アカウント名:
パスワード:
実は「オトナ」んなてのが夢マボロシ。
#人生50年すらもユメマボロシだという説もあるのでオトナがユメマボロシでもおかしくはない。
中学生までで人間の社会的な反応はおおよそ発育が終わるという説もあるので、その面に限って言えばそれ以上成長してないと感じるのは自然かも。#それ以降育つのは知識の蓄積
育つのは「定型化」だと思うがな~定型化が完成すると思考の必要がなくなり、突然ボケる。
大抵は使われ続ける限り完成しないものだけどね。ソフトウェアと同じく。ただ高度な社会的分業と社会の長期安定という条件があると停滞するだろうとは思う。
そういえば何年か前、NHKの失読症のドキュメンタリ番組で脳内の血流とか分析してたけど、脳の特定の部分が偏って使われ続けると、他の部分に血液がいかなくなって萎縮し、その結果失読症になるのではないかなんて話が紹介されていた。
ところで、#1716123で私が「社会的な反応」と書いているのは:
「人はなぜコンピューターを人間として扱うか―「メディアの等式」の心理学 [amazon.co.jp]」(バイロン・リーブス&クリフォード・ナス 著、翔泳社 刊、2001/04)
で、挙げられているようなほとんど無意識になされるような部分。なのでその後も、知識の成長によって実際の行動は影響を受け続けるとは思う。
例えば、私自身20年前よりはかなり「丸く」なった(体型の話ではなく、対人的な許容範囲が広がった)と思うけれど、それは原理原則主義的で他人に厳しく、熱くなりやすいという私の社会的パーソナリティ(よく言われるので少しは自覚があるのです。)が変わったのではないように思う。人間の心理と行動に関する知識が増えた結果、相手の状態を解析する精度がいくらか上がって相手の「バグ」のようなものが昔よりは見えるようになったために、相手に対してカッとなる機会が若干減ったからではないかという気がする。
ただ「俺って成長してないよなー」って慨嘆は客観的な分析の結果というより、おもわずやらかした対人関係での感情的な反応を振り返る側面が強いように思われる。ので、そのあたりは「無意識の社会的反応」=「中学生までにあらかた出来上がっている部分」に対するものになるのではなのかなと。
より多くのコメントがこの議論にあるかもしれませんが、JavaScriptが有効ではない環境を使用している場合、クラシックなコメントシステム(D1)に設定を変更する必要があります。
UNIXはシンプルである。必要なのはそのシンプルさを理解する素質だけである -- Dennis Ritchie
確かに面白かったのだが (スコア:0)
隣に座っていた二十歳くらいの女の子はわんわん泣いていた
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
登場人物で多少なりとも葛藤していると言えるのは面堂と温泉マークだけで、始めと終わりで何にも変わっていない。
「俺(たち)はいったい大人になれるんだろうか」と薄ら寒い思いをしたことがつい昨日のようです。事実ちっとも成長していないわけですが。
Re: (スコア:1)
実は「オトナ」んなてのが夢マボロシ。
#人生50年すらもユメマボロシだという説もあるのでオトナがユメマボロシでもおかしくはない。
中学生までで人間の社会的な反応はおおよそ発育が終わるという説もあるので、
その面に限って言えばそれ以上成長してないと感じるのは自然かも。
#それ以降育つのは知識の蓄積
Re: (スコア:1)
育つのは「定型化」だと思うがな~
定型化が完成すると思考の必要がなくなり、突然ボケる。
the.ACount
Re:確かに面白かったのだが (スコア:1)
大抵は使われ続ける限り完成しないものだけどね。ソフトウェアと同じく。
ただ高度な社会的分業と社会の長期安定という条件があると停滞するだろうとは思う。
そういえば何年か前、NHKの失読症のドキュメンタリ番組で脳内の血流とか分析してたけど、脳の特定の部分が偏って使われ続けると、他の部分に血液がいかなくなって萎縮し、その結果失読症になるのではないかなんて話が紹介されていた。
ところで、#1716123で私が「社会的な反応」と書いているのは:
「人はなぜコンピューターを人間として扱うか―「メディアの等式」の心理学 [amazon.co.jp]」
(バイロン・リーブス&クリフォード・ナス 著、翔泳社 刊、2001/04)
で、挙げられているようなほとんど無意識になされるような部分。
なのでその後も、知識の成長によって実際の行動は影響を受け続けるとは思う。
例えば、私自身20年前よりはかなり「丸く」なった(体型の話ではなく、対人的な許容範囲が広がった)と思うけれど、それは原理原則主義的で他人に厳しく、熱くなりやすいという私の社会的パーソナリティ(よく言われるので少しは自覚があるのです。)が変わったのではないように思う。
人間の心理と行動に関する知識が増えた結果、相手の状態を解析する精度がいくらか上がって相手の「バグ」のようなものが昔よりは見えるようになったために、相手に対してカッとなる機会が若干減ったからではないかという気がする。
ただ「俺って成長してないよなー」って慨嘆は客観的な分析の結果というより、
おもわずやらかした対人関係での感情的な反応を振り返る側面が強いように思われる。
ので、そのあたりは「無意識の社会的反応」=「中学生までにあらかた出来上がっている部分」に対するものになるのではなのかなと。