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彼女の言う「キャラクターの拉致」ってのは、オリジナルの「世界」や、ストーリーから切り離してしまうことに注目しているわけです。その意味で、それまでのパロディやパスティーシュと呼ばれるような作品とは異なっていたわけです。
んで。ここでは主に男子から女子への影響を取り上げましたが、当然、逆パターンもあるわけで。キャラクターについていえば、現代的なキャラクター論は、21世紀に入って東と伊藤の登場をまたなければならない。もちろん、それに先行する論評対象があったわけですが。私は、女子から輸入された文化だと思う。
たとえば、宮台真司は東との対談で
【宮台】さっき本質的だと言ったのは、動物化した存在が実に管理しやすいことを含めて、スノッブと動物の違いをどう評価するかという問題なんです。最初に少し話しましたが、作品批評をしていく上でも、すごく重要なことだと思うんです。たとえば東さんは雑誌『小説トリッパー』で、『千と千尋の神隠し』と『A・I』には動物しか出てこないとおしゃっていた。なぜなら彼らは選択をしていないからだと。おかしいじゃないか、人間がいないじゃないかと。僕も同意見なんですね。『千と千尋』の世界にも、『A・I』の世界にも、迷いもなければ、リグレットもない。 http://www.miyadai.com/texts/animalize/03.php [miyadai.com]
といっています。ここで宮台は、『制服少女たちの選択』(1994年)の問題意識を、東浩紀の『動物化するポストモダン』(2001年)へとつないでいるわけです。
まあ、まともな根拠とか示すのが難しいけど。「萌え」ってのは、少女的なキャラクター論がないと成立しないわけですし。
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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
キャラの拉致 (スコア:1)
故に"二次"創作かと。
ただ、"やおい"、BL に関しては、元キャラは男であっても、そこに描かれているのは"男"ではないのは、その通り。
これが男性による二次創作だと、男女はそのまま男女として描かれますね。
その差が面白いところです。
Re:キャラの拉致 (スコア:2)
彼女の言う「キャラクターの拉致」ってのは、オリジナルの「世界」や、ストーリーから切り離してしまうことに注目しているわけです。その意味で、それまでのパロディやパスティーシュと呼ばれるような作品とは異なっていたわけです。
んで。ここでは主に男子から女子への影響を取り上げましたが、当然、逆パターンもあるわけで。キャラクターについていえば、現代的なキャラクター論は、21世紀に入って東と伊藤の登場をまたなければならない。もちろん、それに先行する論評対象があったわけですが。私は、女子から輸入された文化だと思う。
たとえば、宮台真司は東との対談で
【宮台】さっき本質的だと言ったのは、動物化した存在が実に管理しやすいことを含めて、スノッブと動物の違いをどう評価するかという問題なんです。最初に少し話しましたが、作品批評をしていく上でも、すごく重要なことだと思うんです。たとえば東さんは雑誌『小説トリッパー』で、『千と千尋の神隠し』と『A・I』には動物しか出てこないとおしゃっていた。なぜなら彼らは選択をしていないからだと。おかしいじゃないか、人間がいないじゃないかと。僕も同意見なんですね。『千と千尋』の世界にも、『A・I』の世界にも、迷いもなければ、リグレットもない。 http://www.miyadai.com/texts/animalize/03.php [miyadai.com]
といっています。ここで宮台は、『制服少女たちの選択』(1994年)の問題意識を、東浩紀の『動物化するポストモダン』(2001年)へとつないでいるわけです。
まあ、まともな根拠とか示すのが難しいけど。「萌え」ってのは、少女的なキャラクター論がないと成立しないわけですし。
斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心