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基礎科学をやっている人が晩年別の分野に興味を持ってトンデモな発言をして周囲を困らせるというのは昔からあった。量子力学の基礎を作ったシュレーディンガーなどはわりと成功 [amazon.co.jp]したほうだが、ニュートン [wikipedia.org]も晩年は錬金術に没頭していたらしい。最近の日本の例だと東大名誉教授の飯田先生 [nextftp.com]とか。その分野で自分ができることはやってしまったという達成だけでは飽き足らず、別の分野に果敢に挑戦するという姿勢は学者として素晴らしいと思いますが、周囲の声を聞かない「老人力」、老境に達して何かを悟ってしまった感があるのは否めません。
ただ、なにかを成し遂げた人
ニュートンの錬金術は良く引き合いに出されるけど、現代の科学者が漏らすタワゴトとは切り離して考えるべきだと思う。
まず、中世の人々の考え方は、近代以後の合理精神を身につけてる我々とはまったく違う、ということを頭に入れておかないと。それが良くわかるのはニュートンのほんのちょっと前の世代に生きたケプラーで、ケプラーの著作は現代人から見ればタワゴトに満ちて、その奇妙度はニュートンの錬金術の比じゃない。最近、ケプラーの「宇宙の神秘」の翻訳が復刊されたようなので読んでみるといいと思う。現代から見ればオカルトとしか言いようがない信念を持っているし合理主義からはほど遠い精神の持ち主だったけれども、そのガラクタに満ちた鋭い頭脳が、いくばくかの真実を射止めた。ニュートンはケプラーとほとんど同時代人で、似たようなオカルトを信じていても不思議は無いどころか、当時としてはそれが普通だったと見るべきじゃないかな。
たとえば、ニュートンが重力の原因を問わないとしたのは、その後の科学のあり方に大きな影響を与えたとされるけれど、実際には性格的に論争を嫌ったということと、重力を神の意志が宇宙に遍在する証と考えていた、ということ(それらしいことを漏らす書簡も残ってたハズ)があって、合理精神からはほど遠いところで重力の原因を問わなかったようだ。錬金術と並んで引き合いに出される聖書研究も、他の仕事と変わりない情熱をもって取り組んでいたようで、たぶん本人の頭の中ではすべてが同列だったんじゃなかったかと。現代人から見れば奇妙だけれどね。
錬金術については、当時化学にいてほとんど分かっていなかった、という事情も考慮しないと。化学≒錬金術だったわけで、錬金術に興味を持つというのは、それほど不自然なコトじゃなかったんだろうと思う。
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
20年前のSFみたい (スコア:1, すばらしい洞察)
Re: (スコア:4, 興味深い)
基礎科学をやっている人が晩年別の分野に興味を持ってトンデモな発言をして周囲を困らせるというのは昔からあった。量子力学の基礎を作ったシュレーディンガーなどはわりと成功 [amazon.co.jp]したほうだが、ニュートン [wikipedia.org]も晩年は錬金術に没頭していたらしい。最近の日本の例だと東大名誉教授の飯田先生 [nextftp.com]とか。その分野で自分ができることはやってしまったという達成だけでは飽き足らず、別の分野に果敢に挑戦するという姿勢は学者として素晴らしいと思いますが、周囲の声を聞かない「老人力」、老境に達して何かを悟ってしまった感があるのは否めません。
ただ、なにかを成し遂げた人
Re:20年前のSFみたい (スコア:1, 興味深い)
ニュートンの錬金術は良く引き合いに出されるけど、現代の
科学者が漏らすタワゴトとは切り離して考えるべきだと思う。
まず、中世の人々の考え方は、近代以後の合理精神を身につけてる
我々とはまったく違う、ということを頭に入れておかないと。
それが良くわかるのはニュートンのほんのちょっと前の世代に生きた
ケプラーで、ケプラーの著作は現代人から見ればタワゴトに満ちて、
その奇妙度はニュートンの錬金術の比じゃない。最近、ケプラー
の「宇宙の神秘」の翻訳が復刊されたようなので読んでみるといいと思う。
現代から見ればオカルトとしか言いようがない信念を持っているし
合理主義からはほど遠い精神の持ち主だったけれども、そのガラクタ
に満ちた鋭い頭脳が、いくばくかの真実を射止めた。
ニュートンはケプラーとほとんど同時代人で、似たような
オカルトを信じていても不思議は無いどころか、当時としては
それが普通だったと見るべきじゃないかな。
たとえば、ニュートンが重力の原因を問わないとしたのは、その後の
科学のあり方に大きな影響を与えたとされるけれど、実際には性格的に
論争を嫌ったということと、重力を神の意志が宇宙に遍在する
証と考えていた、ということ(それらしいことを漏らす書簡も残ってたハズ)
があって、合理精神からはほど遠いところで重力の原因を問わなかったようだ。
錬金術と並んで引き合いに出される聖書研究も、他の仕事と変わりない
情熱をもって取り組んでいたようで、たぶん本人の頭の中ではすべてが
同列だったんじゃなかったかと。現代人から見れば奇妙だけれどね。
錬金術については、当時化学にいてほとんど分かっていなかった、
という事情も考慮しないと。化学≒錬金術だったわけで、錬金術に興味を
持つというのは、それほど不自然なコトじゃなかったんだろうと思う。