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最も重要な考え方は一つ。
『道具はすべからく「スイス・アーミー・ナイフ」のように万能性を求めてはならない』
何にでも使える、何でも揃っているスイス・アーミー・ナイフは、滅多に使わない場合は重宝するが、普段使いには向かない。精度も、耐久性も、使い勝手も悪い。スイス・アーミー・ナイフについているフォークとナイフで日常の食事をしたいと思う人はいないはずだ。
高度な職人が自分の道具を自作するのは、究極的な「スイス・アーミー・ナイフ」の逆を行く行動。- 自分の仕事に特化した道具を用意する- その仕事を最もよく知っている自分が、道具を用意する- 仕事が変わったら、別の道具を用意するというのが、道具の正しい用意の仕方。
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このことを念頭に置いた上で、「能率」とか「生産性」についての本について考えると。
これは「職人に仕事場の道具を見せてもらっている」のと同じことだ。そこに書かれている「道具」は全て「その職人」のためのものであって、あなたのためのものではない。本に書かれているのが、自分の場面に合致しないから使えない、というのはそもそもお門違いだ。
真に優秀な人は、他人の仕事場や道具を見せてもらったら、そこから自分の仕事に使えそうな部分を抽出して、それに基づいて「自分用の道具」を作り出す。そういう「メタな考え方という名の道具」がその仕事部屋=本には落ちているはずなのだ。
従って。話は古典的な結論に到達する。
「この世に使えないものはない。使いこなせないでいる奴が馬鹿なだけだ」
>そこから自分の仕事に使えそうな部分を抽出して
なんだから
>「この世に使えないものはない。使いこなせないでいる奴が馬鹿なだけだ」
なわけなくて、使えないものはあるでしょう。使えないものと使えるものの峻別をすべきだというだけの話でしょう。最初から使えないものを気づかず四苦八苦して使いこなそうとする奴が馬鹿。
>本に書かれているのが、自分の場面に合致しないから使えない、というのはそもそもお門違いだ。
だから使えるものと使えないものに分けるとすれば自分の場面に合致しないことの方が多いはずで、元の日記の
>しかし、それらのほとんどが役に立たない
というのは当たり前といえるでしょう。
使えないものはあるでしょう。
そう考えている間は、間違いから抜け出せない。
使ってはいけない場所で間違った道具を使うのは「使えないものがある」のではなく「道具を使いこなせていない」。「使えない道具がある」のではなく、「使い方を判っていない」だけだ。
それは道具のせいではなく、使う側が十分高い能力を持ち合わせていないのに過ぎない。
>>そこから自分の仕事に使えそうな部分を抽出して
その残渣は使えなかったものじゃないんですか?
「使えなかったもの」ではなく「使い方が思いつかなかったもの」でしょ?# 超天才なら使えたかもしれないじゃない。
要するに「これは使えない」ってのは 思考停止の言い訳だからやめとけ って事。
今は 使い道を 思いつかない なら、そのうちなにか見つかるかもしれない。記憶に「なんかそれっぽいもの」というイメージで残ってくれるだろうからね。でも「使えない」だと「使えないというイメージ」だけが残って、それが具体的にどう使えないのか、は記憶に残らない。すると、別の機会にたまたまマッチングが取れるものがあっても、思い至らない。
結果として何が発生するかと言うと「これは使えない」と言った人が馬鹿だった、という状態になる。
気をつけて欲しいのは「これは使えない」と言ってはいけないというのは、いつまでもそれに拘泥しろ、という意味ではない、という事。「今は思いつかない」として脇にどけて、前に進む事は必要。前に進まないと「脇にどけたものが使えるようになるチャンス」も手に入らない。
プロセスで言う「イベント待ち」状態にして取っておけ、でもCPUはあけろ。できれば何かに書き付けておいて、メインメモリも解放しろ。というのはむしろ積極的にやるべき事だと思う。
なお、これが禅問答にそっくりなのは、森政弘 東工大名誉教授の授業を受けた時に言ってた事の一つだからです。
大学で教わったものの中で役に立っている事、トップ10に入っていると思う。# でもしょっちゅう言っちゃうけどね。「使えねぇえええっ!!」って。
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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
「考え方」も道具の一種 (スコア:1)
最も重要な考え方は一つ。
『道具はすべからく「スイス・アーミー・ナイフ」のように万能性を求めてはならない』
何にでも使える、何でも揃っているスイス・アーミー・ナイフは、滅多に使わない場合は重宝するが、普段使いには向かない。精度も、耐久性も、使い勝手も悪い。スイス・アーミー・ナイフについているフォークとナイフで日常の食事をしたいと思う人はいないはずだ。
高度な職人が自分の道具を自作するのは、究極的な「スイス・アーミー・ナイフ」の逆を行く行動。
- 自分の仕事に特化した道具を用意する
- その仕事を最もよく知っている自分が、道具を用意する
- 仕事が変わったら、別の道具を用意する
というのが、道具の正しい用意の仕方。
.
このことを念頭に置いた上で、「能率」とか「生産性」についての本について考えると。
これは「職人に仕事場の道具を見せてもらっている」のと同じことだ。そこに書かれている「道具」は全て「その職人」のためのものであって、あなたのためのものではない。本に書かれているのが、自分の場面に合致しないから使えない、というのはそもそもお門違いだ。
真に優秀な人は、他人の仕事場や道具を見せてもらったら、そこから自分の仕事に使えそうな部分を抽出して、それに基づいて「自分用の道具」を作り出す。そういう「メタな考え方という名の道具」がその仕事部屋=本には落ちているはずなのだ。
.
従って。話は古典的な結論に到達する。
「この世に使えないものはない。使いこなせないでいる奴が馬鹿なだけだ」
fjの教祖様
使えないものはあるだろう (スコア:1)
>そこから自分の仕事に使えそうな部分を抽出して
なんだから
>「この世に使えないものはない。使いこなせないでいる奴が馬鹿なだけだ」
なわけなくて、使えないものはあるでしょう。
使えないものと使えるものの峻別をすべきだというだけの話でしょう。
最初から使えないものを気づかず四苦八苦して使いこなそうとする奴が馬鹿。
>本に書かれているのが、自分の場面に合致しないから使えない、というのはそもそもお門違いだ。
だから使えるものと使えないものに分けるとすれば自分の場面に合致しないことの
方が多いはずで、元の日記の
>しかし、それらのほとんどが役に立たない
というのは当たり前といえるでしょう。
屍体メモ [windy.cx]
そう考えている間は、正しく理解できない (スコア:1)
そう考えている間は、間違いから抜け出せない。
使ってはいけない場所で間違った道具を使うのは「使えないものがある」のではなく「道具を使いこなせていない」。
「使えない道具がある」のではなく、「使い方を判っていない」だけだ。
それは道具のせいではなく、使う側が十分高い能力を持ち合わせていないのに過ぎない。
fjの教祖様
抽出の必要性は? (スコア:1)
>>そこから自分の仕事に使えそうな部分を抽出して
その残渣は使えなかったものじゃないんですか?
屍体メモ [windy.cx]
Re:抽出の必要性は? (スコア:1)
「使えなかったもの」ではなく「使い方が思いつかなかったもの」でしょ?
# 超天才なら使えたかもしれないじゃない。
.
要するに「これは使えない」ってのは 思考停止の言い訳だからやめとけ って事。
今は 使い道を 思いつかない なら、そのうちなにか見つかるかもしれない。記憶に「なんかそれっぽいもの」というイメージで残ってくれるだろうからね。でも「使えない」だと「使えないというイメージ」だけが残って、それが具体的にどう使えないのか、は記憶に残らない。すると、別の機会にたまたまマッチングが取れるものがあっても、思い至らない。
結果として何が発生するかと言うと「これは使えない」と言った人が馬鹿だった、という状態になる。
気をつけて欲しいのは「これは使えない」と言ってはいけないというのは、いつまでもそれに拘泥しろ、という意味ではない、という事。「今は思いつかない」として脇にどけて、前に進む事は必要。前に進まないと「脇にどけたものが使えるようになるチャンス」も手に入らない。
プロセスで言う「イベント待ち」状態にして取っておけ、でもCPUはあけろ。できれば何かに書き付けておいて、メインメモリも解放しろ。というのはむしろ積極的にやるべき事だと思う。
.
なお、これが禅問答にそっくりなのは、森政弘 東工大名誉教授の授業を受けた時に言ってた事の一つだからです。
大学で教わったものの中で役に立っている事、トップ10に入っていると思う。
# でもしょっちゅう言っちゃうけどね。「使えねぇえええっ!!」って。
fjの教祖様