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元記事には、
この答申では、青少年保護の観点から、携帯フィルタリングの実効性を向上する必要性を指摘。
と、書かれていますが、実効性を上げるならまず、フィルタリング精度やフィルタに引っかかった時の運用、段階的に解除することでフィルタリングが無くなっても安全に使えるリテラシーを育てるのが本来あるべき姿かと思います。
単純に「厳しく、解除しにくくする」というのは、どちらかといえば青少年保護というよりは、青少年が何かトラブルにあった時に親が責任追及されるのを逃れるための、言わば「リテラシーがない保護者や教育者を保護するため」にフィルタリングを強化しているように見えるのが皮肉なところです。
この手の議論が出るたびに「親の教育」とか「教師の教育」とか出るけど、実際問題としてどうやって具体的にやるつもりなんだろうか?
このサイトを見ているリテラシが高い人ですらひっかからない保証はどこにもない、ルールが常に変わるゲームのようなものに対して、常に勝ち続けるための「最低限のリテラシ」とは何だろう?そして、それは何を持って保証するんだろう?
#自分はその保証が完全にはできないから、#選択肢としてのフィルタリングを用意して自由に選択させるべきだと思うけど。
いや、今回のような単に全員一律でフィルタリングするって思考停止も嫌いだけど、具体論もなく責任を特定の人(含む青少年)に押し付けてしまうってのも同じレベルでの思考停止だと思うってね…。
どうやって具体的にやるか、というよりは、そもそも話の出発点がズレていることが問題だと思います。
矛盾に聞こえるかもしれませんが、私は「最低限のリテラシ」は「携帯電話を使わないこと」だと思います。ただ、それは「使わないこと」であって、「使えなくされること」ではありません。 論語の「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり。」ではありませんが、先ず携帯電話を使うことの危険性を理解し、その上で携帯電話を使うことを自分が必要だと感じたら、自ら勉強してそのリスクを克服できる環境を整えるのが理想ではないかと思うのです。 で、その「最低限のリスク」を教えることは、ある程度必要な条件が整えば、そんなに難しいことではないと思います。携帯電話でこういった事件が起きた、こういった危険性がある、という冊子だけでもある程度の効果は見込めると思います。もちろん、擬似的な環境で実際にその危険性を体験するであるとか、詳しい専門家が授業をするに越したことはないでしょうが。
大切なのは、未成年であれば保護者が、成人後は本人が、「携帯電話を使っても大丈夫かどうか」を自分で判断できる環境を整えることであって、本来フィルタリングはその手段の一部にしか過ぎないはずなのに、というのが「保護者を保護するため」に見える、と書いた理由です。
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人生の大半の問題はスルー力で解決する -- スルー力研究専門家
どちらかというと…… (スコア:3, すばらしい洞察)
元記事には、
と、書かれていますが、実効性を上げるならまず、フィルタリング精度やフィルタに引っかかった時の運用、段階的に解除することでフィルタリングが無くなっても安全に使えるリテラシーを育てるのが本来あるべき姿かと思います。
単純に「厳しく、解除しにくくする」というのは、どちらかといえば青少年保護というよりは、青少年が何かトラブルにあった時に親が責任追及されるのを逃れるための、言わば「リテラシーがない保護者や教育者を保護するため」にフィルタリングを強化しているように見えるのが皮肉なところです。
Re:どちらかというと…… (スコア:2, すばらしい洞察)
この手の議論が出るたびに「親の教育」とか「教師の教育」とか出るけど、
実際問題としてどうやって具体的にやるつもりなんだろうか?
このサイトを見ているリテラシが高い人ですらひっかからない保証はどこにもない、
ルールが常に変わるゲームのようなものに対して、
常に勝ち続けるための「最低限のリテラシ」とは何だろう?
そして、それは何を持って保証するんだろう?
#自分はその保証が完全にはできないから、
#選択肢としてのフィルタリングを用意して自由に選択させるべきだと思うけど。
いや、今回のような単に全員一律でフィルタリングするって思考停止も嫌いだけど、
具体論もなく責任を特定の人(含む青少年)に押し付けてしまうってのも同じレベルでの思考停止だと思うってね…。
Re:どちらかというと…… (スコア:2)
どうやって具体的にやるか、というよりは、そもそも話の出発点がズレていることが問題だと思います。
矛盾に聞こえるかもしれませんが、私は「最低限のリテラシ」は「携帯電話を使わないこと」だと思います。ただ、それは「使わないこと」であって、「使えなくされること」ではありません。
論語の「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり。」ではありませんが、先ず携帯電話を使うことの危険性を理解し、その上で携帯電話を使うことを自分が必要だと感じたら、自ら勉強してそのリスクを克服できる環境を整えるのが理想ではないかと思うのです。
で、その「最低限のリスク」を教えることは、ある程度必要な条件が整えば、そんなに難しいことではないと思います。携帯電話でこういった事件が起きた、こういった危険性がある、という冊子だけでもある程度の効果は見込めると思います。もちろん、擬似的な環境で実際にその危険性を体験するであるとか、詳しい専門家が授業をするに越したことはないでしょうが。
大切なのは、未成年であれば保護者が、成人後は本人が、「携帯電話を使っても大丈夫かどうか」を自分で判断できる環境を整えることであって、本来フィルタリングはその手段の一部にしか過ぎないはずなのに、というのが「保護者を保護するため」に見える、と書いた理由です。