていないのです。
>日本みたいな
レイモンド ブリッグズの風が吹くとき [amazon.co.jp]をご存知でしょうか?
世界のどこでも、知ってるつもりで実は…と言う恐怖は世界共通です。
日本では、自国の大本営発表しか事例として取り上げて批判したりしないのですよね。
日本から見れば、欧米のインテリによる研究事例が目立つので、さも欧米は自律している、
というように見えますがアカデミックな人間以外は同じようなものです。