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流石にJAXAは大丈夫でしょうけど記事読むとあーそろそろかなぁって所もまぁ・・・有るかな、と・・・NEDOとか(ぼそ)
色々な研究予算をかなり無理やりエネルギー関連にしてるので正直申請するほうもやりにくくて仕方がない。(多分、審査するほうも苦しいだろう。)
こういうコンセプト的なムリクリが常態化することは手続きの透明性に対する一種のモラルハザードに繋がりやすいと思われるので、出来レースを疑われるような不透明な結果に繋がる危険もある。(立場上、単なるやっかみと取られてもナニなので具体的にどれがとはいえないが。)
とはいえ研究開発予算分配・調整のための組織は必要なので、類似した趣旨を持つのほかの組織との統合も含めてより明確な形に改組したほうがいい気はするけどね。
このあたり文科省(科研費)と経産省(NEDO)等各省庁の縄張り争いという側面もあるので、そこを仲裁して統合できるのはさすがに政治を置いてないだろう。
ところでもし改組・統合するなら、ついでに自前の専門的審査人員をちゃんと理系の博士持ちから採用することも検討したほうがいいだろう。
これら予算配分機関には現状で自前の専門家がいない。このため「外部」に審査を委託することになるが、その審査を委託する「外部」の大学の先生や企業の有識者も申請に関しては利害関係者だから中立性に問題がある。
例えば、直接自分の関係者に甘くして予算を取るようなことは(さすがにあまり)なくても競争相手に厳しいなどはありがちなように見える。身内に甘い査定は不正を指摘しやすいが、厳しい査定大概非常にもっともらしいため文句がつけにくいものだ。(最近はそういうことに多少気を使ってか、審査担当者の忌避リストを申請書につけられるような研究資金もあるが、専門分野別になると業界も狭いので忌避しきれない場合もあるし、潜在的な競争相手を申請時に全て把握できているとは限らない…。)
私個人としては審査を委託された各人は意識としては中立であろうと努力していると信じたいが、やはりある程度中立的な身分の人間が審査したほうがいいのは間違いない。かといっていくら中立でも技術的知識が十分でないと思われる官僚(多くは法学部出の)だけで決まっちゃうような研究資金にも問題がある。
実は中立性の問題は今に始まったことでなく昔から問題としては存在していたと思われるが、特に重大な問題となったのはここ十数年だと考えられる。
というのは昔は研究資金が取れなくても最低限の雇用があり最低限の活動は可能だったが、今は昔と違って研究資金の獲得実績が大学での立場や研究活動に非常に大きな影響を与えるようになっている。その上、日本の競争的研究資金は実績主義的な傾向が強いため、直接研究資金を争っていなくても、同分野の競争相手を間接的に「妨害する(意図的なものでなくても)」ことで長期的なダメージを与え、自分の立場を有利にしやすくなっている。
(例えば実働する研究担当者の最低限の雇用は、昔は大学で出来たが、独法化と定常的に続く補助金削減の影響で今は獲得研究予算を原資にした任期付で行われることが多くなってきている。このため予算が獲得できないと雇用が確保できず即研究が停滞する。そうなるとなおさら次の予算は取りにくくなる。)
特に最近では実用化(それどころか事業化まで求められることもしばしばあるが、生産部門も営業部門も持っていない大学や研究機関単体でそれは不可能)やそれに伴う企業連携(これが大学の相対的地位低下から個別企業への補助金の経路になり下がり、大学や研究機関は研究下請けみたいな力関係になってしまうこともしばしばある)が求められる傾向にあるので連鎖的にさらに大きな影響を及ぼす。
というわけで研究資金の中心を本気で競争的研究資金に移し、規模も人件費まで含んだものにする(任期制によって国公立研究機関の研究者の流動性を無理やり高めてしまった以上そうしないと整合性が取れない)ならば、審査の透明性・中立性は従来よりはるかに重要な課題となる。こうなると従来のような研究者の矜持や紳士協定といった、予算配分機関の「外部」の研究者の善意だけに頼った審査システムでは不十分になる可能性が高い。このようなことがこれまでそれほど問題でなかったとしても今後は重大な問題になるわけで、新たな対応を必要とするという意味で「新しい問題」であるといえる。
本来は上がってきた予算の妥当性を持って、許可すべきは許可し、却下すべきは却下すれば良いだけの話。しかしそれで彼等のシゴトには為らないため、わざわざ複雑化する。複雑化する事に依り、本来の適・不適という項目以外の所で担当者がイチャモンを付ける事が可能になる。許認可権の発生である。内部の規定だから好きに弄れるし、リストラ話でも出てくればその分項目を増やせば必要人員も好き放題に。
そのままで業務に支障が出るので効率を上げる為の方法を民間に提示する。その多くとして業務内容を良く知っているOBを採用する、もしくはOBの会社を経由させる。それにより予算の中からOBへの金の流れが出来る。それこそが、彼等のシゴトの本来の意味。原始的な利権構造の発生である。
先ず、そういう事が普通の事となって居る現状をどうにかしないと。逆に言えば、予算を受ける方としても前年度の予算は前年度のものとして、それと同額以上は得られるべきと無条件で思うのは間違い。それは前年度予算を自己の利権として見ているという事だから。
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
ほんとにお取り潰しになりそうなのはどーれだ (スコア:0)
流石にJAXAは大丈夫でしょうけど
記事読むとあーそろそろかなぁって所もまぁ・・・有るかな、と・・・NEDOとか(ぼそ)
そうだ、そうだ (スコア:1, すばらしい洞察)
新エネルギー開発ではなく研究開発予算分配のための組織に変質してしまった
投入した税金に対して最終的に誰が責任を持つかを考えると、NEDOの存在をいつ問題にされてもおかしくない
コンセプトの濫用 (スコア:1)
色々な研究予算をかなり無理やりエネルギー関連にしてるので
正直申請するほうもやりにくくて仕方がない。
(多分、審査するほうも苦しいだろう。)
こういうコンセプト的なムリクリが常態化することは
手続きの透明性に対する一種のモラルハザードに繋がりやすいと思われるので、
出来レースを疑われるような不透明な結果に繋がる危険もある。
(立場上、単なるやっかみと取られてもナニなので具体的にどれがとはいえないが。)
とはいえ研究開発予算分配・調整のための組織は必要なので、
類似した趣旨を持つのほかの組織との統合も含めて
より明確な形に改組したほうがいい気はするけどね。
このあたり文科省(科研費)と経産省(NEDO)等各省庁の縄張り争いという側面もあるので、そこを仲裁して統合できるのはさすがに政治を置いてないだろう。
ところでもし改組・統合するなら (スコア:3, 参考になる)
ところでもし改組・統合するなら、
ついでに自前の専門的審査人員をちゃんと理系の博士持ちから
採用することも検討したほうがいいだろう。
これら予算配分機関には現状で自前の専門家がいない。このため「外部」に審査を委託することになるが、その審査を委託する「外部」の大学の先生や企業の有識者も申請に関しては利害関係者だから中立性に問題がある。
例えば、直接自分の関係者に甘くして予算を取るようなことは(さすがにあまり)なくても競争相手に厳しいなどはありがちなように見える。
身内に甘い査定は不正を指摘しやすいが、厳しい査定大概非常にもっともらしいため文句がつけにくいものだ。
(最近はそういうことに多少気を使ってか、審査担当者の忌避リストを申請書につけられるような研究資金もあるが、専門分野別になると業界も狭いので忌避しきれない場合もあるし、潜在的な競争相手を申請時に全て把握できているとは限らない…。)
私個人としては審査を委託された各人は意識としては中立であろうと努力していると信じたいが、やはりある程度中立的な身分の人間が審査したほうがいいのは間違いない。
かといっていくら中立でも技術的知識が十分でないと思われる官僚(多くは法学部出の)だけで決まっちゃうような研究資金にも問題がある。
審査の中立性・透明性確保は「新しい問題」 (スコア:3, 興味深い)
実は中立性の問題は今に始まったことでなく昔から問題としては存在していたと思われるが、特に重大な問題となったのはここ十数年だと考えられる。
というのは昔は研究資金が取れなくても最低限の雇用があり最低限の活動は可能だったが、今は昔と違って研究資金の獲得実績が大学での立場や研究活動に非常に大きな影響を与えるようになっている。その上、日本の競争的研究資金は実績主義的な傾向が強いため、直接研究資金を争っていなくても、同分野の競争相手を間接的に「妨害する(意図的なものでなくても)」ことで長期的なダメージを与え、自分の立場を有利にしやすくなっている。
(例えば実働する研究担当者の最低限の雇用は、昔は大学で出来たが、独法化と定常的に続く補助金削減の影響で今は獲得研究予算を原資にした任期付で行われることが多くなってきている。このため予算が獲得できないと雇用が確保できず即研究が停滞する。そうなるとなおさら次の予算は取りにくくなる。)
特に最近では実用化(それどころか事業化まで求められることもしばしばあるが、生産部門も営業部門も持っていない大学や研究機関単体でそれは不可能)やそれに伴う企業連携(これが大学の相対的地位低下から個別企業への補助金の経路になり下がり、大学や研究機関は研究下請けみたいな力関係になってしまうこともしばしばある)が求められる傾向にあるので連鎖的にさらに大きな影響を及ぼす。
というわけで研究資金の中心を本気で競争的研究資金に移し、規模も人件費まで含んだものにする(任期制によって国公立研究機関の研究者の流動性を無理やり高めてしまった以上そうしないと整合性が取れない)ならば、審査の透明性・中立性は従来よりはるかに重要な課題となる。
こうなると従来のような研究者の矜持や紳士協定といった、予算配分機関の「外部」の研究者の善意だけに頼った審査システムでは不十分になる可能性が高い。
このようなことがこれまでそれほど問題でなかったとしても今後は重大な問題になるわけで、新たな対応を必要とするという意味で「新しい問題」であるといえる。
お役所の基本 (スコア:0)
本来は上がってきた予算の妥当性を持って、許可すべきは許可し、却下すべきは却下すれば良いだけの話。
しかしそれで彼等のシゴトには為らないため、わざわざ複雑化する。
複雑化する事に依り、本来の適・不適という項目以外の所で担当者がイチャモンを付ける事が可能になる。
許認可権の発生である。
内部の規定だから好きに弄れるし、リストラ話でも出てくればその分項目を増やせば必要人員も好き放題に。
そのままで業務に支障が出るので効率を上げる為の方法を民間に提示する。
その多くとして業務内容を良く知っているOBを採用する、もしくはOBの会社を経由させる。
それにより予算の中からOBへの金の流れが出来る。
それこそが、彼等のシゴトの本来の意味。原始的な利権構造の発生である。
先ず、そういう事が普通の事となって居る現状をどうにかしないと。
逆に言えば、予算を受ける方としても前年度の予算は前年度のものとして、それと同額以上は得られるべき
と無条件で思うのは間違い。
それは前年度予算を自己の利権として見ているという事だから。
Re: (スコア:0)
-- もう二度とNEDOの補助金事業は担当したくないのでAC