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自分でインストールしたものとしては FreeBSD(98) [freebsd.org] が最初です。
インストールを終えるまでに非常に苦労した記憶はありますが、インストールを終えた後に何をしたのかは、ほとんど覚えていません。
# どうにかこうにかインストールを終えたことに満足してしまい、ほとんど使わなかったような気もします(^^;
そのために買ってきたAT互換機3.5"フロッピーで40枚ぐらい入れ替えてそれはもう賽の河原で石を積むがごとくそして設定ミスってXでなくなってほかの手段が何もなくて1からインストールをやり直すこと数回それはもう賽の河原で石を積むがごとく
Xの上でtipやらkermit動かして通信してました。文字をこぼすので16550のボード買ってきてました。あのころはなんでも高かったなあ。
知人に「面白いから、入れてみ」とそそのかされて、渡されたFDの束。ドキュメントを斜め読み(つまりちゃんと読んでいない)して、FDを入換え、差替えインストールして行くとFDが読めないものがあり中断。orz
壊れたイメージを、時間はどのくらいかかるのかとドキドキしながらFUNIXでダウンロード。当時はダイヤルアップの従量制。2400だったかな。
失敗を繰り返しながらも、何とかインストール出来ました。
Xでtiger.psがじっくり描かれるのを見たり、カーネルの再構築中、モニターの前で二時間(もっとかな?)、「通ってくれよ!」と お祈りしてました。PC-9801FA(486SX 16MHz)、グラフィックボードも欲しかったし、CPUも載せ替えたかった。
あの頃は、時間と根性がありました。
友人にPC/ATで動く386BSDを見せてもらって感激したもののFDの山に恐れをなして自分のPCにインストールまではやんなかったですね。
そうこうしてるうちに、CD-ROMショップでYggdrasil LGXというのを見付けて、そいつをインストールしたのが最初のLinuxでした。おそらく1993年の末ごろ、年が押し詰まった12月あたりに秋葉に出かけて見付けてきた記憶があります。シェルスクリプトで書かれた簡単なインストーラが付いてて、マニュアル片手にインストール自体は割とあっさりできたような記憶が。ただ、そのときに使っていたPCはEISAバスで、EISAなのにAHA-1542と互換性があるという怪しげなSCSIカードを使ってて、そのせいでときどきカーネルがパニクってくれて苦労しましたね。カーネルのバージョンは0.99.いくつかで使えるハードウェアの選択肢が少なくて。
翌1994年ごろになると、日本の主流ディストリビューションはSLSに流れるのがはっきりしてきて、SLSに対応する日本語化のパッケージ(なんだっけ?)が配布されたり(したのは95年に入ってからか?)Yggdrasilはいろいろ不便だったんですけど意地になって使ってましたね。日本語表示できるようにしたりとか、いろいろ苦労し通しで当時はインターネットも個人ではほぼ接続できる状況になかったんで主なダウンロード先はnifty serveでした。フリーソフトウェアのソースもLinuxには対応していなかったんで多くが書き換える必要があったりとか。
ダイヤルアップでインターネットにつないだのも、Linuxでやりましたね。Windows 3.1よかpppの設定が楽そうだったので。で、伝説のMosaicも使いましたしゴジラが火を噴いてた頃のNetscapeも使いましたよ、ああ懐かしい。
まあ、当時いろいろ苦労したおかげで、それなりに得る物もあったような無かったような。
EISAで「怪しげなカード」なんてそうそうなかったはずだが。AHA-17xxかBT-74xだろうけど。
どっちも高級カードだ。そもそもEISAマザーも高かったしな。
ちょっと前で言うPCI-Xカードみたいな物だった。今PCI-XだとPCIが出た後のEISAって感じだが。
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海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい -- Steven Paul Jobs
PC-9801 DX にインストールした FreeBSD(98) が最初 (スコア:1)
自分でインストールしたものとしては FreeBSD(98) [freebsd.org] が最初です。
インストールを終えるまでに非常に苦労した記憶はありますが、インストールを終えた後に何をしたのかは、ほとんど覚えていません。
# どうにかこうにかインストールを終えたことに満足してしまい、ほとんど使わなかったような気もします(^^;
AT互換機に386bsd 0.1でした (スコア:2, 参考になる)
そのために買ってきたAT互換機
3.5"フロッピーで40枚ぐらい入れ替えてそれはもう賽の河原で石を積むがごとく
そして設定ミスってXでなくなってほかの手段が何もなくて1からインストールをやり直すこと数回
それはもう賽の河原で石を積むがごとく
Xの上でtipやらkermit動かして通信してました。文字をこぼすので
16550のボード買ってきてました。あのころはなんでも高かったなあ。
386bsd(98) 0.1でした (スコア:1)
知人に「面白いから、入れてみ」とそそのかされて、渡されたFDの束。
ドキュメントを斜め読み(つまりちゃんと読んでいない)して、
FDを入換え、差替えインストールして行くとFDが読めないものがあり中断。orz
壊れたイメージを、時間はどのくらいかかるのかとドキドキしながらFUNIXでダウンロード。
当時はダイヤルアップの従量制。2400だったかな。
失敗を繰り返しながらも、何とかインストール出来ました。
Xでtiger.psがじっくり描かれるのを見たり、
カーネルの再構築中、モニターの前で二時間(もっとかな?)、
「通ってくれよ!」と お祈りしてました。
PC-9801FA(486SX 16MHz)、グラフィックボードも欲しかったし、
CPUも載せ替えたかった。
あの頃は、時間と根性がありました。
Re:386bsd(98) 0.1でした (スコア:1, 興味深い)
友人にPC/ATで動く386BSDを見せてもらって感激したもののFDの山に恐れを
なして自分のPCにインストールまではやんなかったですね。
そうこうしてるうちに、CD-ROMショップでYggdrasil LGXというの
を見付けて、そいつをインストールしたのが最初のLinuxでした。
おそらく1993年の末ごろ、年が押し詰まった12月あたりに秋葉に出かけて
見付けてきた記憶があります。
シェルスクリプトで書かれた簡単なインストーラが付いてて、マニュアル
片手にインストール自体は割とあっさりできたような記憶が。
ただ、そのときに使っていたPCはEISAバスで、EISAなのにAHA-1542と互換性
があるという怪しげなSCSIカードを使ってて、そのせいでときどきカーネルが
パニクってくれて苦労しましたね。カーネルのバージョンは0.99.いくつかで
使えるハードウェアの選択肢が少なくて。
翌1994年ごろになると、日本の主流ディストリビューションはSLSに流れる
のがはっきりしてきて、SLSに対応する日本語化のパッケージ(なんだっけ?)が
配布されたり(したのは95年に入ってからか?)Yggdrasilはいろいろ不便だった
んですけど意地になって使ってましたね。
日本語表示できるようにしたりとか、いろいろ苦労し通しで
当時はインターネットも個人ではほぼ接続できる状況になかったんで
主なダウンロード先はnifty serveでした。フリーソフトウェアのソースも
Linuxには対応していなかったんで多くが書き換える必要があったりとか。
ダイヤルアップでインターネットにつないだのも、Linuxで
やりましたね。Windows 3.1よかpppの設定が楽そうだったので。
で、伝説のMosaicも使いましたしゴジラが火を噴いてた頃の
Netscapeも使いましたよ、ああ懐かしい。
まあ、当時いろいろ苦労したおかげで、それなりに得る物もあったような
無かったような。
Re: (スコア:0)
EISAで「怪しげなカード」なんてそうそうなかったはずだが。
AHA-17xxかBT-74xだろうけど。
どっちも高級カードだ。
そもそもEISAマザーも高かったしな。
ちょっと前で言うPCI-Xカードみたいな物だった。
今PCI-XだとPCIが出た後のEISAって感じだが。