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NIFTYのFMフォーラムで「これだけあれば最低限動く」と言うFDイメージのセットが出ていまして、それを動かしたら道具としてパソコンを使う上での不満がほぼ解消されていて「これは使える。但し、シフトJISの扱いやDOSとの互換性以外は」という状態で…
# http://www.linux.or.jp/JF/JFdocs/LinuxTOWNS-info-7.html [linux.or.jp] によると1992年の7月21日あたりがターニングポイント# になってるので、実際には92年の夏だったのか…この段階の0.96PL1TL0(PatchLevel1/TestLevel0)に喰らい付いていた記憶が
…流石に当時のダウンロードコストと来たら1Mbyteあたり千円以上飛び
私も同じ時期に手を染めました。Niftyで、make済みバイナリーを必死に拾って、通信費に1万は使ってるほど(当時の私にとっては)高価な遊びになっちゃいましたけど、何をするわけでもないものの、Xが走って、X-Engineを回したときには感動したなあ。あの頃は、バイナリー配布なんて仕組みはなく、何でも自前でmakeの文化でしたから、いろいろいじっていろいろ勉強できました。ftp-mailなんてのもあったなぁ。ある程度遊んだあとにでたSlackware+JEにTowns版も載っていて、それを購入して入れ直したり。でも、やっぱり一番思い出深いのは、Ver1未満のLinux kernelをTownsで動かしていたときですね。TownsへのPortingに力を尽くしたTacoさんと、当時非常に高価だったCD-Rを使ってCDでの回覧や頒布を実現した当時Sonyにお勤めだった方(名前は失念)のご尽力の賜物だったと思います。
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ハッカーとクラッカーの違い。大してないと思います -- あるアレゲ
TOWNS (スコア:0)
確か1991年の冬←間違い。1992年の夏(Re:TOWNS (スコア:1)
NIFTYのFMフォーラムで「これだけあれば最低限動く」と言うFDイメージのセットが出ていまして、それを動かしたら道具としてパソコンを使う上での不満がほぼ解消されていて「これは使える。但し、シフトJISの扱いやDOSとの互換性以外は」という状態で…
# http://www.linux.or.jp/JF/JFdocs/LinuxTOWNS-info-7.html [linux.or.jp] によると1992年の7月21日あたりがターニングポイント
# になってるので、実際には92年の夏だったのか…この段階の0.96PL1TL0(PatchLevel1/TestLevel0)に喰らい付いていた記憶が
…流石に当時のダウンロードコストと来たら1Mbyteあたり千円以上飛び
Re:確か1991年の冬←間違い。1992年の夏(Re:TOWNS (スコア:1)
私も同じ時期に手を染めました。
Niftyで、make済みバイナリーを必死に拾って、通信費に1万は使ってるほど(当時の私にとっては)高価な遊びになっちゃいましたけど、何をするわけでもないものの、Xが走って、X-Engineを回したときには感動したなあ。
あの頃は、バイナリー配布なんて仕組みはなく、何でも自前でmakeの文化でしたから、いろいろいじっていろいろ勉強できました。
ftp-mailなんてのもあったなぁ。
ある程度遊んだあとにでたSlackware+JEにTowns版も載っていて、それを購入して入れ直したり。
でも、やっぱり一番思い出深いのは、Ver1未満のLinux kernelをTownsで動かしていたときですね。
TownsへのPortingに力を尽くしたTacoさんと、当時非常に高価だったCD-Rを使ってCDでの回覧や頒布を実現した当時Sonyにお勤めだった方(名前は失念)のご尽力の賜物だったと思います。