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アレゲはアレゲ以上のなにものでもなさげ -- アレゲ研究家
理系なら、死後のことは考えないでしょ? (スコア:0)
ナンセンス。
Re:理系なら、死後のことは考えないでしょ? (スコア:1, すばらしい洞察)
人間は感情の生き物で、周囲の他に対して多様の感情を抱くことで、感情のバランスが保たれている。その一部が欠けることは感情のバランスを失うことになり、日常生活に障害が出てしまう。それが重度であれば、理屈をいくら捏ねても感情のバランスを取り戻すことができない。その感情のバランスを取り戻す手っ取り早い方法が、葬式という儀式であるわけです。
儀式により、その人はもう戻ってこないということを感情的に深く刻み込むわけです。そのとき、その人の魂(感情の実体)も戻っては来れない遠くの世界に行ってしまったのだと思えば、自分がその世界に行くまでの一時的な別れということで、完全に失われたと思うよりも、ショックを和らげられます。
また、生前に表すことができなかった感謝の気持ちを葬式という儀式の中で表現することで、本人に伝わらないとは理論的に分かっていても、借りのいくらかは返せたという気分になり、感情のバランスを取り戻しやすくなります。
肉体をハードウェア、感情をソフトウェアに喩えると、ハードウェアが死んでしまったときに、ソフトウェア側でそれを認識できても、対処ができないという状況。個々の設定をいじるよりも、再起動した方が手っ取り早い。その再起動に当たるのが儀式。
残される者の立場から言うと、要望として伝えておいてもらった方が、儀式をやりやすいし、要望に応えたと言う意味で、借りを少し返せた気分になる。だから、残される側から、「どういう送られ方をされたい」と聞くものだと思うけど。